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「間(あわい)に寛容じゃないと文化は生まれない」手塚マキが現役引退後もなお、歌舞伎町とホストを支え続ける理由

  • 手塚マキ氏

    手塚マキ氏

 飲食店・遊戯施設・映画館などが集中する日本最大の歓楽街・東京新宿区歌舞伎町。合法・非合法ないまぜになった「眠らない街」と呼ばれ、2003年頃から石原慎太郎・元東京都知事の意向から「歌舞伎町浄化作戦」が実施。かなりクリーンなイメージになったものの、今も残る猥雑な香りに魅せられる人々も多い。その歌舞伎町で25年間、活動し続けるホストホストクラブ「Smappa!Group」の会長で元ホストの手塚マキ氏は、歌舞伎町の魅力について「世界から見て、日本の見本になる街だと思う」と話す。そんな彼がホスト引退後も歌舞伎町を軸に活動する理由は?

「大学に行くよりかホストをやるほうが僕は成長する」大学中退して夜の世界へ

  • 現役ホスト時代の手塚マキ氏(本人画像提供)

    現役ホスト時代の手塚マキ氏(本人画像提供)

 手塚マキ氏は現在45歳。一浪して中央大学理工学部に入学するも中退、歌舞伎町のホストクラブ「スティンガー」に入店1ヵ月でナンバーワンとなった人物だ。その半生を描いた『新宿・歌舞伎町』が「夜を生きる 歌舞伎町ホスト手塚マキ物語」としてマンガ化され、さらに「夜鳥 翔べ! 歌舞伎町ホスト手塚マキ物語」として来月舞台化される。大学を中退してまでホストの世界に入ったのは「大学の先輩たちが誰も格好良くなかったから」だという。

「大学に行くよりかホストをやるほうが僕は成長するんじゃないかなと思って、4年間だけこっちの世界にいようと思って大学を辞めました。ホストというのは当時、いろんな地域の不良のトップが集まってくるから不良の全国大会などと呼ばれていました。そんなすごい先輩を売上でぶっ飛ばす…そんな爽快感から当時はすごく面白く感じました」

 もちろんホストという職業が“裏稼業”的ニュアンスが含まれていることは自覚していた。だが、どれだけのお客様を持ち、どう自分という商品をブランディンクし、さらにリスクヘッジはどうするか…ホストという仕事には経営のノウハウが詰まっていることを、当時読んでいた経営学の本でも確認できた。
「今の世の中、AIで仕事がなくなると言われ、更に世界中で大量生産が可能な状況で、商品の差異はなくなり、誇大広告が出来る大資本が勝つという流れになっている中で、どう一個人として生きていくか。大事なのはそれぞれの個性だと思います。たとえば、同じ商品を買う時に木村さんから買うか田中さんから買うか。「この人と繋がっていたい」と思われる人が選ばれる…これからの未来に必要なのはそういう能力。ホストという職業はまさに、その自分の特別さを身につけるうってつけの場所だと思うんです」

 その一方で「あの(ホストをやっていた)7年間に抱えていたある想いをみんなに経験してほしくない」とも話す。

自分の価値観を覆す部下のホストの存在が起業の原点に「勝ち負けではなくそれぞれの幸福感をどう上げるかが大事」

NO.1ホスト時代の手塚マキ氏(本人画像提供)

NO.1ホスト時代の手塚マキ氏(本人画像提供)

 手塚氏がホストデビューしたのは90年代後半。消費税3%から5%への引き上げや、地方銀行・大手証券の経営破綻など、既存の枠組みが崩壊していった時代だ。

「私は子供のころから永久就職でいい企業に入ればハッピーと教わっていた世代です。しかし実際にはその神話が崩れ始めた就職氷河期でした。高校時代頃から植え付けられた価値観に“?”が浮かんでいました。更に大学生とホストが同じ21歳でも、ホストとして働いている人たちは15歳ぐらいから高校も行かないで働いている人たちが多く、社会経験が既にある大人だったんです。そういう実社会の中でそういう人たちと生きる方が、大学で学ぶ机上の空論の4年間より、実践的に社会や経営を学べるホスト業界にいた方が自分にとって成長できると感じました」


  • 歌舞伎町のゴミ拾いボランティアをする手塚マキ氏(本人画像提供)

    歌舞伎町のゴミ拾いボランティアをする手塚マキ氏(本人画像提供)

 そんな手塚氏だったが、売上が伸びれば伸びるほど、次第に、勝ちと負け、白と黒、それだけの世界に身を置いていた自分の中にある種の釈然としない想いも出始めていた。そんなとき、ある存在が彼の抱えていた違和感を払拭する。

「それが部下の売れないホストたち。勝つのが当たり前の価値観の中で、独立し、部下を持った時、彼らの“勝ち負けだけではない”価値観、つまり生き方の幅を見せられました。幸せの形はお金だけでも名誉だけでもないと。もちろんホストクラブには競争はある。でもその競争に勝つだけが幸せだと思わないことが大切だと彼らから学びました。それぞれの幸福感をどう上げるか。それは自分の店だけの話しではなくこれからの時代、どう生きるか?において大事なことだと思いました」

 とはいえ、そこにいたるまでには彼なりの葛藤があった。

  • 商店街と積極的に交流を深め、祭りに参加するなど歌舞伎町を盛り上げる動きを(本人画像提供)

    商店街と積極的に交流を深め、祭りに参加するなど歌舞伎町を盛り上げる動きを(本人画像提供)

「後から考えれば、ホストって職業をすごい好きだったなって思いますけど、当時はそうは思えなかった。いくら稼いでいても、結局社会の尺度の中の話ではホストっていう仕事は裏稼業と思われている。自分自身もその価値観におかされて後ろめたい感覚も正直なところ、当時はありました。だからホストも自分自身も嫌いになっていって、何のためにやっているのかわからなくなって…独立までの数年はそんな鬱屈した想いを抱えながらやっていましたね」

 歌舞伎町には、何者かになりたい人が集まってくる。しかしながら、何者にもなれずに去る者、堕ちていく者をこれまでたくさん見てきた。彼らが腐らずに、ホストという仕事を通して、別のキャリアをすることはできないのか。ホストのセカンドキャリアについて考えるようになっていった。

 同時に、歌舞伎町に集まる人たちには「アイデンティティ・クライシス」を起こしている人が多いことにも気がついた。

「地元を捨てて、源氏名をつけて俺は何者だろうと思うようになる。他にも自分が男なのか女なのか。可愛いか可愛くないか。そうした人たちが、包み隠さず飲み屋などに商品として陳列されてしまう。すると“私の価値は可愛いだけ”など悩む人も多くなり、自己が形骸化。拠り所を失う。そこでアイデンティティを確立させる為に重要なのが地元意識だと僕は思いました」

 その為に、手塚氏は2003年に独立以後、祭りなどの地元のイベントやゴミ拾いに参加させることで、歌舞伎町の商店街と積極的に交流をはかった。ホストのボランティア団体『夜鳥の界』の立ち上げや『歌舞伎町ブックセンター』のオープン、2018年には介護事業を始め、最近では職業体験型インターンも実施。現在も歌舞伎町を軸に多角的な活動を行っている。

 そのような取り組みの中で、手塚氏は、次第にホストクラブは世の中の「受け皿」でもあるのではないかと考えるようにもなった。「例えば、大企業には入れなくてもホストにはなれる。誰でもホストになれるし、先述したように、ホストで経営のイロハが学べ、セカンドキャリアへも向かえる。今の社会では、ホストがやんちゃな男の子たちの、未来を作ることもできるセイフティネットなんです」

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