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「活動をやめる?」悩む“ぺえ”を支えた山形の両親、生きにくいジェンダーの狭間で「自由に生きる」

ぺえ

 一時期、テレビを中心に“ジェンダーレス男子”や“オネエ”として活躍していた「ぺえ」。当時の葛藤を経て、現在ではYouTubeやラジオで偽りない自分を発信している。時には表に出る活動をやめようと考えたこともあるが、それを思いとどまらせたのは故郷の両親への思いだった。「兄や姉のように、私はなれない。じゃあ、どうしたら親に感謝を伝えられる?」。決して生きやすい人間ではない、そんなぺえが出した答えとは?

両親に恩返しできない自分、「東京で頑張っている息子・松田慎平の姿を見てもらい続けるしかない」

エッセイ『退屈の愛し方』より

エッセイ『退屈の愛し方』より

  • 初のエッセイ『退屈の愛し方』(KADOKAWA)

    初のエッセイ『退屈の愛し方』(KADOKAWA)

 原宿のカリスマショップ店員から読者モデルを経て、“ジェンダーレス男子”や“新世代オネエ”として注目されたぺえ。バラエティー番組などで、引きも切らぬ活躍をしてきた2010年代後期を「テレビが求める“オネエらしさ”にハマれないくせに、がむしゃらに突っ走っていた」と振り返る。

 「オネエと言えば、底抜けに明るくて、テンションが高くて、物事をズバッと切るご意見番。本来の自分とはぜんぜん真逆なのに、自分でもその枠に収まりにいこうとして。幸せじゃないのに笑うのが、一番つらいんだってことに気付かされましたね」

 表に出る活動をやめることを考えたこともある。そのたびに浮かぶのが、山形の実家で応援してくれる両親の存在だった。

 「両親は、私がテレビに出るのをものすごく喜んでくれたんです。生まれてこのかたずっと自由に育ててきてもらったのに、私には何の恩返しもできないと思っていたから、『これでようやく』という気持ちもありました」

 家族にカミングアウトしたのは、20代になってから。

 「だけど、気付いていたんですよ。私の知らないうちに、両親・兄・姉による家族会議も開かれていたようで(笑)。かと言って咎められたわけでもないし、それこそ学生時代の友だちにも偏見を持たれたこともなかったので、伸び伸びとここまで育っちゃいました。たぶん『あいつはガンコだから、何言っても無駄だ』って諦められてたんだとも思います(笑)。周囲の理解には本当に恵まれていましたね」

 両親への思いが深い分、自身のジェンダーにのしかかってくるものも大きかった。

 「孫を見せることだけが親孝行じゃない、そんなのはわかってます。だけど、きちんと家庭を築いている兄や姉のように、私はなれない。じゃあ、どうしたら親に感謝を伝えられる? と考えたときに、東京で頑張っている息子・松田慎平の姿を見てもらい続けるしかないって思ってるんです」

ラジオ出演で見えた10代の若者の姿、「多様性の尊重や偏見を持たないことが当たり前」

  • ぺえ

 自分らしく表に出る活動を続けるために、ぺえがたどり着いたのがYouTubeだ。原宿のショップ店員だった時代、店に集まる女の子たちの悩みに耳を傾け、やがて「原宿の母」と呼ばれるまでになったぺえの言葉の力に「救われた」というコメントは多い。

 さらに昨年には、10代の居場所として歴史のあるラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM)の5代目教頭にも就任した。

「私ももうすぐ三十路ですが、10代の子たちに見習うことは多いですね。多様性の尊重や偏見を持たないことが当たり前の価値観としてあって、彼らが大人になったときには日本の風景もちょっと変わってるんじゃないでしょうか。あと、人を蹴落としてでものし上がってやろうとせず、みんなでいい方向に向かっていこうとする共感性の高さはすごいなあと思いますね」

 こうした世代の傾向について、ぺえは生まれながらにSNSやネットが身近にある影響を指摘する。

「自分の周囲だけでなく多くの人や事例を目にしている分、人の痛みに敏感な一方で、早い段階で自分の限界を決め付けてしまう子が多いのかな、とも思いますね。自分の力量、家庭環境や経済力で『自分が実現できる人生はこれくらいだ』というふうに。そこはちょっとかわいそうかな。バカだなって思われてもいいじゃん、当たって砕けろだよ、と言ってあげたいけれど──」

 ぺえ自身、7年前には何のつてもないまま上京してきた。

「両親からも好きにやっていいよと言われてました。こんなふうに人生が開けるなんて、当時は思ってもみませんでしたけどね(笑)。そうそう、両親はラジオの感想を毎日のように送ってくれるんです。聴いてくれてるんです、10代向けの番組なのにちゃんと(笑)」

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