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『としまえん』設立当初は“娯楽”ではなく“心身鍛錬の場”だった コロナ禍での閉園に語り部「歯がゆいが、最後まで笑顔で」

 8月31日、1926年の開園以来、多くの人を楽しませてきた『としまえん』が94年の歴史に幕を閉じる。世界初の「流れるプール」など日本のみならず、世界の遊園地をけん引してきた一方、約1世紀にわたって“都民の遊園地”として親しまれてきた。そんな同園のカウントダウンイベントとして実施されている「としまえん94年の歴史展」でガイドを務めているのは事業運営部長の内田弘氏。“としまえんの語り部”である同氏が、大正から令和にわたって愛されたこの遊園地は、日本人にとってどんな存在だったのか、語ってくれた。

開園の目的は「心身の鍛錬」と「文化を育む」

 『としまえん』が設立されたのは、今から94年前の大正15(1926)年。設立当初の目的は、今のように“娯楽”として楽しむというものではなかったという。
「設立の趣旨には『涵養助長せしむる場所』と書かれています。当時の日本人の体格は西洋人と比べて貧弱でした。しかも東京には"健全な肉体"を養成するための十分な運動場もなかった。そこで、そういう場所を提供するから、もっと体育、運動をして心身ともに鍛えなさいということだったんですね。もう1つは、園芸趣味普及。そのために温室があり、植物が育てられる環境もあった。心身の鍛錬と文化を育むことが開園時の趣旨であり、決して“娯楽”を目的としたものではなかったというのが、『としまえん』の始まりなんです」

 設立当初は今のように、周囲に住宅地や駅もない景勝地だったという。
「もともと、室町〜戦国時代に練馬城があり、そこを統治していたのが豊島一族。そこから名前をとって『としまえん』なんです。景勝地であったその城址の広大な土地に野球場やテニスコート、ボート池、ピクニックができる芝生広場、ちょっとした食事ができる食堂などが作られました。当時、周囲は田んぼで、富士山も見えたといいます。そんな背景があるので、『練馬城址 豊島園』という名前でスタートしています」
 日本の近代化を目的に開園された『としまえん』。やがて時代は流れ、経済的な豊かさとともに人々はより刺激的なレジャーを求めるようになっていく。
 内田氏が同園に入社したのは、バブル前夜の1981年。大学で機械工学を専攻していたことから、アトラクションのメンテナンス担当としての採用だった。だが、当時、大型の乗り物がほとんどなかったという事情から、入社から数年で、最新のアトラクションの発掘も兼務するようになり、アメリカやヨーロッパへと視察に飛び回った。
「アメリカはさすが遊び上手だけあって、乗り物も最先端。しかも、とにかくデカいものが多かったですね。一方でドイツは質実剛健で機械系統がしっかりしている。イタリアはデザインがスタイリッシュ。BMW、ベンツ、フェラーリといったクルマと同じだなあと(笑)、興味深く見て回ってましたね」

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