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【マネージャーインタビュー】元芸人のマネージャー明かす“サンドの素顔” 解散危機や震災報道を変えた一言とは
コンビ結成21周年を迎え、今年も大活躍だったサンドウィッチマン(C)ORICON NewS inc.
“サンドの為なら”と芸人からマネージャー転身「ただただ2人の成長がうれしかった」
林 信亨デビュー当時から知っています。僕は23歳で東京に出てきて、10年ほど芸人をやっていました。最初の相方はじゅんいちダビッドソンで、サンドウィッチマン(以下、サンド)と同じステージにも出ていました。僕が芸人を辞めて仕事で名古屋に転勤になった時には、高速バス乗り場までサンドの2人が見送りに来てくれました。それくらい仲も良くて、付き合いで言うと約20年になります。
――では友人関係からマネージャーに?
林 信亨そうですね。ちょうどバス乗り場まで見送りに来てくれた半年後に『M-1』で優勝したんです。それから一気に忙しくなった。急な展開で人手不足にもなり、事務所から「一緒にやりませんか」と声を掛けられました。
――元々芸人さんで、いきなり裏方をやることに葛藤はなかったですか。
林 信亨正直、未練や嫉妬の気持ちを持ってしまうのではとも思いました。でもそれよりも「このまま彼らを一過性のタレントにはしたくない」そんな気持ちの方が強かった。昔から2人の人間性が大好きで、“彼らの為なら親身になれる”と思ったんですよね。
――実際マネージャーをやってみて、いかがでしたか。
林 信亨それが心配していた葛藤は全然なくて、純粋に2人の成長がうれしかったですね。憧れていた笑いの天才たちに2人が織り込まれていって、僕が切り開けなかったただただすごい世界を見させてもらって感謝しています。
一度は解散も決意していた下積み時代、それでも仲間のブレイクは心から祝福していた
これまで一度も喧嘩をしたことがないものの、解散の危機はあったというサンドウィッチマン(C)ORICON NewS inc.
そして翌年2005年を勝負の年と決め、この年テレビでネタができなかったら辞めることを決意。すると、念願の『エンタの神様』(日本テレビ系)初出演が決まったのだ。2年後にはM-1優勝。その日だけで約20本ものテレビ出演が決まった。
林 信亨そうですね。彼らのブレイクのきっかけは、もちろん『M-1』も大きかったですが、僕はやはりこの時の『エンタの神様』がターニングポイントだったと思います。伊達が最近言うのは「面白かったのに売れなかったのは僕のせいだ」と。2人は昔から面白かったんですが、ツッコミの技術が追いついていなかったんです。『エンタ』に初めて出演してから、ネタの作り方ががらっと変わりました。無駄なセリフが一切なく、途中から見ても面白い。テレビに適したネタに変わったんですよね。『M-1』で優勝できたのも『エンタ』での経験がかなり大きかったと思います。
――本当に解散しなくて良かったですね。
林 信亨あの時「仙台に帰ります」と言われて、「辞めるのか、寂しいなぁ」と思ったのを覚えています。芸人は先の見えない道を走ってる。売れない芸人は真面目であればあるほど考え込んでしまうんですよね。伊達をお笑いの世界に誘った富澤も、自分自身に相当責任を感じていたようです。
――同期や後輩が次々と売れていく中で、焦りもあったのでしょうか。
林 信亨いや、それが彼らは「良かったね!おめでとう!」と心から言うんです。当時僕なんかは、そんなことは1ミリも思いませんでしたよ(笑)。だから直接2人に「なんであんなに喜ぶんですか?」と聞いたら「だって仲間が売れるって心底嬉しいじゃないですか」と。そう言われて「まじか!」と本当に驚きました。焦りがある中でも、そうやって他の芸人さんの成功をお祝いできる彼らの人間性には本当に感心しました。