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シリアスさを“ちょうどいい塩梅”に緩和する、吉高由里子マジックとは?
重くなりすぎる可能性のあったドラマに、“ヌケ”を作る吉高の存在感
主人公の恋模様なども同時進行するものの、当初は視聴者から戸惑いの声が上がったように、なかなかハードな内容なのは間違いない。視聴者にも身近な内容であるだけに、ともすれば重くなりすぎるし、正論であろうとも定時で帰る主人公が“鼻につく”といった反感を持たれる可能性もあっただろう。こうしたある種のネガティブな要素は、やはり職場でのパワハラ・モラハラが「リアルすぎてつらい、見てられない」と言われたドラマ『獣になれない私たち』(日本テレビ系)を彷彿とさせる。だが、『わたし、定時で帰ります。』はなぜか重苦しい雰囲気に陥ることなく、どこか“ヌケ”がある。それはやはり、主人公を演じる吉高由里子の存在があってこそだろう。
多彩な出演作の一方、素はどこか危うく、ユルくて自由
一方、演じていないときの吉高は、バラエティー番組や記者会見で見られるように、非常に自由。本ドラマの会見の際も「昨日、めちゃくちゃ落ち込んでギャン泣きするわ、べそかくわ」とネガティブモードで告白したと思えば、「今日、来てよかったです。みなさんにも会えたし…イエイイエイ」と、自分の気持ちに正直すぎる発言をして話題に。SNSでも赤裸々な心情を書き込むがゆえに、ときには「病んでる?」と心配されることすらある。このように多くの視聴者にとって吉高と言えば、ちょっと危ういが、どこか天然が入った、明るくユルいイメージだろう。早い話が、かつて福田彩乃にモノマネされていたハイボールのCMの「ウィ〜」そのままだ。そして、その言動からは、媚びたり嘘をついたりすることのない、表裏のなさも感じ取れる。
役柄の向こうに見える吉高自身、パーソナルが芝居に+αに働く
もちろん、吉高は演技力にも定評があり、高く評価されているのは確か。普通俳優は、芝居においてパーソナルな部分は隠そうとするものだが、本人が意図しているかどうかはともかく、吉高の場合はパーソナルが芝居に+αに働いているように見える。今回のドラマでも、「この人が言うなら仕方ないか」と妙に納得してしまうところがあるのだ。
自由奔放な生きざまは、昭和の名女優を彷彿させる
同年代には長澤まさみ、石原さとみ、新垣結衣といった人気女優が目白押しだが、吉高のような存在感を醸し出している女優はなかなかいないだろう。独特の浮遊感と危うさを漂わせながら、“いい塩梅”に着地させる。そんな吉高が今後はどのような演技を見せてくれるのか、楽しみである。