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初代ウルトラマンの正体は鞍馬天狗? スーツアクター・古谷敏が演じた“弱さ”と“哀愁”
乗り気でなかったスーツアクター「僕はメロドラマ映画の主演を目指していた」
古谷敏僕が東宝に入った昭和35年(1960年)、まだスーツアクターなんて言葉はなくて、「ぬいぐるみ役者」という言葉でくくられていた時代です。
――古谷さんは当初、俳優として活躍されていました。
古谷敏僕自身はメロドラマの映画に出演することを目指していたから、特撮は別世界と思っていました。そんな時に円谷プロができました。円谷プロ初の特撮番組『ウルトラ Q』で、ケムール人(※『ウルトラQ』に登場する架空の宇宙人)を演じる俳優を探していた。それで、背が高くて痩せていて、スケジュール的にも余裕があるヤツはいないかと…、それが僕だったんです。
――スーツアクターになるのは、あまり乗り気ではなかった感じですか?
古谷敏そうですね(笑)。最初はケムール人っていうのが何か分からなくて、衣裳合わせに行ってスーツを着られるのかと思ったら、スーツはぬいぐるみのことだった(笑)。「着ぐるみに入るために東宝を目指したわけじゃない」と断ったら、「1回だけでも入ってくれ」と言われ、そんな押し問答をして入ったわけです。
――それがスーツアクターの原点なんですね。当時の円谷プロの印象はいかがですか?
古谷敏当時の円谷プロは設備的にも不十分で、東宝の間借り状態でした。でも、若い人も多かったし、雰囲気としては「新しいものを作ろう」という熱意は感じられましたね。ただ、制作する体制については東宝とは雲泥の差がありました。スーツに着替える場所もなければ控室もない。撮影中に休憩する椅子もない有様でした。
スーツアクターの待遇改善を直訴!「ぞんざいな扱いを正してほしかった」
――とはいえ、その実績から初代ウルトラマン役の抜擢に繋がるわけですね。
古谷敏企画当初はウルトラマンという名前は伏せられていて、レッドマンとか仮の名前だったかな。円谷プロからは「今度は主役だから」なんて言われたんです。「100万円あげる」と言われるよりも、主役っていう言葉の方が俳優としてはずっと嬉しいものなんですよ。
――しかし、スーツアクターだとは知らされていなかったと。
古谷敏僕もよくよく騙される男で(笑)。聞いたら、主役だけどスーツアクターだと言われ、「着ぐるみに入るなら主役じゃないだろ!」って、また押し問答がありました。でも、どうしてもやってくれという話になって、デザイナーの成田亨さん(※ウルトラマンや怪獣のデザインを手がけた)が出てきたんです。「オーディションじゃなくて、古谷のためにウルトラマンをデザインしたんだから」とも言われました。
――相当悩んだわけですね。
古谷敏祖母に「口説かれているうちが花だから」と後押しされて決心しました。ただ、やるにあたって条件は出させてもらいました。
――どんなものですか?
古谷敏スーツアクターの待遇面についてです。円谷プロはスタートしたばかりで、俳優を使う土台ができてないのはしょうがない。けれど、スーツアクターのぞんざいな扱いはやめてほしいと。着替えの部屋はもちろん、給水用の水、撮影中に体を休める椅子を準備する、そんな風に中に入る人に対して思いやりをもって接してほしいということを伝えました。幸いにも、話をした脚本家の金城哲夫さんは円谷プロで『ウルトラマン』を企画して、脚本家陣の中心になった人でもあったから、ちゃんと約束を守ってくれました。
――スーツアクターの待遇改善は、古谷さんの要望がなければもっと遅れていたわけですね。
古谷敏その後、控え室も綺麗になったし、シャワーもつきました。撮影中も休憩できる椅子や、水分補給用のレモン水とか用意してくれて、その辺はしっかり対応してくれましたね。