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丸刈りで見せる女性タレントの本気度 ヌードや濡れ場とは異なる覚悟
“モモニンジャー”山谷花純、“丸刈り”に込めた思い
これについては、彼女が自身のブログで語っている。「10年前、私がこの仕事を始めた年にスタートした作品。10年という節目や自分の人生を考えて。このオーディションに落ちたらこの仕事を辞めると決めて受けた作品と役でした」「10年前の私は、人生で坊主にする日が来るなんて思ってもいませんでした」。そして「バリカン片手に鏡に映る自分の姿を見ながら、私らしいなって思いました。」と、自分自身で髪を切ったことも綴られていた。
“髪は女の命”、覚悟や禊としてビジュアルインパクトは絶大
5年前、峯岸はお泊り騒動の責任を取って、丸刈り姿で謝罪する姿を動画にアップ(現在は削除)。涙ながらに謝罪するその姿にファンのみならず、一般視聴者、AKBメンバーや芸能界でも広く動揺が走った。騒動後の選抜総選挙にもその丸刈り姿で出馬した峯岸は、自身のブログで「恥ずかしい気持ちも、格好悪さも、女の子としての複雑な気持ちも全部さらけだそうと、そう決めました」と記している。
「“恋愛禁止”を破った禊としては大きすぎるインパクトであり、同情を禁じ得ない瞬間。“覚悟”というものが不可視なものである以上、それを目に見える形で示さなければいけません。これは充分すぎる効果を発揮し、結果的にも彼女がAKB48や芸能界から消えずに活躍し続けるための“禊”として機能したのです」(衣輪氏)
“髪は女の命”とは「日本では奈良・平安時代からある概念」と衣輪氏。当時の美人の条件は緑色(つやのある黒髪)のロングヘアーであり、そこには霊力が宿るともされてきた。一方で仏教では権力や精力の象徴であり、自分を飾りたいという欲望を放棄するという意志を、坊主姿で表した。「つまり、丸刈り姿が覚悟を連想させるというのは、そもそも遺伝子レベルで我々日本人に染み付いているもの、ということ」(同氏)
作り手側への信頼にもつながる 丸刈りから演技派へ躍進
長澤によると映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の台本に“坊主”という言葉はなかった。だが、当時放送されていたドラマ『3年B組金八先生』で、白血病で坊主にしていた金八先生の息子役の子を見て、「負けたくない!」と行定勲監督に提案。2006年の『トップランナー』(NHK総合)では、「普段はカツラをかぶっていて、学校が規則でダメだったんです、坊主ってものが。全然ばれないんです。学校に行っても髪の毛綺麗だね〜って言われるんです。カツラつけて行くと」と話していた。
綾瀬は、当時「これで終わってもよい」と引退覚悟で挑んだことが知られている。自身から丸刈りになり、作中の描写に合わせて体重を増減する役作りも。このほか映画『おにいちゃんのハナビ』(2010年)で白血病の女性を演じた谷村美月。谷村は映画紹介サイト『映画.com』でインタビューに応じ、「この役にめぐり合えたことがうれしかったので、演じるからには坊主にしたいと思いました。役柄にとって必要なことだったし、私の意思を尊重してくれた事務所の人や周囲の方々に感謝しました」と話している。
「女優で“覚悟”というとヌードや濡れ場が連想されますが、これは諸刃の剣。一度脱いでしまうと、業界では“脱ぎ役”として挙げられることが多くなり、役柄が限定されることもありますが、“丸刈り”はそれ以上。伸びるまでに時間がかかり、それまでの期間は、ウィッグなどの手段はあれど仕事の幅も制限されてしまうでしょう」(衣輪氏)
とくに女性であれば丸刈り・坊主になるというのは相当な覚悟がないとできないもの。その覚悟を持ってまで挑みたかった作品で芝居することで、女優としての大きな成長もあるはず。「 “丸刈り”は、視覚としてだけでなく、作品にかける熱意や女優としての気概が制作側により伝わり、またオファーしたいという思いにもつながりやすくなる。結果、その人の女優としての価値も高めることになるでしょう」(同氏)
故・松下幸之助は「自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい」と語った。彼女たちはその覚悟でもって、自身の大切な人生を、楽しみながら歩んでいるのかもしれない。
(文/中野ナガ)