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“ネタバレ禁止”文化の是非 いきすぎた配慮で視聴・集客の妨げにも?

  • ネット時代、“ネタバレ禁止”文化の定着で【ネタバレ注意】の“配慮”が暗黙のルールに

    ネット時代、“ネタバレ禁止”文化の定着で【ネタバレ注意】の“配慮”が暗黙のルールに

 SNSの普及により、最近やたら目にするのが「ネタバレ注意」の文字。ドラマや映画、ライブ、コンサートなどの内容をSNSに投稿し、それをつい見てしまった未見のユーザーが激怒、ネタバレさせた側は炎上…といった騒ぎも頻発しており、今やネタバレしない・させないことは“暗黙のルール”となっているようだ。しかしよく考えれば、ある程度のネタバレから評判を呼び込み、興行収入や視聴率アップに結びつくケースも多々あり、ネット流の“口コミ”効果も決して否定できない。ネタバレする側、される側、各々がどれほどの“配慮”が必要となるのか?

回避は至難の業? 誰もが思いがけず“ネタバレ遭遇”するネット時代

 ネタバレについて“時間経過”で考えてみると、例えば映画なら「世に出た瞬間」にすでにOKなのか? 「不特定多数が見終える期間を過ぎた」ときにはいいのか? やはり「自分が結末を知る」まではNGなのか、個人の見解によって分かれる。ドラマでも放送の翌日ならいいのか、録画して観る人がいるから1週間後なのか、それとも再放送が始まるまでかなど、基準はあってないようにも思える。

 かつては学校で人気ドラマについて盛り上がりながらも、観ていない友人がいれば「結末話しちゃうけどいい?」なんて確認を取るのも“あるある”な光景だった。しかし、今ではネットですぐに不特定多数の人間と話し合える(コメントし合える)し、実況ツイートもひとつの娯楽だ。やはり、どんなに気を付けていても一方的にネタバレが目に入ってくる。ネットユーザーであれば回避しようもなく、ネタバレに“遭遇”することは誰もが起こり得る。

 こうした状況も、実際はかつての“クラスの会話”と基本的には同じだろう。得意気に結末を話してしまったり、うっかり内容を漏らしてしまう人間は昔からいる。そこでネット上では【ネタバレ注意】や「※これから先は内容に触れる表現があります」といった表現で注意を促したり、一部を伏字にしたりする“配慮”が生まれた。

 ちなみに最近は、ドラマ・映画・マンガの結末など、誰かと感動を分かち合いたい、でも、これから見る人たちのためにネタバレはしたくない…という人のためのTwitter連携サービス「fusetter(ふせったー)」というものもあり、500万ユーザーに利用されているという。これは特定の人にだけは原文のまま伝えるが、他の人には読まれたくない部分を伏せ字にしてツイートするという機能なのだが、これこそまさにネタバレ問題を逆手に取った新ビジネスとも言えるだろう。

音楽コンサートなどでは、暗黙の“ネタバレ禁止”文化が定着

 それでも自分が楽しみにしている作品であれば、やはり防ぎようのないネタバレは迷惑でもあり、できれば避けたいところ。例えば、NHKの連続テレビ小説を朝の8時に視聴して、その感想をツイッターに投稿したら「昼の放送で見るのに」「録画してまだ見てないのに」等々、直接または間接的に“苦情”が届き、慌てて投稿を消した人もいるのではないだろうか。楽しみにしていた分、余計にネタバレに“遭遇”してしまった絶望感も頷けるところはあるだろう。

 一方、そのようなファン同士の“揉め事”を未然に防ぐために、アーティストやアイドルのファンの間では、ライブツアーの最終公演が終わるまではセットリストや演出内容などがわかる感想を投稿しないという“ネタバレ禁止”文化が存在する。

 アーティストたちにとっても、参加回数に関わらずライブを観に来るファン全員を同じように楽しませたいという意識もあるのだろう。実際に、NEWSはメンバーの希望で“ネタバレ禁止”を徹底しており、ツアー中はネット上でほとんど情報が出ない。聖飢魔IIのデーモン閣下にしても、自身のファンクラブのサイトで「ネタバレを見ずに来てほしい」そして「『このあと初めて観に行く人』への気遣い」を要望しており、本人発信で“ネタバレ禁止”文化を啓蒙している。

 だが、基本的には“ネタバレ禁止”はファン側の“暗黙のルール”。ファン同士の“配慮”によって成り立っている部分が大きい。どこからNGなのか、どこまでOKなのか、ファンになりたてのネットユーザーにとっては困惑することのひとつでもあるだろう。

一方で、“ネタバレ”が視聴やチケット購入の促進に? ネット発のブームを生む可能性

 そして、“ネタバレ禁止”でネットならではのタイムリーな感想が制限される現状に、「ならばSNSを見なければいいのに」という“自衛”の意見があるのもまた事実だ。

 特に、最近では“ネット発”という言葉もよく聞かれるように、オープンにすることによってヒットに結びつける傾向もある。例えば、ゆずやVAMPS、SEKAI NO OWARI、きゃりーぱみゅぱみゅなど一部のアーティストは、ライブを撮影可・SNS拡散可とすることで、ライブ会場にいないファンとも一体となって盛り上がっているし、“ダサかっこいい”で再ブレイクしたDA PUMPもリリースイベントを撮影可としており、ファンが投稿したライブ映像がさらなる反響を呼ぶという“相乗効果”も。人気ミュージシャンの米津玄師も“ネット発”だったわけであり、そもそもヘビーネットユーザーのYouTuberからして、ネットに自分のすべての作品を上げていくのだから、「全部ネタバレ」みたいな存在である。

 また、せっかく映画やコンサートを観に行くわけだから、あえて“ネタバレ”をすることで予習するという人や、評判が良ければ、また、観たいシーンや聴きたい曲があればチケットを購入する人も一定数いるだろう。口コミともいえる“ネタバレを含む感想”でさらなる集客を狙えるはずだ。テレビやネット配信でも、“ネタバレ”自体が実況ツイートとして盛り上がりになったり、録画視聴率、次週の視聴率、再放送の視聴率のアップにもつながることもある。むしろ、“ネタバレ禁止”が厳しければ厳しいほどユーザーの“知る機会”が削られていき、結局は作品のヒットのチャンスが失われている可能性もある。

 つまり、場合によっては“ネタバレ歓迎”くらいのスタイルのほうが好きなコンテンツを応援しやすくなる面もあるだろう。とは言え、ネタバレを見ずに楽しみたいユーザーに「見なければいい」と訴えるのも、このネット時代では酷でもある。最終的には“ネタバレ”は、するかされるかではなく、ユーザー側がいかに自分の判断で情報を回避するか、取り入れるのか、という個人の意志の問題かもしれない。

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