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黒柳徹子、大衆を虜にし続ける“少女”の魅力
日本初のテレビタレント、各世代それぞれの黒柳徹子像
1976年から、“同一司会者による番組の最多放送回数”の世界記録として、ギネスにも認定された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)が放送され、1978年には伝説的な音楽番組として語り継がれていくことになる音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)がスタート……などなど、日本のテレビ界を代表する最重要人物であることは誰もが認めるところだ。そのほか、1981年に出版した『窓ぎわのトットちゃん』が大ヒットを記録し戦後最大のベストセラーとなるなど、まさに黒柳徹子は不世出の“マルチすぎるタレント”と言うしかない。
「黒柳さんのすごいところは、日本国民の各世代、老若男女の心の中に“それぞれの黒柳徹子”がいることでしょう。おじいちゃん、おばあちゃん世代であれば『夢であいましょう』(NHK総合)だし、中高年だったら『ザ・ベストテン』ですさまじい勢いでしゃべる“玉ねぎおばさん”です。そして今は、若い層にも“芸人キラー”のおばあちゃんとして(笑)、よく知られていますよね」(エンタメ誌編集者)
“芸人キラー”の異名も、少女らしさが爆発する『徹子の部屋』
芸人仲間から“傾向と対策”を学んだ後に『徹子の部屋』に出演した小島よしおにいたっては、チュートリアル・徳井義実の「意外と下ネタが好き」というアドバイスを真に受け、徐々にシャツのボタンを外していく“ボケ”をするもガン無視。しかも、最後にお決まりの「そんなの関係ねぇ」で締めようとするも、「…って3回もやるんですか?」と想像もしなかったツッコミを入れられてしまう。しかし、そんな想定外の黒柳の天然ボケっぷりも、無邪気な“かわいらしさ”“少女っぽさ”があるからこそ日本国民に愛されるのである。
「俳優の竹野内豊さんが『徹子の部屋』に出演した際は、番組終了間際というエンディングの場面で『芸能界入ってどうでした?』と壮大な質問を投げかけ、『この短い時間では答えられない…』と竹野内さんがパニックに陥るなど、芸人以外でも普通に“泣かせる”黒柳さん。8月に俳優のディーン・フジオカさんが出演した際は、特技のラップを披露してほしいとねだる黒柳さんに、『それじゃあ、ビートボックスをやってもらってもいいですか?』とディーンさんが“逆襲”。そんな無茶振りに黒柳さんは、動揺せず見事にボイパ風のリズムを刻んでみせて、改めてその偉大さを認識させられました(笑)」(前出・編集者)
そういったエピソードのほかにも、トレードマークとなっている“たまねぎヘア”にまつわる話題も満載。「心の清らかな人にしかプレゼントしない」というあめ玉がいつ“たまねぎヘア”から飛び出すか。また、レディー・ガガが“玉ねぎファッション”を披露したり、ももいろクローバーZ全員がおそろいの“玉ねぎ頭”で登場したり…コンスタントに何かしらの話題を提供してくれるのである。
謎めいたプライベートも幻想を高める要因に
タレントのみならず、ユニセフの親善大使や平和運動家、パンダ研究・保護といった文化人としての活動も高く評価されている黒柳。日本を代表する偉人なのだが、メイクをしてとびきりオシャレな洋服を着たり、スイーツを食べたり…インスタの投稿を見ていると、やはりどんな時でも何歳になっても“かわいい少女”なのだ。