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朝ドラのヒットを陰で支えるナレーション
近年は俳優や朝ドラ出演者がナレーションを担うことが多い
一方、「結婚して1ヶ月、新次郎(あさの夫)が、あさと夜を過ごすことはなかった」「(あさは)体だけは立派に育った」など、視聴者をクスっとさせるナレーションもあり、もちろん台本にあるわけだが、嫌味に感じることもなくすんなりと視聴者に受け入れられるのも、杉浦アナの実力・人柄の賜物だろう。そうした意味でも、『あさが来た』の高視聴率は、杉浦アナに支えられている部分も大きいと言えるのである。
では、歴代のNHK朝ドラのナレーション(語り)はどうだったのだろうか。最近の作品を前作から見ていくと、『まれ』は戸田恵子、『マッサン』はベテラン声優の松岡洋子、『花子とアン』は美輪明宏、『ごちそうさん』は「ぬか床の精」という設定の吉行和子、珍しい例として2008年後期の『だんだん』では、主題歌を歌う竹内まりやがナレーターを担当していた。その他、『あまちゃん』『純と愛』『カーネーション』のように、出演俳優がナレーションをするというパターンも多く、意外なことにNHKの局アナが担当した例となると、2008年前期の『瞳』(主演・榮倉奈々)の古野晶子アナにまで遡る。
物語をわかりやすく進行する上で、ナレーションの存在は必要不可欠
それが今回の『あさが来た』では、自前の局アナを起用して大好評を得ているのだ。そもそも1980〜2000年代前半までの朝ドラのナレーションは、ベテラン俳優とNHKの局アナがほぼ半分ずつ務めており、有働由美子アナや久保純子アナ(現在フリー)なども経験済みで、杉浦アナも1989年の『青春家族』以来の2回目。ベテラン俳優のほうは、ナレーターを務めていても「そうか、語りは八千草薫か……」と思うぐらいで(ちなみに野際陽子は過去3作品担当)、いい意味で“存在感がなく”、物語を壊すことはなかった。つまり、ドラマの主体はあくまで物語のストーリーであり、演技をする役者たちであり、ナレーションはそれらを下支えして、引き立てるためにあるということだ。当然、ナレーターにはその実力を持つベテラン俳優や局アナがあてられていたということだろう。
ナレーションは、声の響きやトーン、抑揚など、ナレーターの声質や技量がドラマ作品に様々な効果や影響を与える。最近はナレーションを使うドラマが少なくなったが、1話15分と短く、放送期間も長い朝ドラに関しては、物語をわかりやすく、テンポよく進行させるためにも、ナレーションの存在は必要不可欠である。ましてや、その存在感を微妙に消しながら、登場人物や時代・舞台設定を際立たせなくてはならないとなれば、ナレーターの役割は決定的に重要なのである。今作の杉浦アナの成功を見ても、視聴者はナレーターの知名度やインパクトより、ナレーション能力の高さ、わかりやすさに期待していることがうかがえる。そうした意味では、今回は、ドラマの「語り」の“原点”に帰ったことが功を奏したと言えるのかもしれない。
(文:五目舎)