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紀里谷和明監督インタビュー『映像美にこだわる“完璧主義者”は大きな誤解?』

紀里谷和明監督第3作目となる、アメリカ映画『ラスト・ナイツ』。「忠臣蔵」をベースにしたクラシカルなストーリーが、架空の封建国家を舞台に壮大なスケールで描かれる。クライマックスの雪が舞うチェコの古城で繰り広げられる討ち入り劇は、印象派の絵画のように陰影深く、美しい。クライヴ・オーウェンやモーガン・フリーマン、アン・ソンギら世界の名優を迎えて、ハリウッドで製作された大作の日本公開に向けて、エネルギッシュに宣伝活動に勤しむ紀里谷監督に話を聞いた。

ハリウッドへの憧れや映画へのロマンチシズムはない

――5年の歳月をかけて、ハリウッドで製作された新作映画『ラスト・ナイツ』。今回は、監督のほかに、プロデューサーも兼任されていますね?
紀里谷そこまでやらないと。待っていてもなにも始まらないんですよ。写真家から(キャリアが)始まったときから、ずっと言っていることですが、誰も欲しいものを差し出してはくれません。これは断言します。とくに若い子たちに言いたいんですけど、欲しいものは、自分から取りに行かないとダメ。待っていては、いつまで経ってもなにもできません。

――3DCGスクール「Alchemy」の学長も務めていますが、日本の若者たちに対して、じれったさのようなものを感じているのですか?
紀里谷よく若い俳優さんに「どうやったら、もっと俳優としていい映画に出られますか?」と聞かれるんですけど、「自分で映画を撮ってみたら?」って言うんですよ。「自分で映画を作って、主演で出れば、君は主演俳優になれるじゃないか」って。そのために脚本が必要なら、まずは脚本を書きなさいと。半端な気持ちでオーディションにいくつも行くくらいなら、まず脚本を書きましょうよ、というのが僕のやり方。僕は常にそうやってきました。お金がなければ集めに行くし、撮影監督がいなければ、自分で撮る。もしも俳優がいなければ出ますよ、自分で(笑)。今回も、資金集めに関わらなければこの映画が作れなかったから、プロデューサーもやりましたけど、本当なら監督だけやりたいですね。それでも今回は、ほかのプロデューサーもいましたから、今までより演出に専念できたと思います。
――初監督作『CASSHERN』(2004年)から、最新技術を貪欲に取り入れ、世界標準の映像を作り上げてこられましたが、ハリウッドの映画制作環境は、日本とは違いましたか?
紀里谷現場でやることは日本もハリウッドも同じです。野球だって、サッカーだって、やってることは一緒でしょ? オーディエンスのリアクションが違うとか、どんなクルマに乗って現場に行くか、それくらいの違いでしかない。アメリカにはCMやPVの撮影でよく行っていたから、戸惑うことも言語の問題もなかったし。だからハリウッドデビューという意識も僕のなかにはなくて。単純に、僕のやりたいことには予算が必要で、これだけのスケールの映画を撮れる場所が、たまたまハリウッドだったってこと。可能にしてくれるなら、中国でも、ロシアでも、アフリカでもどこでもよかったんです。とてもシンプルな話なんですよ(笑)。僕には、ハリウッドへの憧れや、映画へのロマンチシズムはありません。唯一あるのは、自分が作りたいものを撮りたい、ただそれだけ。あとは“それを可能にするためには?”を考えて、非常にロジカルな選択肢で遂行していくってことです。

圧倒的な不条理に対して一個人がどう思うのか

――「作りたいもの」というのは、初監督映画から一貫して、何度も観直せる映像作品ですか?
紀里谷映画に限らず、PVもそうですね。先日、三代目J Soul BrothersのPV(「Unfair World」)を撮ったときも「これは10年後も観れますか? 20年後も観られる作品になっていますか?」ということを、スタッフ、キャストに対して常に問いかけました。スタイリングや撮り方など、何に対しても、何度も観直せることは重要だと思います。そして、ひとりでも多くの人に観てもらいたいと思うのであれば、洋画だ、邦画だという意識、枠は越えていかなくてはいけないとも思う。今回(の『忠臣蔵』をモチーフにしたストーリーで)も、人種なんかどうでもいい。スタッフもキャストも(仕事が)できる人なら、国籍なんて関係なかったんです。

――過去2作を含め、『ラスト・ナイツ』の舞台も架空の世界でした。既存の形に捕らわれたくないという思いが強いのでしょうか?
紀里谷何が正しい、正しくないという議論に、あまり巻き込まれたくないんです。時代考証をして、コップの形が違うとか、そういう形に捕らわれることが、窮屈でしょうがない。様式美なんて、僕にとってはどうでもいいこと。重要なのは、本質の部分ですよね。

――つまり、作品のテーマということですか?
紀里谷『CASSHERN』『GOEMON』(2009年)『ラスト・ナイツ』は、多分に同じようなテーマを描いていると思います。いわゆる不条理に対して、ですね。いま現在の日本でも、アメリカでも言えることですけど、圧倒的な不条理が行われていて、それに対して一個人がどう思うのか? その思ったことに対して、どういう行動を起こすのか? ということを描いています。CGの使い方などで、観え方が全然違うけど、僕のなかでは3部作になっている。ただ、昔はできなかったことが、できるようになってきました。例えば、以前は12色しかなかった絵の具が、120色くらいに増えて、さらに違う色も混ぜて作れるようになってきたような。そういう位置に立たせていただいているという(技量や環境の)変化はあります。SFや活劇だったり、観え方は違っても、結局は3作とも“愛とは何か?”という話をしているだけです。

映画を観てもらうためなら何でもする

――愛を描くうえで、とくに“復讐”というモチーフを気に入っているということは?
紀里谷それはないです(笑)。復讐というのも単なる形ですよね。ある力が、もうひとつの力を踏みにじったときに起こる、憤りを体現化、行動に移していくという話で、その原動力となっているのは、やっぱり愛じゃないですか。『ラスト・ナイツ』で描かれるのも、君主に対する愛、そしてそれを踏みにじった方の原動力は、恐怖です。しょせんこの世界はすべて、恐怖と愛の対立でしかない。これは映画だけじゃなくて、社会を形成していくうえでも、普遍的なテーマですよ。恐怖と愛の闘い、光と闇のぶつかり合い、そのバランスでこの世界は成り立っているわけです。

――お話をうかがってみて、自由な方なんだと思い直しました。こだわりの映像美からほとばしる才気に、作品世界はすべて、ご自身の手で作り上げたい完璧主義者かと想像していましたが。
紀里谷それは大きな誤解です(笑)。今だって、全世界30ヶ国で公開が決まっているのに、さびしいことに日本だけ配給が決まらなかったから、自分で配給宣伝もやっているんです。やらなくて済むなら本当はやりたくないけど、映画を観てもらうためなら、何でもする。それは特別なことではなくて、切実にひとりでも多くのひとにこの映画を観てもらいたいから。そういう意味では、僕は肩書きなんかどうでもいい。映画監督という肩書きよりも、映画を作っていられることが重要なんです。僕たちの仕事はもっと自由なもの。新しい可能性の提示だったり、楽しい、気持ち悪い、怖い、悲しいという、極めて曖昧な感情のやりとりをするなかで、形に縛られ過ぎてしまうと、柔軟さが失われて、なぜこの仕事をしているのかさえ、わからなくなってしまう気がします。

――最後に、全世界30ヶ国で公開が決まっているBIGな本作の“日本公開”に、紀里谷監督がこだわる理由とは何ですか?
紀里谷日本は世界3番目のマーケットですからね。それも理由のひとつですけど……やっぱり日本の人に観てもらいたいっていうのはありますよ。日本の題材だし、日本人ですし。という思いがあるのに、なんでこんなに応援してくれないのかなあ? って悲しさもありますけどね(笑)。
(文:石村加奈)

ラスト・ナイツ

 戦士たちが追いやられようとしている帝国。強欲な大臣からの賄賂を断り、刀を向けたバルトーク卿(モーガン・フリーマン)は反逆罪に問われ、その後、死刑判決が下される。自身のまな弟子であり、後継者として信頼する騎士ライデン(クライヴ・オーウェン)により斬首されてしまうバルトーク卿――。
 その1年後、ライデンとほかの騎士たちは、刀を捨てていたが、その裏で彼らは主君バルトークの敵を討ち、堕落した権力者たちへ報復する戦いを始める……。

監督:紀里谷和明
キャスト:クライブ・オーウェン モーガン・フリーマン クリフ・カーティス アクセル・ヘニー ペイマン・モアディ
2015年11月14日(土)公開
(C)2015 Luka Productions.
【公式サイト】(外部サイト)

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