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活動休止経て紆余曲折のSING LIKE TALKING、結成30周年のいま

SING LIKE TALKINGが結成30周年を記念する、初のオールタイム・セレクションアルバム「Anthology」をリリースした。デビュー以来、マイペースに、でも常に新たなアプローチの音楽を打ち出しJ-POPシーンでも希有な存在感を持ち続けている彼ら。その根底にあるのは「こだわらないことにこだわる」SING LIKE TALKINGスピリットで、3人が描く世界観はどこまでも大きく、自由。30年たっても色褪せない音楽の秘密はそこにある。

初ライブでTOTOのメンバーと共演!超満員の会場で完全にアウェイ状態

  • アルバム『Anthology』

    アルバム『Anthology』

――今年でバンド結成30周年です。
佐藤 みたいですね。言われて気づきました(笑)。30年の月日を感じるのは西村さんの風貌ぐらいかなぁ。180度変わったから。昔はもっと女子っぽい感じだったんですよ。

――そうなんですか?
西村 違いますよ!(笑)。若く見られていただけです。
佐藤 20歳過ぎても、補導されていましたから。
西村 外国行くとお酒を買うときに、パスポート見せても信じてもらえませんでした。
佐藤 でも、それ以外は日数的に“30年”という感慨ぐらいしかないです。あっという間と言うには長いですけど、そんなにいろんなことを覚えてるわけでもないので。それよりも、日々生きていくのに精一杯ですよ(笑)。

――2013年にはデビュー25周年を迎えましたが。デビュー当時のことは覚えてます?
佐藤 覚えてますよ。デビューしてから3年ぐらいは売れなくて。レコーディングしてはちょっとだけコンサートやらせてもらい、あとはプロデューサーの奢りで飲んでるみたいな(笑)。お金もなかったなあ。

――焦りはありました?
佐藤 作品的には好きなように作っていたので焦りはなかったけど、セールス的になぜダメなんだろう?とは思ってました。でもムリに方向変換したり、割り切ったりせずとも、4枚目のアルバム『0[l∧v](ラブ)』から少しずつ結果が出てきたので幸せだったと思います。多分、ここでダメだったらレコード会社から契約を切られてたんじゃないかな。その背水の陣が、背水の水に落ちなくて良かったなっていう(笑)。

――4枚目から結果が出た=セールスに結びついた理由は何だったと思います?
佐藤 曲作りに関して基本的なものを変える意識はなかったけど、4枚目からオープンな感じというか。もうちょっと楽しんだほうがいいのかなっていうのがあったんですね。それは3枚目アルバムのプロデューサーだったロッド・アントゥーンから学んだことで、作り込むと同時に、それを楽しんでいくことも大事だってわかってきて。そこらへんのことをある程度、形にできたのが4枚目だったんだと思います。

――それまではもっとストイックだった?
藤田 1枚目、2枚目あたりはそうでしたね。
佐藤 2枚目は特にそうだったよね。1枚目はレコーディングできること自体が単純に嬉しかったけど結果が出なくて。じゃあ2枚目を作るってなった際に、自分たちのやりたい音楽と、その頃の時代のムーヴメントには相反するものがあり、でもどうすれば受け入れられるのかもわからない。経験もないですし。で、ただ、昇華と維持をしながら、眉間にシワを寄せて作っていた気がします。

――今もそうですけどデビュ―当時もSING LIKE TALKINGの音楽は、いわゆるJ-POPシーンとは一線を画す世界観を持っていましたよね。
佐藤 自分たちが聴いてきたのは、ほとんど洋楽でしたからね。もちろんオフコースや松任谷由実さん、山下達郎さん他当時魅かれた方たちは聴いていましたが、それ以外は洋楽だった。自分たちがいいと思う洋楽的な要素をSING LIKE TALKINGで実現したい、追いつきたいってことで頭がいっぱいでした。

――でも当時から、音楽業界の人やアーティストなど、“音楽通”の間では評価がすごく高かったですよね。
佐藤 評判と結果(セールス)が釣り合わないっていう(笑)。それはよく言われました。でもそれは多分、売れなかった3枚の間に、僕らのスタンスを認識してくれ、少しずつ定着していけたからだと思います。

――SING LIKE TALKINGは、時代に迎合せず、マイペースに自分たちの音楽を追求するバンドだと。
佐藤 その上で4枚目が非常にオープンで、メロディアスになったことで花が開いたんだと思うんですよね。なので1枚目から4枚目みたいな作品を作っていたら、また流れは違っていたのかもしれない。その点、プロデューサーとかもやりたいようにやらせてくれたので、僕らはひじょうに周りのスタッフに恵まれていたんじゃないかな。

――初ライブも、サポートメンバーの豪華な顔ぶれは今や伝説ですよね。TOTOのジェフ・ポーカロ(Dr)を始め、ネイザン・イースト(B)など、新人なのに世界の一流どころが揃った夢の競演で。
佐藤 ホント、すごかった。僕らにとっては一生の宝ですよ。特にジェフはもう亡くなってしまったし。彼は世界中のミュージシャンから尊敬される、世界屈指のドラマーですからね。おかげでデビューライブの渋谷クラブクアトロは2日間、満員でしたが、ほとんどがTOTOファンで、僕らは完全にアウェイ状態(笑)。自分たちのライブで超満員なのに自分たちのファンは5人もいないっていう、そんな状況って普通ないでしょ? これは世界でも例がないんじゃないかな。
藤田 お客さんから掛かる声がね、「ジェフ〜」だから。僕らの名前なんか呼ばれない(笑)。
佐藤 僕らの顔も見てないし、音楽も知らない。みんな歌ってる僕を通り越して、後ろのジェフを見てましたから。これはツラいです。
西村 僕はそこらへんのことは、実はあんまり覚えてないんですよ。ライブをあまりやらずにデビューしちゃったので、僕にとってはライブってだけで、すでに“アウェイ”状態で。だからテンパっちゃって、「ジェフ〜」も耳に入ってこなかった(笑)。

活動休止はひと言では言えない!疑似家族みたいだから良い時も悪い時もある

――ブレイクした4枚目以降も、SING LIKE TALKINGは独自のスタンスを崩さず、でもつねに新たなサウンドに挑戦してきました。それが何年たっても色褪せない理由のひとつだと思うのですが。
佐藤 僕らはミュージシャンであると同時にリスナーでもあるので、世界中の音楽――古いものも新しいものも――どんどん聴いて自分の中に蓄積されているわけですよ。で、蓄積されると同時に聴いたものに感動する回数も増えていくので、その“感動”を必ずそのときの作品に生かしていく。それは昔から変わっていなくて、自分たちの中に決まった音楽性があるというよりは、そのとき良いと思ったものを形にしているだけというか。平たく言うと、求められているものをやらない、あくまで自分たちが求めているものをやるってことで、そこは一生、変えちゃいけないなと思っています。

――確かに、SING LIKE TALKINGの音楽には、固定された印象がいい意味でないかも。
佐藤 そう思ってくれたら嬉しいです。25年間、ソウルもロックもヘビメタも、いろいろやってきましたけど、例えば自分たちが大好きで尊敬しているスティービー・ワンダーやポール・サイモンも、そのアーティストの名前を出さないと、やってる音楽のカラーが見えてこない。「スティービー・ワンダーといえばソウルだよね」って人はいないでしょ? スティービーはあくまでスティービーで、バンドやアーティスト自体がひとつの世界やジャンルになっている。そういうスタイルに憧れている部分はありますよね。

――そんな25年間の中で、2003年から2011年まで、バンドとしてはまったく活動してない時期がありましたが。この間、何があったんですか?
佐藤 やっぱりバンドは人間関係ですから、そりゃ、良いときもあれば悪いときもありますよ。活動停止したときもそれぞれの想いがあって、とりあえずちょっと(3人で)作りたくないって話になり、気づいたら何年もたっていたっていう感じで。

――“気づいたら”で6年は長いですね(笑)。
佐藤 そこは本当“気づいたら”(笑)。作りたいと思ったときしか作れないし、そのときはいろんなことをトータルで考えて、いま作っても良いものができそうにないなと思ったんですよね。
西村 気持ちが揃わないとね。事務所の社長からも頭冷やせよって言われたし。ただ社長は1年か半年ぐらいだと思っていたみたいだけど(笑)。
藤田 当時はいろんなことがズレてたんですよ。ものごとひとつ取っても、人によって見え方も感じ方もずいぶん違ってくるじゃないですか。そういう部分でそれぞれの立場なり、見方がものすごくズレてた。その中で作っても難しいってことで、結果、活動休止になったんです。
佐藤 僕ら、疑似家族みたいなもんですからね。ここまで長くいると。夫婦や親子でもつねに仲良く幸せではないわけで、それとまったく同じですよ。例えば10年間、父親と話してないけど、それをなぜ?って聞かれても、言いたくないこともあるし、ひと言では言えないこともあるでしょ。

――確かに……では、活動再開についてお聞きします。きっかけは関西のラジオ局・FM802主催のイベントで、そこで6年ぶりに3人が集まったそうですね。
佐藤 そもそも僕らは、802のおかげで最終的なブレイクをさせてもらった部分もあるんですよ。それで、活動休止しているときに、802のプロデューサーがイベントにはどうしてもSING LIKE TALKINGに出て欲しいって言ってくれて。802なら断るわけにはいかないし、どうしようって迷ったんです。802側も、そんな僕たちのことをギリギリまで待ってくれて、イベントのポスターは僕たちだけ合成だったっていう(笑)。で、やろう!って決まって久々に3人が集まったら802の人たちも、一緒に出演した小田和正さんはじめ、松たか子さんなどのアーティストたちも本当に喜んでくれて、僕らも実際、楽しかったんです、すごく。そしたらそれまでの6年とかどうでもよくなって、次の日には「レコーディグどうしようか?」って話をしていましたね。

――そこは先ほど言っていた“疑似家族”の強みですね。
佐藤 誰かに作られたバンドでも、大人になってからできたバンドでもないので、疑似血縁的な“曖昧の良さ”みたいなものがあるんでしょうね。
藤田 僕は若干、照れくさかったですけど。ただ、音を出してしまえば、僕らじゃないと出ない音があって。それをすごく感じることをできたのは大きかったと思いますよ。
佐藤 実際に活動をスタートしたのは10ヶ月後ぐらいだったけど、それまでに自分たちの気持ちも温められたので、いざレコーディングが始まったときはスムーズでしたね。

(文:若松正子)

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