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青山孝史さん通夜でメンバー悲痛「フォーリーブスはあいつで始まりあいつで終わった」

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 先月28日(水)に肝がんで亡くなった4人組グループ・フォーリーブスの青山孝史さんの通夜が3日(火)、東京・渋谷区の代々幡斎場にて営まれ、青山さんの遺影をバックにメンバーの江木俊夫おりも政夫北公次がインタビューに応じた。江木は「4人でいるステージが一番好きだった。再結成を口にしたのも青山。あいつで始まりあいつで終わったようです。彼のいないフォーリーブスなんて、という気持ちがあります」と目に涙を浮かべながら無念さをにじませた。

祭壇の様子=フォーリーブス青山孝史さん通夜 

祭壇の様子=フォーリーブス青山孝史さん通夜 

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 ター坊の愛称で親しまれた青山さんの突然の死を、いまだ受け止めきれていない様子の江木は「お通夜が来て(青山さんの死が)現実に感じ始めてる。彼がいると想定して“4人”でお答えします」と冒頭であいさつ。昨年10月28日に肝がんを告知されてもなおステージに立ち続けた青山さんに江木は「メインボーカルでしたし、責任を果たしたいというのがあったと思う」。北も「フォーリーブスを再結成して幸せだったと思う」と生涯現役であり続けた青山さんを称えた。

 また青山さんが生前、妻のめぐみさんに「死にたくない。一生歌いたい」と告げていたことが明かされると、おりもは「去年の中野サンプラザでの公演でも『死んでも歌っていたい』と言っていた。もしかしたら、どこかで自覚していたかもしれませんね」と早すぎた虫の報せに目頭を押さえた。

 めぐみさんと長女の憂子さんが選んだという遺影は、07年3月23日に東京・中野サンプラザで行ったコンサート時のものを使用。棺には家族からのお別れの手紙、チョコレート、天国でも曲が作れるようにと楽譜と鉛筆、フォーリーブスの歌詞とジャケットのコピー紙、大好物だったというウナうな丼、お守りなどが収められたという。好きだったお酒とタバコは、青山さんの生前の意向により入れられなかったという。

 青山さんは江木、おりも、北の4人で1967年にフォーリーブスを結成。アイドルグループの先駆者として活躍し、78年に解散するも2002年に再結成して亡くなる18日前まで全国ツアーに励んでいた。残り3ヶ所の公演は3人で予定どおり続け、おりもは「ター坊がそばにいると信じて頑張りたい」と誓っていた。

関連写真

  • 祭壇の様子=フォーリーブス青山孝史さん通夜 
  • おりも政夫、江木俊夫、北公次(左から) 
  • おりも政夫 
  • 江木俊夫 
  • 北公次 
  • 遺影は07年3月23日の東京・中野サンプラザ公演より 

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