1966年5月にスタートした日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜 後5:30)。今年2026年に60周年を迎えた。「大喜利」のコーナーに出演する落語家の三遊亭好楽、三遊亭小遊三、春風亭昇太、林家たい平、立川晴の輔、春風亭一之輔、桂宮治、座布団運びの山田隆夫が、このほど都内で会見を開き、思いを語った。
会見では「『笑点』が60年続いた理由は?」という質問が。ただ、自由気ままな回答をする好楽に昇太はツッコミ。好楽は「自分が山田隆夫だと思っていました」と照れ笑いを浮かべた。次順の小遊三は「答えにくい(笑)」と苦笑いで、60年続いた理由は「制作責任者の日本テレビさんとしか言いようがない。産みの苦しみはあったでしょうけど、箱根駅伝と同じでタスキをつないできた。ブレーキをした人もいれば、区間新記録を出した人もいる。なんとか、みんなでいい成績でタスキを次に渡したいと思っています」と話した。改めて好楽は「小遊三さんの言った通りです。プロデューサーも、あんなに変わっている。今のプロデューサーは、うちの娘と同い年。セコいんですよ、みんな(笑)。バトンタッチがうまくいったから60年も続いたんじゃないか。スタッフの勝利です」と力強く語った。昇太は「進化しなかった。普通の番組は視聴率が下がると、テコ入れをする。(『笑点』は)何のテコ入れもしない。そのままダラダラやってきた。ほかの番組が進化しても、『笑点』は進化しなかったからガラパゴス諸島みたいになった。ほかの地域では見られない不思議な生き物が生き残った。それがよかったんじゃないかなと本当に思います」と話していた。
たい平は「日曜日の夕方に必ず現れるお茶の間だった。お茶の間というのがこの国からなくなっていく中で、日曜日の夕方だけは、おじいちゃん、おばあちゃん、それからお孫さんまでが一緒になって、テレビの前に集まる。たぶん日本人のDNAの中に『これが幸せだ』というようなものを感じる。それを感じ取ってくれて、ずっと『笑点』が提供し続けることができたので、愛していただけてるのかなと思っております」としみじみ。“模範解答”に昇太は「こういうことを言わないと」と好楽をイジり、好楽は「今言おうと思った」と当意即妙に返して笑いが広がった。
晴の輔は「僕は一番新人でございまして…」と恐縮しながらも「感じるのが、個性が本当に皆さんバラバラなんです。バラバラのチームワーク。60年前から実は多様性があったのかなって思うぐらいにバラバラのチームワークが続いている秘訣(ひけつ)かなと思いました。家族という感覚です」と話した。一之輔は「お子さんに人気がある。色がカラフル。僕の知り合いのお子さんがセサミストリートと間違えて見ている。山田さんがエルモみたい。目に面白い。そういうのもいいんじゃないですかね」とボケていた。宮治は「全ての皆様のおかげです。ありがとうございます!」と話し、全員があきれると宮治は「最後は大変なんですよ!」とボヤく。実は“大トリ”として山田が残っており、カミナリが。宮治は「本気で怒られました」と苦笑いだった。改めて山田は「『笑点』60年、私も芸能生活60年。『笑点』は42年やらせていただいています。最初の(立川)談志師匠から前田武彦さん、三波伸介さん、五代目(三遊亭)円楽師匠、(桂)歌丸師匠と一緒にやってきました。みんなの師匠から『山田くん』とかわいがっていただきました。ぬるま湯に入ってるような状態で。とにかく熱くも冷たくもないぬるま湯でずっと来て、60年経ったと思います」と居心地の良さを語っていた。
「今後、司会者として『笑点』を盛り立てていきたいか」という質問が。昇太は「『笑点』という番組が日曜日の夕方のお茶の間に浸透したのは先輩たちがずっと長いことやってくださったおかげだと思っているんです。僕としては『笑点』が日本のテレビ番組の中で尖ってないホワンとした柔らかな笑いを提供する番組だと思っている。『笑点』という番組のファンの1人としても、そうなってほしいと思う。僕は司会をやっている身からすると、この記者会見のように普段は個々の落語家で、それぞれ仕事をしているんですけども、集まった時にふにゃっとした一体感みたいなもの作れていけたらいいなと思います」ときっぱり。「『笑点』は今年5月で60周年。その記念の年にメンバーとして居られることがありがたいことだと思っています。60周年でないと見られないような、そんなの特別なイベントであるとか、企画を準備しておりますので、ぜひ今後も『笑点』をお楽しみにご覧になっていただけるとありがたいなと思います」と呼びかけていた。
『笑点』60周年の会見に出席した(前列左から)三遊亭小遊三、春風亭昇太、三遊亭好楽、(後列左から)山田隆夫、春風亭一之輔、林家たい平、立川晴の輔、桂宮治 (C)ORICON NewS inc.
会見では「『笑点』が60年続いた理由は?」という質問が。ただ、自由気ままな回答をする好楽に昇太はツッコミ。好楽は「自分が山田隆夫だと思っていました」と照れ笑いを浮かべた。次順の小遊三は「答えにくい(笑)」と苦笑いで、60年続いた理由は「制作責任者の日本テレビさんとしか言いようがない。産みの苦しみはあったでしょうけど、箱根駅伝と同じでタスキをつないできた。ブレーキをした人もいれば、区間新記録を出した人もいる。なんとか、みんなでいい成績でタスキを次に渡したいと思っています」と話した。改めて好楽は「小遊三さんの言った通りです。プロデューサーも、あんなに変わっている。今のプロデューサーは、うちの娘と同い年。セコいんですよ、みんな(笑)。バトンタッチがうまくいったから60年も続いたんじゃないか。スタッフの勝利です」と力強く語った。昇太は「進化しなかった。普通の番組は視聴率が下がると、テコ入れをする。(『笑点』は)何のテコ入れもしない。そのままダラダラやってきた。ほかの番組が進化しても、『笑点』は進化しなかったからガラパゴス諸島みたいになった。ほかの地域では見られない不思議な生き物が生き残った。それがよかったんじゃないかなと本当に思います」と話していた。
晴の輔は「僕は一番新人でございまして…」と恐縮しながらも「感じるのが、個性が本当に皆さんバラバラなんです。バラバラのチームワーク。60年前から実は多様性があったのかなって思うぐらいにバラバラのチームワークが続いている秘訣(ひけつ)かなと思いました。家族という感覚です」と話した。一之輔は「お子さんに人気がある。色がカラフル。僕の知り合いのお子さんがセサミストリートと間違えて見ている。山田さんがエルモみたい。目に面白い。そういうのもいいんじゃないですかね」とボケていた。宮治は「全ての皆様のおかげです。ありがとうございます!」と話し、全員があきれると宮治は「最後は大変なんですよ!」とボヤく。実は“大トリ”として山田が残っており、カミナリが。宮治は「本気で怒られました」と苦笑いだった。改めて山田は「『笑点』60年、私も芸能生活60年。『笑点』は42年やらせていただいています。最初の(立川)談志師匠から前田武彦さん、三波伸介さん、五代目(三遊亭)円楽師匠、(桂)歌丸師匠と一緒にやってきました。みんなの師匠から『山田くん』とかわいがっていただきました。ぬるま湯に入ってるような状態で。とにかく熱くも冷たくもないぬるま湯でずっと来て、60年経ったと思います」と居心地の良さを語っていた。
「今後、司会者として『笑点』を盛り立てていきたいか」という質問が。昇太は「『笑点』という番組が日曜日の夕方のお茶の間に浸透したのは先輩たちがずっと長いことやってくださったおかげだと思っているんです。僕としては『笑点』が日本のテレビ番組の中で尖ってないホワンとした柔らかな笑いを提供する番組だと思っている。『笑点』という番組のファンの1人としても、そうなってほしいと思う。僕は司会をやっている身からすると、この記者会見のように普段は個々の落語家で、それぞれ仕事をしているんですけども、集まった時にふにゃっとした一体感みたいなもの作れていけたらいいなと思います」ときっぱり。「『笑点』は今年5月で60周年。その記念の年にメンバーとして居られることがありがたいことだと思っています。60周年でないと見られないような、そんなの特別なイベントであるとか、企画を準備しておりますので、ぜひ今後も『笑点』をお楽しみにご覧になっていただけるとありがたいなと思います」と呼びかけていた。
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2026/05/01