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“87歳”伝説の投資家・シゲルさん 19歳で投資をスタートした理由「もともと希少価値の高いコインを集めるのが好き」

 87歳の現役トレーダー・藤本茂さんが投資の極意を伝える書籍『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え  資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド刊)が、昨年11月の発売からすでに12万部を突破するなど好セールスを続けている。「日本のウォーレン・バフェット」と呼ばれるシゲルさんは、貧農生まれながら株で資産を18億円にまで増やした現役デイトレーダー。現在も3台のパソコンとモニターで常時80銘柄ほどをチェックしているという。シゲルさんが投資の“極意”を伝える同書から、株を始めることになったきっかけをつづったエピソードについて、一部抜粋して紹介する。

87歳の現役トレーダー・藤本茂さん(写真:川瀬典子)

87歳の現役トレーダー・藤本茂さん(写真:川瀬典子)

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■ペットショップで株に出合う

 就職先のペットショップは、神戸市中央区にある国鉄(現・JR)の元町駅の近くにありました。

 神戸の街を訪れたことのある方ならわかると思うのですが、神戸を代表する百貨店・大丸のすぐ隣で、横浜でいう中華街に当たる「南京町」の入り口という一等地です。ちなみに、当時ペットショップがあったところは、いまはスイーツショップになっています。

 南京町はいまでこそ有名な観光地になりましたが、私がペットショップで働いていた1950年代当時は、第二次世界大戦の神戸大空襲で受けた壊滅的な被害からまだ立ち直っておらず、神戸港に来航する船員向けのバーなどが立ち並ぶ退廃的な空間でした。

 ペットショップで売る動物も、船員たちが国外から持ち込んでくる生き物を買い取ることが多かったのです。いまでは完全な違法行為ですが、当時はそれが普通でした。

 株を始めたのは、そのペットショップのお客さんに証券会社の人がいたからです。カナリアの餌を買いに来た石野証券(現・SMBCフレンド証券)の役員でしたが、雑談をしながらいろいろと株の話を聞くうちに「自分もやってみたい」と思うようになったのです。

 もともと希少価値の高いコインを集めるのが好きで、なんとなく日本経済にも興味があったので、その延長線上といった感じでした。それに、動物好きな人に悪い人はいないですからね。

 それから、石野証券に立ち寄り、株を買うようになりました。当時、企業の資金調達手段は銀行からの借り入れが基本だったので、株式市場はそれほど活性化しておらず、個人で株を売買している人は多くなかったように記憶しています。少なくとも、いまのように個人投資家がたくさんいる状態とはかけ離れていました。

 私が初めて買ったのは、「早川電機(現・シャープ)」「日本石油(現・ENEOSホールディングス)」「大隈鐡工所(現・オークマ)」の株です。詳しいことは忘れてしまいましたが、たとえば当時の早川電機はテレビの本格的な量産を始め、「総合家電メーカーとしての発展」を打ち出したころでした。

 きっとこれから伸びていくだろうと感じてはいましたが、その株で「どれくらい儲かったか」とか「いつ売ったのか」については、まったく覚えていません。それは最近買った株でも同じです。取引が終わった直後には、その取引がよかったのか悪かったのかを反省する必要がありますが、それさえ終わればもう記憶に留めておく必要はありません。

 「どれだけ儲かったか」を覚えているような人は、「どれだけ損したか」にも執着してしまうものです。すぎ去ったことに思いを馳せても、ほとんどの場合、いいことはないですよね。投資を続けていくためには、成功・失敗にかかわらず、あまり過去にこだわらないことも重要な秘訣なのです。

 また、仮に早川電機の株を売ったときの値段を覚えていたとしても、いまとは貨幣価値が違うので、比べても仕方ないでしょう。

 日本銀行(日銀)のホームページでは、1965年と2022年の1万円の価値を比較しているのですが、企業物価指数からみると、1965年の1万円はいまの2万3000円に相当します。さらに消費者物価指数からみると、なんと4万3000円となっています。当時は1万円で買えたものが、いまは4万3000円支払わないと手に入らないということです。

 私が投資を始めたのは1955年ごろですから、1965年よりもさらに現在の物価指数と乖離(かいり)があります。

 私が株を始めたころの売買は、証券マンが取引所の立会場(たちあいじょう)で手でサインを出すことによって成立していました。いわゆる「場立ち(ばたち)」と呼ばれる手法です。ネット証券でしか取引したことのない若者にとっては、信じられない光景じゃないでしょうか。1970年ごろには、東京証券取引所(東証)の立会場だけで、計2000人くらいの証券マンがいたといわれます。あのころは、ものすごく活気が感じられましたね。

 立会場で見ることのできるサインも個性的でした。銘柄を伝えるにあたっては、NTT(日本電信電話)であれば「電話で話すしぐさ」を、トヨタ自動車であれば「片手でカタカナの『ト』を書いてから両手でハンドルを握るしぐさ」をするわけです。

 そのあと、「買い」か「売り」かの合図と株数・値段を表す数字をハンドサインで示します。よくあれで間違うことなく注文が通るもんだと思いましたよ。この場立ちは1999年に廃止されましたから、もう見ることはできませんが、もう一度、あの光景を見てみたいものです。

『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え  資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド刊)

『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え  資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド刊)

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■プロフィール
藤本茂/1936(二・二六事件の起こった昭和11)年、貧しい農家の4人きょうだいの末っ子として生まれる。高校卒業後ペットショップに就職。そこで証券会社勤務のお客と出会ったことから、19歳で投資を始める。その後、雀荘を経営しつつ株式投資に打ち込み、1986年に転換社債の投資を機に専業投資家となる。2002年、66歳のときに生涯で初めてパソコンを買い、ネット取引を開始。いまでは取引時間中はマーケット・経済ニュース専門のチャンネル「日経CNBC」の株式市況の放送をつけっぱなしにしながら、3台のパソコンとモニターで常時80銘柄ほどチェック。月6億円分を売買する。デイトレードがなにより大好きで、テクニカル指標を重視し、命の続く限り現役デイトレーダーを続ける意気込み。「投資に年齢は関係ない」がモットー。1990年代のバブル崩壊、2008年のリーマンショックによる激動の波乱相場も乗り越え、資産18億円を築く。テクニカル分析に経験と勘を織り交ぜ、巨額資金を運用する機関投資家にも立ち向かう。毎朝2時起きで相場に挑む投資歴68年、87歳の現役デイトレーダー。

関連写真

  • 87歳の現役トレーダー・藤本茂さん(写真:川瀬典子)
  • 3台のモニターでトレードに集中するシゲルさん(写真:川瀬典子)
  • 87歳の現役トレーダー・藤本茂さん(写真:川瀬典子)
  • 『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え  資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド刊)

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