NHKで放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』は、いよいよ7日に最終回(総合 後8:00〜、BSプレミアム 後5:45〜※15分拡大版)が放送される。天正10年6月2日に起きた日本史上最大の謀反(むほん)「本能寺の変」は、いかに描かれるのか? メイン脚本家の池端俊策氏が重視したのは「心の痛み」だった。
――全44回を書き終えた今の心境は?
【池端】前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』(1991年)でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之)のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとの狭間で何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました。
物語の後半は、一人一人の心理の葛藤が、書いていておもしろかったです。もちろん、それぞれ個性的な登場人物だったということもありますが、緊張感を強いられる中で人間を見つめるという作業はこのドラマの中でできたかなと思っています。
――「本能寺の変」を描くにあたり、重視したことは?
【池端】光秀と信長の「不思議な友情物語」を1年通して描いてきました。光秀と信長は、一緒に上洛し、大きな世の中にして平和をもたらそうと動いてきましたが、その先に、「本能寺の変」があるとは思えないんですよね。この信長を殺すとは光秀自身も思っていなかったでしょうし、信長も光秀に殺されるとは思っていなかった。どうやって「本能寺の変」にもっていくのか、実は僕もずっと悩んでいて、34〜35回あたりからちょっとずつわかってきて、37〜38回で、「あ、こうすれば本能寺にいくな」と思いました。
決定的になったのは、第40回で松永久秀が亡くなったシーン。残された平蜘蛛の意味を考えていくうちに、「つまりここで光秀は信長と離れていくんだ」と明確になっていき、そこからはクライマックスに向けて坂道を転げ落ちるような勢いで一気に書き上げました。40回というのは、僕にとって非常に大きな回でした。
光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても「やった!」という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました。
――作品を通して伝えたかったことは?
【池端】一番に思うことは、やっぱり書いていて楽しい世界だったなということです。戦いに明け暮れる世界の人たちでしたが、それでも楽しかった。「世の中は美しいか醜いか」という伊呂波太夫(尾野真千子)のせりふにもありましたが、みんなどこか美しいですよね。それが救いでもありました。
戦のない平和な世の中を望むことは、今の現代人にも共通しています。今まで人間は戦を繰り返してきたわけで、本当の平和が世界に行き渡ったことがないんですよね。『麒麟がくる』というタイトルも、昔も今も平和をのぞむという人間共通の夢が込められている題名だと思っています。
また、夢を持って生きることの大切さを描けたのもよかったです。今はまだまだコロナ禍でつらい世の中ですが、なおさら夢は持ち続けなきゃいけないと思います。
――全44回を書き終えた今の心境は?
【池端】前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』(1991年)でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之)のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとの狭間で何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました。
――「本能寺の変」を描くにあたり、重視したことは?
【池端】光秀と信長の「不思議な友情物語」を1年通して描いてきました。光秀と信長は、一緒に上洛し、大きな世の中にして平和をもたらそうと動いてきましたが、その先に、「本能寺の変」があるとは思えないんですよね。この信長を殺すとは光秀自身も思っていなかったでしょうし、信長も光秀に殺されるとは思っていなかった。どうやって「本能寺の変」にもっていくのか、実は僕もずっと悩んでいて、34〜35回あたりからちょっとずつわかってきて、37〜38回で、「あ、こうすれば本能寺にいくな」と思いました。
決定的になったのは、第40回で松永久秀が亡くなったシーン。残された平蜘蛛の意味を考えていくうちに、「つまりここで光秀は信長と離れていくんだ」と明確になっていき、そこからはクライマックスに向けて坂道を転げ落ちるような勢いで一気に書き上げました。40回というのは、僕にとって非常に大きな回でした。
光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても「やった!」という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました。
――作品を通して伝えたかったことは?
【池端】一番に思うことは、やっぱり書いていて楽しい世界だったなということです。戦いに明け暮れる世界の人たちでしたが、それでも楽しかった。「世の中は美しいか醜いか」という伊呂波太夫(尾野真千子)のせりふにもありましたが、みんなどこか美しいですよね。それが救いでもありました。
戦のない平和な世の中を望むことは、今の現代人にも共通しています。今まで人間は戦を繰り返してきたわけで、本当の平和が世界に行き渡ったことがないんですよね。『麒麟がくる』というタイトルも、昔も今も平和をのぞむという人間共通の夢が込められている題名だと思っています。
また、夢を持って生きることの大切さを描けたのもよかったです。今はまだまだコロナ禍でつらい世の中ですが、なおさら夢は持ち続けなきゃいけないと思います。
2021/02/01