歌手の松山千春(65)の母・ミヨさんが、16日午前0時3分、北海道・足寄町内の介護療養型老人保健施設で老衰のため亡くなった。99歳だった。通夜は17日、葬儀・告別式は18日に同町の證道寺で執り行われた。
ミヨさんは大正10年(1921年)3月15日に足寄町で生まれた。千春はコンサートの中で、「大正生まれというとピンとこない方も多いと思うが、よくあの太平洋戦争を生き抜いたと思う」と母親の話題をたびたび持ち出していた。
父親の明さんは地元で新聞を出し続けていたが、貧しい生活の家計を支えるためミヨさんは家族のために働き続けてきた。その明さんは1995年11月7日に80歳で他界、さらに3年後の98年4月29日には長女の絵里子さんも舌がんのために48歳で亡くなった。ミヨさんは同町で生活していたが、ここ数年は体力面での不安もあって、同級生が理事長を務める町内の施設に入院していたという。
千春は「寝たきりの状態で、途中からは俺のこともわからないくらいだったけど、ある時『また。来るからな』って声をかけたら『また来てね』って、ちゃんと答えていた。やっぱり俺にとってオフクロはオフクロだよな」と晩年のエピソードを明かす。「足寄に帰った時は、ちょくちょく言葉をかけて、もちろん話は噛み合わないかもしれないけど、それでもやっぱり話はすべきだと思ってきた」。
先週も母親の元を訪れた。「力は落ちていたように感じたけど元気そうだったから。どんな形であれ1日でも多く生きて…それに100歳になる目標があったからな。とにかく100歳になったら足寄町からお祝い金が出ることになっていて、オフクロは、そのお祝い金をもらうのを楽しみにしていたんだよ。もちろん100歳になったら盛大にお祝いをやってあげたいと思っていたし。だから、あと2ヶ月、何とか頑張れるだろうと思っていたし、頑張ってほしかった。それだけに残念でたまらない」。
「親孝行したい時には親は無しっていうけど、コロナ禍の中で、そばにいられなかったっていうこともあるけど、出来れば、もっと一緒にいてあげればよかったかなあと思う」。今月25日デビュー45周年を迎える千春。その記念すべき年の不幸でもあり、ショックは隠しきれなかった。
ミヨさんは大正10年(1921年)3月15日に足寄町で生まれた。千春はコンサートの中で、「大正生まれというとピンとこない方も多いと思うが、よくあの太平洋戦争を生き抜いたと思う」と母親の話題をたびたび持ち出していた。
千春は「寝たきりの状態で、途中からは俺のこともわからないくらいだったけど、ある時『また。来るからな』って声をかけたら『また来てね』って、ちゃんと答えていた。やっぱり俺にとってオフクロはオフクロだよな」と晩年のエピソードを明かす。「足寄に帰った時は、ちょくちょく言葉をかけて、もちろん話は噛み合わないかもしれないけど、それでもやっぱり話はすべきだと思ってきた」。
先週も母親の元を訪れた。「力は落ちていたように感じたけど元気そうだったから。どんな形であれ1日でも多く生きて…それに100歳になる目標があったからな。とにかく100歳になったら足寄町からお祝い金が出ることになっていて、オフクロは、そのお祝い金をもらうのを楽しみにしていたんだよ。もちろん100歳になったら盛大にお祝いをやってあげたいと思っていたし。だから、あと2ヶ月、何とか頑張れるだろうと思っていたし、頑張ってほしかった。それだけに残念でたまらない」。
「親孝行したい時には親は無しっていうけど、コロナ禍の中で、そばにいられなかったっていうこともあるけど、出来れば、もっと一緒にいてあげればよかったかなあと思う」。今月25日デビュー45周年を迎える千春。その記念すべき年の不幸でもあり、ショックは隠しきれなかった。
2021/01/19