19日よりスタートした大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)。大河ドラマで初めて戦国時代の武将・明智光秀の生涯を描く。光秀を演じるのは長谷川博己。本作で長谷川は「(池端俊策)先生が描かれる新しい光秀像を精いっぱい演じたいと思います」と、気合い十分。視聴者がまだ知らない、これから1年間かけて見ていく“新しい光秀像”の作り手である池端氏は、長谷川の光秀をどう見ているのか。
「長谷川さんを見て、今の時点で多くの方が『光秀にぴったり』だと思うのは、従来のイメージからそう思うのでしょう」と池端氏。従来のイメージとは「これまで描かれてきた光秀は『信長公記』(江戸時代初期)が基になっており、頭が良いけど陰気で、繊細すぎて、信長とはそりが合わなくて、いじめられた挙げ句、本能寺の変を起こした。逆賊であったという発想からスタートした光秀像です」。
そんな既存のイメージを「白紙」にして、「違った角度から光を当てることで、別の顔を描き出します」と挑んでいるのが『麒麟がくる』だ。
「光秀には陰湿なイメージがつきまとうけれど、本当にそうだったのだろうか。僕はむしろ、透明感のある人物だったのでないかと思った。41歳の時に織田信長と足利義昭を出会わせた人物として歴史の表舞台に出てきてから10数年で、その名を後世に残した人物。信長の家臣の中でもスピード出世して家臣のナンバー1まで上りつめ、秀吉のライバルとなった。それだけの勢いがあった人物には相応の魅力があったと思うし、一方でいつ命を狙われてもおかしくない緊張感に満ちた生き方をしてきた人だろう、と」。
透明感があって、緊張感があって、時代を駆け上っていく勢いがある――池端氏が思い描く光秀を誰が演じたら説得力があるのか。ピンときたのが長谷川だったという。
「長谷川さんには、『夏目漱石の妻』(16年、NHK)で夏目漱石を演じていただいて、すごく素敵な俳優さんだと思った。繊細で、誠実で、やさしさがあって。でもどこか殺気立つような緊張感があって。長谷川さんは従来のイメージを抜け出して、なおぴったり。光秀役のためにいる人だと思っています」と、大満足の様子だ。
■『麒麟がくる』はどんなドラマに?
作者の池端俊策氏は、昭和の時代から映画やドラマで活躍してきた脚本家だ。大河ドラマは1991年『太平記』(主演は真田広之)以来、2作目となる。
竜の子プロダクションを経て、今村昌平監督の脚本助手となり、映画『復讐するは我にあり』(1979年)、『楢山節考』(83年)などの脚本に携わる。脚本家として独立後は、『太平記』のほかに、NHKでは『聖徳太子』(2001年、主演は本木雅弘)、『夏目漱石の妻』(16年、主演は尾野真千子)。ビートたけし主演の『昭和四十六年、大久保清の犯罪』(1983年)、『イエスの方舟』(85年)、『破獄』(2017年)という傑作も生み出してきた。
「池端が書くものはどうも小難しい、わかりにくいと言われ続けて、それでも『いいや』と思ってやってきた。僕自身は変わらないし、変わってはいけないと思っている。しかし、『太平記』を書いた頃と、今とでは視聴者が変わった。以前は多少わかりにくくても許されたものが、今はきちんとわかるように作らないと受け入れてもらえない。日本人がどう歩んできたのか、戦国時代はどういう時代だったのか、一生懸命書いても通じないのでは意味がないですから、ある程度わかりやすく書こう、と心がけて仕事をしているつもりです。それでもやっぱり、難しいなって言われるかもしれないですが(笑)」。
『麒麟がくる』はどんなドラマになるのか。
「光秀は、美濃の明智荘(あけちのしょう※現在の岐阜県可児市)というところで生まれ育ったことはほぼはっきりしていますが、41歳頃まで彼がどこで何をしていたのか、まったくわかっていない。史料がなく、研究者たちも推測の域を出ない。
ただし、周りの状況についてはわかっていることも多い。織田信長は光秀より年下であることや、美濃の守護代・斎藤道三については研究が進んで、かつては油売りから一代で成り上がったと言われていたが、実は親子二代で築き上げたもので、道三は優秀な2代目だったということなど。
ドラマは作るもので、研究成果の発表の場ではありませんので、41歳まで何をしていたのか考えるのは自由なわけです。光秀は道三のことをどう思っていたのか、信長と初めて会った時にどういう衝撃を受けたか、リアクションから光秀像を導き出していく。すごく僭越ですけれども、自分がどう感じるかを書けばいいんだな、と思って書き進めています。光秀の新鮮な視点でとらえた当時の英雄たちの姿と、戦後の世を活写できればと考えています」。
「長谷川さんを見て、今の時点で多くの方が『光秀にぴったり』だと思うのは、従来のイメージからそう思うのでしょう」と池端氏。従来のイメージとは「これまで描かれてきた光秀は『信長公記』(江戸時代初期)が基になっており、頭が良いけど陰気で、繊細すぎて、信長とはそりが合わなくて、いじめられた挙げ句、本能寺の変を起こした。逆賊であったという発想からスタートした光秀像です」。
そんな既存のイメージを「白紙」にして、「違った角度から光を当てることで、別の顔を描き出します」と挑んでいるのが『麒麟がくる』だ。
「光秀には陰湿なイメージがつきまとうけれど、本当にそうだったのだろうか。僕はむしろ、透明感のある人物だったのでないかと思った。41歳の時に織田信長と足利義昭を出会わせた人物として歴史の表舞台に出てきてから10数年で、その名を後世に残した人物。信長の家臣の中でもスピード出世して家臣のナンバー1まで上りつめ、秀吉のライバルとなった。それだけの勢いがあった人物には相応の魅力があったと思うし、一方でいつ命を狙われてもおかしくない緊張感に満ちた生き方をしてきた人だろう、と」。
透明感があって、緊張感があって、時代を駆け上っていく勢いがある――池端氏が思い描く光秀を誰が演じたら説得力があるのか。ピンときたのが長谷川だったという。
「長谷川さんには、『夏目漱石の妻』(16年、NHK)で夏目漱石を演じていただいて、すごく素敵な俳優さんだと思った。繊細で、誠実で、やさしさがあって。でもどこか殺気立つような緊張感があって。長谷川さんは従来のイメージを抜け出して、なおぴったり。光秀役のためにいる人だと思っています」と、大満足の様子だ。
■『麒麟がくる』はどんなドラマに?
作者の池端俊策氏は、昭和の時代から映画やドラマで活躍してきた脚本家だ。大河ドラマは1991年『太平記』(主演は真田広之)以来、2作目となる。
竜の子プロダクションを経て、今村昌平監督の脚本助手となり、映画『復讐するは我にあり』(1979年)、『楢山節考』(83年)などの脚本に携わる。脚本家として独立後は、『太平記』のほかに、NHKでは『聖徳太子』(2001年、主演は本木雅弘)、『夏目漱石の妻』(16年、主演は尾野真千子)。ビートたけし主演の『昭和四十六年、大久保清の犯罪』(1983年)、『イエスの方舟』(85年)、『破獄』(2017年)という傑作も生み出してきた。
「池端が書くものはどうも小難しい、わかりにくいと言われ続けて、それでも『いいや』と思ってやってきた。僕自身は変わらないし、変わってはいけないと思っている。しかし、『太平記』を書いた頃と、今とでは視聴者が変わった。以前は多少わかりにくくても許されたものが、今はきちんとわかるように作らないと受け入れてもらえない。日本人がどう歩んできたのか、戦国時代はどういう時代だったのか、一生懸命書いても通じないのでは意味がないですから、ある程度わかりやすく書こう、と心がけて仕事をしているつもりです。それでもやっぱり、難しいなって言われるかもしれないですが(笑)」。
『麒麟がくる』はどんなドラマになるのか。
「光秀は、美濃の明智荘(あけちのしょう※現在の岐阜県可児市)というところで生まれ育ったことはほぼはっきりしていますが、41歳頃まで彼がどこで何をしていたのか、まったくわかっていない。史料がなく、研究者たちも推測の域を出ない。
ただし、周りの状況についてはわかっていることも多い。織田信長は光秀より年下であることや、美濃の守護代・斎藤道三については研究が進んで、かつては油売りから一代で成り上がったと言われていたが、実は親子二代で築き上げたもので、道三は優秀な2代目だったということなど。
ドラマは作るもので、研究成果の発表の場ではありませんので、41歳まで何をしていたのか考えるのは自由なわけです。光秀は道三のことをどう思っていたのか、信長と初めて会った時にどういう衝撃を受けたか、リアクションから光秀像を導き出していく。すごく僭越ですけれども、自分がどう感じるかを書けばいいんだな、と思って書き進めています。光秀の新鮮な視点でとらえた当時の英雄たちの姿と、戦後の世を活写できればと考えています」。
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2020/01/24