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恋愛群像劇の名手・今泉力哉監督、伊坂幸太郎原作の実写化は「怖い」

■「Film makers(映画と人 これまで、そして、これから)」第19回 今泉力哉監督

 人気作家・伊坂幸太郎の恋愛小説集を映画化した『アイネクライネナハトムジーク』。伊坂自身が「映画化するならぜひ」と指名を受けたのが、恋愛群像劇の名手として映画ファンから注目を集めている今泉力哉監督だ。オリジナルから原作ものまで「心になにかを残してくれる」登場人物を作り上げるキャラクターづくりのルーツはどこにあるのだろうか――。

今泉力哉監督 (C)ORICON NewS inc.

今泉力哉監督 (C)ORICON NewS inc.

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■伊坂幸太郎原作を実写化する怖さ

 伊坂幸太郎という日本を代表する作家の原作を映画化することに、「伊坂さんの小説は読んでいましたし、映画化された作品も観ていたので、ありがたいと思う一方で、怖いなというのが正直な思いでした」と映画化のオファーを受けたときの率直な感想を述べる。

 「怖さ」の理由を、今泉監督は「伊坂さんの作品の登場人物には、キザなセリフをサラッと言うような場面があります。でも生身の人間にそういうセリフを言わせたとき、どうなんだろうと思ったんです。さらにミステリー的な要素として、隠された情報を知るタイミングをどうするか。特に伊坂さんの小説は、顔が見えないという部分で引っ張ることも多いので、そのタイミングは群像劇としては非常に重要なんです」と語る。

 そんななか、今泉監督は、過去に実写化された伊坂作品を観て「うまくいっているものは、キザっぽいセリフを、誰かに集約して言わせているなと気づきました」とポイントを挙げる。続けて「例えば『アヒルと鴨のコインロッカー』で言えば(河崎を演じた)瑛太さんがそういう部分を担っていました。この映画に関して言えば(矢本悠馬演じる)織田一真がそれだなと思ったので、意識して伊坂さんらしい言い回しは彼に集約させました」と説明する。

■群像劇の名手と言われる今泉監督の原体験は『ホーム・アローン』

 この言葉通り、一真のキャラクター性の面白さはもちろんだが、三浦春馬演じる佐藤、多部未華子扮する紗季をはじめ、本作に登場する人物たちはみな、いわゆる映画的な見せ場が存分にあり、今泉監督の過去の作品に通じるキャラクターへの愛を感じる。主人公を際立たせるためや、物語を進行させるための説明的な人物がいない。

 「この映画は原作がありましたが、オリジナル作品でも、僕自身が主人公のために、登場人物を構成していくことを面白いと思っていないんです。やっぱりどんな人にも人生があるので、登場させるならば、しっかりとその部分を描きたい。もともと僕は小さいときから、メインの話があるなか、脇の人のちょっとしたサブエピソードに心動かされて泣いてしまうことが多かった。だから群像劇を好んで描いているのかもしれません」。

 こうした今泉監督の特性を表すエピソードが、子供のころに観た『ホーム・アローン』シリーズだという。この作品は、クリスマス休暇に、家族に置き去りにされた少年と、家に押し入ってきた2人組の泥棒とのドタバタコメディーが繰り広げられるが、今泉監督は映画を観て、脇のキャラクターたちに感情移入してしまったというのだ。

 「パート1では、主人公ケビンの近所に住む、殺人鬼と呼ばれたちょっと変わったマーリー老人、パート2では、鳩おばさんのエピソードにめちゃめちゃ感情移入してしまって……。特にパート2では、映画館で号泣してしまい、劇場を出たあと、次回を待っているお客さんが、僕があまりにも泣いているのを見て驚かれていたことを覚えています。『ホーム・アローン』がサブエピソード好きの原体験になっていると思います」。

 さらに今泉監督作品に共通しているのが「少しダメな、弱点がある人間」を愛情いっぱいに描くこと。「欠点や弱さがある人しか主人公にはなれないと思っているんです。だからこそ、なにかを求めて行動する。『アイネクライネナハトムジーク』の佐藤もそうですし、『愛がなんだ』の登場人物もそう。極端な話ですが、リア充というか、いま自分の人生に満足している人にとっては、僕の映画は面白くないかもしれません(笑)。そもそも、映画を観たり、小説を読んだりすることって、漠然と埋まらないものを埋めようとするものなのかなと思うんです」。

■『愛がなんだ』のヒットも浮かれることなく良い部分と悪い部分を見つめる客観的な視点

 今泉監督が手掛けた前作『愛がなんだ』は、劇場公開されると大きな反響を呼び、スマッシュヒットを記録。もともと『こっぴどい猫』や『サッドティー』などの恋愛群像劇では、独特なキャラクターの切り取り方で高い評価を受けていたが、『愛がなんだ』でその名前は広く知れわたり、本作では、劇場館数を含め、制作規模も大きくなった。それでも今泉監督は「大きな作品でも、小さな作品でもやることは変わらない。『愛がなんだ』がヒットしてなにか変わりましたか? と聞かれることがありますが、過去作を観てもらえる機会が増えたぐらいで、いまも昔も同じことをやっているという意識は強いです」とスタンスに変わりがないことを強調する。

 それでも、制作規模の大きな作品だからこそ得られたことも実感しているという。「例えばボクシングシーンやバスのシーンなど、大掛かりな撮影になると、目の前の芝居を観てカットを割るやり方では通用しないので、あらかじめ決めておかなければいけない。カメラマン、助監督などの存在が大いに助けになりましたし、出来上がった作品を観たとき『これは自分で作った作品なのか』という驚きもありました。こうした経験は大きく、次にまた大きな規模の作品の話がきたときには、最低限の自信をもって臨めるかなという思いはあります」。

 スタンスは変わらないとは言うものの、規模が大きくなれば、必然的にターゲット層も広く設定することになる。しかしこうしたマーケティング的な思考にも「普段映画を観ない人と、映画好きでは、作品の見方は違いますよね。ターゲット設定というのは、マーケティング論的には有効なのかもしれませんが、僕は作品の強さは、誰か一人のために作った思いだと感じています。例えば、好きな人へのメッセージや、亡くなったお父さんへの思いなど、明確に誰かのために作った作品のメッセージというものは、マスに広がると思っています」と強い視線で語る。

 一方で「『愛がなんだ』はヒットしましたが、これまでの作品で、あそこまでナレーションを使って説明したことはなかった。それがわかりやすさとしてヒットした要因なのかなと見ている部分もあるんです」と冷静な視点も持つ。常に出来上がった作品に対して、客観的な目線を持つことも、今泉監督にとっては大切なことだという。とは言うものの「大前提として、自分が面白いと思えないけれど、めちゃくちゃヒットすることを狙って作品を作ることほど悲しいことはないので、それだけはやりたくないです」と自身のポリシーは譲れないという。

■今泉監督にとって魅力的な俳優とは

 愛すべきキャラクターたちを丁寧に紡ぐ今泉監督。そんな人物の命を吹き込む俳優。監督にとって、魅力的な俳優とはどんな存在なのだろうか。

 「良い俳優とか良い芝居ということを言語化するときに使っている表現は4つあります。一つはいかに相手の芝居を受けられるか。もう一つはいかにアイデアを持っているか。あとはいかに違和感を持てるか。監督や脚本を絶対だと思わず、そこに疑いを持つこと。それが自身の芝居のアイデアにもつながると思うんです」。

続けて、今泉監督はもう一つの重要な要素について言及する。「この3つとは全く関係なしに“人としての魅力的”であること。イケメンだったり、美人だったり、キャラクターがすごくある人だったり……。芝居ができなくても、映画というのは再現性のメディアではないので、一回奇跡を起こしてしまえば、それでOKになってしまう。残酷なようですが、そこでキャスティングされることも多々あります」。

 前述したように、『アイネクライネナハトムジーク』は、これまで今泉監督が手掛けてきたどの作品よりも公開規模が大きい。本作をきっかけに過去の作品に触れる機会も増えてくるだろう。

 「原作者の伊坂さんは、僕の『こっぴどい猫』を観て、オファーをしてくれたと聞きました。僕はこれまで、どちらかというと世代から逃げてきた自覚があり、若者の群像劇を描いてきたのですが、『こっぴどい猫』は、モト冬樹さんが主演で、年齢が上の人も出てきます。そして家族のことにも向き合っていた。そういう意味では『アイネクライネナハトムジーク』は久しぶりに家族を描いた群像劇としてもご覧いただけるのかなと思います」。

 本作をきっかけに、今泉監督の「人を否定しない」愛に溢れたキャラクターがたくさん登場する、群像劇を堪能してほしい。(取材・文・撮影:磯部正和)

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