ジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが9日に87歳で亡くなったことを受け、少年隊の錦織一清、佐藤アツヒロ、内海光司が11日、追悼コメントを発表した。
コメント全文は以下の通り。
■少年隊 錦織一清
去年私自身父親が亡くなり、今年同じ六月にジャニーさんが倒れ、およそこの一年の間に父親を二人失った気持ちでございます。いつも冗談ばかりで人を楽しませようとしている姿が、うちの親父そっくりでした。おこられたことは勿論数知れずありますが、目を瞑ると出て来るのは優しい笑顔のジャニーさんです。
僕の今の人生は、ジャニーさんとメリーさんに頂いたものです。これからの人生を、大切に大切に生きて行こうと思います。
■佐藤アツヒロ
当時13歳の僕は何も分からないまま光GENJIとしてデビュー、何が成功なのか、そこにはキラキラな世界が広がり、僕の身体は、その一部になっていった。ジャニーさん、どうして僕が選ばれたのか、その答えを今でも探している気がします。エンターテイメントとは、ジャニーさんそのものです、光GENJI、僕は、ただそこにいただけ、まだまだジャニーさんに聞きたいことが沢山あるのに…
■内海光司
ジャニーさんと初めて会った日のこと
まるで昨日のことのように鮮明に覚えています。
いつも客席の一番後ろで見守っていてくれたジャニーさん。
「YOUならできるよ!」の言葉が
まるで魔法のように心強く感じていました。
どんな時でも優しく、ユーモアいっぱいで接してくれたジャニーさん。
ジャニーさんが教えてくれた
サービス精神の大切さは、これからも忘れません。
たくさんの愛と夢をありがとうございました。
コメント全文は以下の通り。
■少年隊 錦織一清
去年私自身父親が亡くなり、今年同じ六月にジャニーさんが倒れ、およそこの一年の間に父親を二人失った気持ちでございます。いつも冗談ばかりで人を楽しませようとしている姿が、うちの親父そっくりでした。おこられたことは勿論数知れずありますが、目を瞑ると出て来るのは優しい笑顔のジャニーさんです。
僕の今の人生は、ジャニーさんとメリーさんに頂いたものです。これからの人生を、大切に大切に生きて行こうと思います。
■佐藤アツヒロ
当時13歳の僕は何も分からないまま光GENJIとしてデビュー、何が成功なのか、そこにはキラキラな世界が広がり、僕の身体は、その一部になっていった。ジャニーさん、どうして僕が選ばれたのか、その答えを今でも探している気がします。エンターテイメントとは、ジャニーさんそのものです、光GENJI、僕は、ただそこにいただけ、まだまだジャニーさんに聞きたいことが沢山あるのに…
■内海光司
ジャニーさんと初めて会った日のこと
まるで昨日のことのように鮮明に覚えています。
いつも客席の一番後ろで見守っていてくれたジャニーさん。
「YOUならできるよ!」の言葉が
まるで魔法のように心強く感じていました。
どんな時でも優しく、ユーモアいっぱいで接してくれたジャニーさん。
ジャニーさんが教えてくれた
サービス精神の大切さは、これからも忘れません。
たくさんの愛と夢をありがとうございました。
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2019/07/11