先月17日に肺炎のため亡くなった、ロックミュージシャンで俳優の内田裕也さん(本名・内田雄也 享年79)のお別れの会『内田裕也Rock’n Roll葬』が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。長女・也哉子の夫で俳優・本木雅弘が取材に応じ、裕也さんへの思いを語った。
本木は「本当に予定不調和を生きてきた裕也さんが、最後は滞りなく(お別れの会を)終えたということで」と笑顔を浮かべながら「みなさんがあらゆる力を駆使して、尽力してくださりました」と感謝。報道陣から「ステキな会でしたね」と向けられると「本当にそうですね」とかみしめるようにうなずいていた。
お別れ会が始まると、裕也さんをしのんだVTRが上映。「僕は今、あの世にいます。ロックンロールで生きて、ロックンロールで死んでいけたことに感謝します」と裕也さんの声が響くと、一部ではどよめきも起こった。本木も「私もネタ元がよくわかっていないんですけど…」と話していたが、関係者は、同VTRは2015年に放映された奈良県の葬儀会社「セレミューズ」のCMに裕也さんが出演した際に撮影され、実際のCMでは流れなかった映像だと説明した。
戒名は、本木雅弘&也哉子夫妻の希望で「響」と「和」の文字が入った「和響天裕居士」(わきょうてんゆうこじ)。妻の樹木希林さんには、世を映し出すという意味合いで「鏡」が用いられ、裕也さんには世に響かせるという意味で「響」の文字がつけられた。『Rock’n Roll葬』にはそのほか、松田美由紀、北大路欣也、竹中直人、安藤和津、浅田美代子、氏神一番、岩城滉一、白竜など、各界から関係者が約950人駆けつけた。
裕也さんは1939年11月17日生まれで、兵庫県西宮市出身。1959年、日劇『ウェスタン・カーニバル』でデビュー以来、日本を代表するロックンローラーとして、また、映画の脚本やプロデュース、46回にもわたる年越しオールナイトイベント『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』をプロデュースするなど、生涯を通じ多くの活動を行ってきた。
本木は「本当に予定不調和を生きてきた裕也さんが、最後は滞りなく(お別れの会を)終えたということで」と笑顔を浮かべながら「みなさんがあらゆる力を駆使して、尽力してくださりました」と感謝。報道陣から「ステキな会でしたね」と向けられると「本当にそうですね」とかみしめるようにうなずいていた。
お別れ会が始まると、裕也さんをしのんだVTRが上映。「僕は今、あの世にいます。ロックンロールで生きて、ロックンロールで死んでいけたことに感謝します」と裕也さんの声が響くと、一部ではどよめきも起こった。本木も「私もネタ元がよくわかっていないんですけど…」と話していたが、関係者は、同VTRは2015年に放映された奈良県の葬儀会社「セレミューズ」のCMに裕也さんが出演した際に撮影され、実際のCMでは流れなかった映像だと説明した。
戒名は、本木雅弘&也哉子夫妻の希望で「響」と「和」の文字が入った「和響天裕居士」(わきょうてんゆうこじ)。妻の樹木希林さんには、世を映し出すという意味合いで「鏡」が用いられ、裕也さんには世に響かせるという意味で「響」の文字がつけられた。『Rock’n Roll葬』にはそのほか、松田美由紀、北大路欣也、竹中直人、安藤和津、浅田美代子、氏神一番、岩城滉一、白竜など、各界から関係者が約950人駆けつけた。
裕也さんは1939年11月17日生まれで、兵庫県西宮市出身。1959年、日劇『ウェスタン・カーニバル』でデビュー以来、日本を代表するロックンローラーとして、また、映画の脚本やプロデュース、46回にもわたる年越しオールナイトイベント『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』をプロデュースするなど、生涯を通じ多くの活動を行ってきた。

2019/04/03