芸能プロダクション・サンミュージックグループの創立50周年記念式典が27日、都内ホテルで開催された。タレント第1号の森田健作をはじめ、都はるみ、松田聖子、岡田有希子といった顔ぶれが並ぶが、最近では“お笑い部門”の層の厚さも話題に。「Lui-Lui」などの代表曲で知られる太川陽介も「サンミュージックっていう名前なんですけど、最近では歌手の方が(芸人よりも)少なくなってきて」と語るなど、その勢いに拍車がかかっている。
所属芸人たちはどう思っているのだろう。式典後に行われた囲み取材で、カンニング竹山は「この事務所でお笑い部署が始まってから20年くらい経ちましたね」とかみしめるように語ると、お笑い部門では最も先輩にあたるダンディ坂野も「最初は担当がひとりで、デスクが1台あって、行ってもスルーされているような状態で、肩身が狭い感じでした」と振り返った。
ダンディは続けて「そこから何年かした頃に『ゲッツ!』が(流行って)これを(事務所がある)四谷三丁目の奇跡と呼ばれていますけど(笑)。そこから徐々に盛り上がって、カンニングが出て、今みたいになりました」とにっこり。竹山は「サンミュージックのお笑いは、先代の会長(相澤秀禎さん)が作られた事務所の雰囲気がお笑い班にもありますね。ファミリーだっていう感覚があります」と分析した。
竹山は、そんなアットホームな雰囲気を作った存在について「ブッチャーブラザーズさんのもと、いい意味で厳しい時もやさしい時もあって、みんなで作っていくという感じです。事あるごとに『みんなで集まろうか』っていうのが、年に1〜2回あったりとか、そういうのがほかの事務所よりは多いかもしれないですね」と明かした。
一方、メイプル超合金のカズレーザーはサンミュージックを選んだ決め手を聞かれ「最初に事務所を探して、吉本興業さんとかいろんな事務所を見た時、やっぱりちょっと競争率が激しいというか、実力者が多かった。いざ、サンミュージックのホームページを見たら、これだったので、ここだと思いました」とニヤリ。先輩から「オイ!」と笑顔でツッコミを受ける中「実際、ラクでしたね。向いてました」と声を弾ませた。
和やかな雰囲気を保つために、事務所のサポートも大きいようで、竹山は「ダンディさんとかスギちゃんもそうだけど、1回でもテレビに出てそこからずっと食えているんです。そこそこ(給料)もらっているんですよ(笑)。うちの場合は、全くゼロになることがないからすばらしいと思います」と力説。「僕らはだんだんおじさんになっていきますから。ここから下の世代にどんな人が入ってくるかですね」と期待を寄せていた。
所属芸人たちはどう思っているのだろう。式典後に行われた囲み取材で、カンニング竹山は「この事務所でお笑い部署が始まってから20年くらい経ちましたね」とかみしめるように語ると、お笑い部門では最も先輩にあたるダンディ坂野も「最初は担当がひとりで、デスクが1台あって、行ってもスルーされているような状態で、肩身が狭い感じでした」と振り返った。
ダンディは続けて「そこから何年かした頃に『ゲッツ!』が(流行って)これを(事務所がある)四谷三丁目の奇跡と呼ばれていますけど(笑)。そこから徐々に盛り上がって、カンニングが出て、今みたいになりました」とにっこり。竹山は「サンミュージックのお笑いは、先代の会長(相澤秀禎さん)が作られた事務所の雰囲気がお笑い班にもありますね。ファミリーだっていう感覚があります」と分析した。
竹山は、そんなアットホームな雰囲気を作った存在について「ブッチャーブラザーズさんのもと、いい意味で厳しい時もやさしい時もあって、みんなで作っていくという感じです。事あるごとに『みんなで集まろうか』っていうのが、年に1〜2回あったりとか、そういうのがほかの事務所よりは多いかもしれないですね」と明かした。
一方、メイプル超合金のカズレーザーはサンミュージックを選んだ決め手を聞かれ「最初に事務所を探して、吉本興業さんとかいろんな事務所を見た時、やっぱりちょっと競争率が激しいというか、実力者が多かった。いざ、サンミュージックのホームページを見たら、これだったので、ここだと思いました」とニヤリ。先輩から「オイ!」と笑顔でツッコミを受ける中「実際、ラクでしたね。向いてました」と声を弾ませた。
和やかな雰囲気を保つために、事務所のサポートも大きいようで、竹山は「ダンディさんとかスギちゃんもそうだけど、1回でもテレビに出てそこからずっと食えているんです。そこそこ(給料)もらっているんですよ(笑)。うちの場合は、全くゼロになることがないからすばらしいと思います」と力説。「僕らはだんだんおじさんになっていきますから。ここから下の世代にどんな人が入ってくるかですね」と期待を寄せていた。
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2018/11/27