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スキージャンプ葛西紀明、原田雅彦との因縁をテレビ初告白

 1998年長野五輪・男子スキージャンプラージヒル団体で史上初の金メダルを獲得した日本代表。だがこの時、選手選考漏れした葛西紀明だけが「金メダルを願っていなかった」という。葛西は金メダルの瞬間、悔し涙を流した。そこには、ライバルの原田雅彦との知られざる因縁が…。頂点を目指す競技者であれば、誰もが抱くであろう“心の叫び”をレジェンド葛西が、テレビカメラの前で初告白。TBS系『スポーツ天国と地獄 今だから話せる!あの名場面のウラ側SP』(4月1日 後6:30〜8:57)で放送される。

 2人の因縁の始まりは、長野五輪の4年前、1994年のリレハンメル五輪までさかのぼる。当時、日本代表に選ばれていた葛西は、団体決勝の舞台で130メートル超えの大ジャンプを見せ、日本チームは大きく金メダルに近づいた。葛西自身も99%金メダルを獲得すると思っていた。最後の一人が105メートル以上飛べば金メダル。これは一流ジャンパーであれば余裕の距離。しかし、最後に飛んだ原田がなんと100メートルにも届かない97.5メートルという世紀の失敗ジャンプ。その結果、金メダルは葛西の手から滑り落ちた。葛西は先輩だった原田を「蹴っ飛ばしてやりたい」と憤慨し、結果的に葛西に地獄を味わわせた原田は「申し訳ないでは済まされない」と、自責の念を口にする。

 スポーツにミスはつきもの…それは葛西自身もよくわかっている。だが、二人の因縁はこれで終わりではなかった…。それから4年後の長野五輪。リレハンメルでの雪辱を晴らすため、葛西は誰よりもハードな練習をこなし、特別な思いで大会に挑んでいた。しかし、本番のわずか2日前に思わぬ事態が…。団体戦の代表メンバーはこれまでの実績ではなく、公式練習の結果で選抜するというのだ。選ばれるのは8人中4人。当時の葛西は日本のエース格の一人で、当然、誰もが代表に選ばれると思っていた。しかし、結果は落選…いったい、なぜ? そこには、またしても原田との因縁が隠されていた。

 大会を宿舎で観戦していた葛西は「メダルを獲ってほしくなかった」と語り、原田の競技中には、飛んだ瞬間から落ちるまでの間、ある言葉を叫んでいたという。一体、原田に向かってなんと叫んでいたのか。そして2人の間になぜ、そこまで大きな亀裂が生まれてしまったのか? そして、あの時流した悔し涙こそが、前人未到の快挙を生むモチベーションとなっていたことが明らかになる。



関連写真

  • 4月1日放送、TBS系『スポーツ天国と地獄 今だから話せる!あの名場面のウラ側SP』スキージャンプ・葛西紀明選手が原田雅彦氏との因縁をテレビ初告白(C)TBS
  • 2人の天国と地獄を象徴する一枚(C)TBS

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