女優の生稲晃子が10日、自身のブログを更新。2011年に乳がんと診断され、5年弱にわたって闘病し、13年には右乳房を全摘出していたことを公表した。
この日発売の週刊誌『女性自身』でのインタビューでも自身のがんについて語っていた生稲は、ブログでも公表し「今までお話できなくてごめんなさい。そして突然の公表で、皆さんにご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と謝罪。「長年レギュラーを務めさせていただいた健康番組でのお仕事がこの秋終了したことと、先月、失った右胸の再建手術をしていただいたことで、自分の中でひとつ区切りがつき」、このタイミングで発表したと明かした。
最初の手術から2度の再発で、合計5度も手術を受けていたが、「私には、まだ10歳にも満たない子供がいる、私の元に生まれてきてくれたこの子が成人するまでは負けてはいられない、頑張らなくては」と自分に言い聞かせ、乗り越えてきたという。
がんが見つかってからの道のりは「とても長かった」と振り返りつつ、多くのファンやスタッフ、友人のおかげで元気な姿を見せてこられたと感謝し、「そばでずっと支えてきてくれた家族には感謝の言葉しかありません。ありがとう。これからも幸せに生きていこうね」と思いをつづった。
今後は、「少しずつ自分の体験談を皆さんにお伝えしていければと思っています」と希望を明かし、「これからも見守っていて下さい。宜しくお願い致します」と結んだ。
生稲は1986年におニャン子クラブのメンバーとしてデビュー、87年にグループ内ユニット「うしろ髪ひかれ隊」に参加し、88年には「麦わらでダンス」でソロデビューを果たした。2003年にCMプロデューサーと結婚し、06年に長女を出産した。
この日発売の週刊誌『女性自身』でのインタビューでも自身のがんについて語っていた生稲は、ブログでも公表し「今までお話できなくてごめんなさい。そして突然の公表で、皆さんにご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と謝罪。「長年レギュラーを務めさせていただいた健康番組でのお仕事がこの秋終了したことと、先月、失った右胸の再建手術をしていただいたことで、自分の中でひとつ区切りがつき」、このタイミングで発表したと明かした。
最初の手術から2度の再発で、合計5度も手術を受けていたが、「私には、まだ10歳にも満たない子供がいる、私の元に生まれてきてくれたこの子が成人するまでは負けてはいられない、頑張らなくては」と自分に言い聞かせ、乗り越えてきたという。
がんが見つかってからの道のりは「とても長かった」と振り返りつつ、多くのファンやスタッフ、友人のおかげで元気な姿を見せてこられたと感謝し、「そばでずっと支えてきてくれた家族には感謝の言葉しかありません。ありがとう。これからも幸せに生きていこうね」と思いをつづった。
今後は、「少しずつ自分の体験談を皆さんにお伝えしていければと思っています」と希望を明かし、「これからも見守っていて下さい。宜しくお願い致します」と結んだ。
生稲は1986年におニャン子クラブのメンバーとしてデビュー、87年にグループ内ユニット「うしろ髪ひかれ隊」に参加し、88年には「麦わらでダンス」でソロデビューを果たした。2003年にCMプロデューサーと結婚し、06年に長女を出産した。
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2015/11/10