20日に亡くなった映画監督の森田芳光さん(享年61)の通夜が23日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ、役所広司、貫地谷しほり、佐藤浩市、石田ゆり子、深津絵里、中村雅俊ら著名人・関係者のほか、一般のファンを含め700人が参列した。
映画『失楽園』(1997年)に主演した役所は「森田監督は映画が大好き。独創的でモダンだし、常に新しい映画を作ろうとしていた」と故人を偲び、長男で俳優の橋本一郎も森田監督の遺作に出演することから「お礼を言いたかったけど……。息子も残念がっていました」と悔しさをにじませた。
以下は主な参列者のコメント。
◆鈴木亮平
僕の映画デビューが森田監督の作品で、この仕事をする前から好きだった。いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていたので、実現できたのがすごく嬉しかった。厳しいところと優しいところのバランスが、飴とムチが絶妙でした。監督がいなかったら今の自分はない。恩返しするつもりでがんばっていきたい。
◆高田文夫
大学のとき、彼が1年で僕が2年のときからずっと付き合ってました。もともと落語が好きで、でも俺が『才能がないから映画を撮れ』って言って監督になりました。年に1〜2回ラジオに来て喋っていて、半年くらい前に『僕達急行 A列車で行こう』でトークショーをやろうって言っていた。
◆秋吉久美子
映画に対してとても凝ってらっしゃって、男の子と女の子みたいな感じであーでもないこーでもないとケンカしたこともありました。まだまだステキな作品をお撮りになれたのに、無念だったと思う。駆け引きのない初々しい感じが忘れられない思い出です。個人的に、また少年と少女で会いたいです。
◆川原亜矢子
18歳のとき、私を映画の世界に導いてくれたのが森田監督。まだ右も左もわからない新人の私にとても温かく接していただき、『自分が思ったとおりの主人公になりきりなさい。これからも素直な気持ちで取り組むんだよ』と教えてくださった。その思いを持って今日まで頑張ってきました。それから私は海外にいたので帰国してからご挨拶しようと思ったのに、そのとき以来の再会が今日で悲しい。お元気なときにお会いしたかった。
通夜にはほかに松山ケンイチ、伊東美咲、堺雅人、佐々木蔵之介、八千草薫、木村佳乃、ピエール瀧、秋吉久美子、塚地武雅、鈴木京香、小池栄子、太田光代、松居一代、小林薫らが参列した。
映画『失楽園』(1997年)に主演した役所は「森田監督は映画が大好き。独創的でモダンだし、常に新しい映画を作ろうとしていた」と故人を偲び、長男で俳優の橋本一郎も森田監督の遺作に出演することから「お礼を言いたかったけど……。息子も残念がっていました」と悔しさをにじませた。
以下は主な参列者のコメント。
◆鈴木亮平
僕の映画デビューが森田監督の作品で、この仕事をする前から好きだった。いつか一緒に仕事をしてみたいと思っていたので、実現できたのがすごく嬉しかった。厳しいところと優しいところのバランスが、飴とムチが絶妙でした。監督がいなかったら今の自分はない。恩返しするつもりでがんばっていきたい。
◆高田文夫
大学のとき、彼が1年で僕が2年のときからずっと付き合ってました。もともと落語が好きで、でも俺が『才能がないから映画を撮れ』って言って監督になりました。年に1〜2回ラジオに来て喋っていて、半年くらい前に『僕達急行 A列車で行こう』でトークショーをやろうって言っていた。
◆秋吉久美子
映画に対してとても凝ってらっしゃって、男の子と女の子みたいな感じであーでもないこーでもないとケンカしたこともありました。まだまだステキな作品をお撮りになれたのに、無念だったと思う。駆け引きのない初々しい感じが忘れられない思い出です。個人的に、また少年と少女で会いたいです。
◆川原亜矢子
18歳のとき、私を映画の世界に導いてくれたのが森田監督。まだ右も左もわからない新人の私にとても温かく接していただき、『自分が思ったとおりの主人公になりきりなさい。これからも素直な気持ちで取り組むんだよ』と教えてくださった。その思いを持って今日まで頑張ってきました。それから私は海外にいたので帰国してからご挨拶しようと思ったのに、そのとき以来の再会が今日で悲しい。お元気なときにお会いしたかった。
通夜にはほかに松山ケンイチ、伊東美咲、堺雅人、佐々木蔵之介、八千草薫、木村佳乃、ピエール瀧、秋吉久美子、塚地武雅、鈴木京香、小池栄子、太田光代、松居一代、小林薫らが参列した。
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2011/12/23