ヒットの背景に“振り付け”アリ 活躍の場を広げるコリオグラファー
ユーザーの意識の変化で、振り付けがニュースになる時代
米・アポロシアターが主催するコンテスト番組『SHOW TIME AT THE APOLLO』で歴代最多の9大会連続優勝記録を持つ世界的ダンサーで、近年は欅坂46の振り付けでも注目されるTAKAHIRO 氏は、MVに振り付けが重用されるようになった背景を次のように推察している。
「今までエンタメの一方的な受信者・観客だった個人が、物語を動かす主役・プレイヤーとしての擬似感覚を持つように変貌を遂げたと感じています。ネット上では、視聴した動画についての感想や考察の議論が数多く散見されます。さらにこの議論が世論となり、エンタメ主軸の動向にまで影響を及ぼすようになったのが現代だと言えるでしょう」(TAKAHIRO氏)
動画サイトでは“踊ってみた”投稿が人気カテゴリーの1つとなっている。これもエンタメを受動的に楽しむだけでなく、自らも表現したい(=プレイヤー)願望を持つユーザーが増えていることの表れだろう。一方で、コレオグラファーたちは、「ユーザーが真似したくなる振り付けというオファーが増えている」と口を揃えて
証言していることから、エンタメ界もユーザーのプレイヤー願望を敏感に察知していることが窺える。
また、数多くの世界大会で優勝し、さまざまなアーティストの振り付けを手がけるDAPUMPのKENZO氏は、2010年頃を起点とするK-POPブームの影響を指摘している。
「KARAが上陸した際に、話題となったのが「ミスター」の“お尻ダンス”でした。キャッチーな振り付けはそのままメディア媒体に使えるキャッチフレーズとして機能していた上に、同時に彼女たちのセクシーでキュート、かつダンススキルが高いというアーティスト性も伝えていました。非常に練られたマーケティングの上に、振り付けがされていたのだと思います。振り付けやダンスがニュースになると、日本のエンタメ界も学んだ事例だったのではないでしょうか」(KENZO氏)
楽曲の世界観に奥行きをもたらす欅坂46の振り付け
「欅坂46は、どう可愛く見せるかよりも、どれだけ楽曲の世界観を伝えられるかを重視しているグループです。反抗的な歌詞を歌う際は髪を振り乱し、下を向き、地面を踏み鳴らして強いメッセージを体全身で伝えようとします。世界観を追求した結果、作り出される空気感は特異な感覚すら発すると感じます」(TAKAHIRO 氏)
昨年末の『第68回NHK紅白歌合戦』で披露した「不協和音」の振り付けもTAKAHIRO氏が手がけたもの。その鬼気迫るパフォーマンスは欅坂46の存在性を多くの視聴者に知らしめることとなった。しかしTAKAHIRO氏は、単に衝撃を呼ぶためにこの振り付けをしたわけではない。
「かつては受け手に対して直感的なインパクトをお届けすることが、振り付けの役割でした。しかし、ユーザー同士がネット上で議論を交わすことが日常となった今、表現される作品の背後に含まれるストーリーや、なぜこの動きなのか? といったユーザーが深掘りしたくなる、読み解きたくなる秘密を潜ませることが、振り付けにおいて重要になってきたと感じています」(TAKAHIRO氏)
では、楽曲やアーティストの世界観に奥行きを持たせ、ユーザーが「目が離せなくなる」「話題にしたくなる」振り付けとは、どのような考えのもとに作られているのか。
「刺激とは、ユーザーの想像の域を少し超えたときにお伝えできるものだと思います。そのためには、アーティストの方々が“踏み越えるべき世界”を見据えることが大切な気がしています。もちろん私もアーティストの方々とともに、自分の想像の世界を踏み越えられるよう挑戦をしています。欅坂46の“ガチなクリエイション”というスタンスには、私もとても感銘を受けています。何よりファンでもあります。彼女たちに限らず、携わるアーティストのファンに自分自身がなることは、振り付けを手がける上でとても重要だと考えています」(TAKAHIRO氏)
卓抜した技能を提供するバックダンサーの価値
「前日になって急にバックダンサーの人数を減らしてほしいと言われたことがありました。あるいは雀の涙ほどのギャラを提示されたことも。完璧に本番で踊るためにダンサーがどれほど時間をかけて努力しているかを知っていただければ──」
ストリートから発生した文化ではあるが、ダンスは技術であり、プロのダンサーとはその卓抜した技能を生活の糧とする者だ。あまりに蔑ろな扱いが続けば、プロ意識の高いダンサーほどエンタメ界に失望し、協力を惜しむようになるだろう。もちろん、なかにはプロ意識の低いダンサーもいる。しかしエンタメ界での経験が豊富なコレオグラファーは、その点も見極めたキャスティングをしている。だからこそ、作品にも評価が上がっているのだ。振り付けが音楽に必要不可欠となった今こそ、ダンサーの正当な価値を認めたい。音楽業界とダンス業界が信頼関係を築くこと、ひいてはそれが「目でも楽しむ音楽」の世界をより豊かなものとするはずだ。
(文:児玉澄子)