純烈インタビュー「スーパー銭湯は“ふるさと”、結成10周年“勝負の年”に目指せ『紅白』」

(上段左から)小田井涼平、白川裕二郎、酒井一圭(下段左から)後上翔太、友井雄亮

(上段左から)小田井涼平、白川裕二郎、酒井一圭(下段左から)後上翔太、友井雄亮

このところワイドショー等をたびたび賑わせている歌謡コーラスグループ・純烈。昭和の香り漂うムード歌謡を歌って踊るという独自のスタイルで、日本全国のスーパー銭湯の大広間を熱狂させている“スーパー銭湯アイドル”だ。かつて「仮面ライダー」や「スーパー戦隊シリーズ」のメインを張っていた俳優たちを中心に、今年で結成10年。その経歴からもわかるように高身長で端正なルックスを備えつつも、演歌・歌謡曲の世界で認められるまでには苦難の道のりがあった。最新シングル「愛でしばりたい」(17年3月14日発売/最高5位)のスマッシュヒットで、結成当時からのキャッチフレーズである「夢は紅白!親孝行!」が今年はいよいよ果たされる!? 

スーパー銭湯さんに声をかけていただけてなければ、今の僕らはいない

──今年で結成10年となる純烈ですが、このところワイドショーなどで特集されることが増え、テレビで初めて知ったという方も多いと思います。
酒井一圭(リーダー) 確かにここ最近は、ほぼ毎月ペースでテレビに取り上げていただいていますね。ありがたいことです。ただ、僕らとしては5年くらい前から目の前の風景は変わっていないんですよ。僕らのライブの主戦場であるスーパー銭湯や健康センターの大広間では、ここ数年ずっと同じような光景が繰り広げられてきましたから。
  • 酒井一圭

    酒井一圭

  • 後上翔太

    後上翔太

  • 白川裕二郎

    白川裕二郎

──3月発売の「愛でしばりたい」が週間シングルランキング初登場5位と初のトップ10入りを果たしましたが(「演歌・歌謡」部門では1位)、いきなり浮上したというわけではないと。
酒井  言っても10年かかっていますからね。でもそういう活動を継続していたら、テレビ業界の方が「なんだかスーパー銭湯がカオスなことになっているらしい!」と取り上げてくださって、それが別のバラエティ番組やワイドショーにも飛び火して、というのがここ1年くらいのことです。

──最近は演歌・歌謡曲番組への出演も増えましたが、今も“スーパー銭湯アイドル”と紹介されることが多いですよね。でも、そもそもなぜスーパー銭湯を主戦場にするようになったんですか?
酒井  結成から数年は僕ら、まったく歌わせていただける場所がなかったんです。テレビからお呼びがかかるどころか、仕事がまったくなかった。
友井雄亮 家賃も払えない、飯も食えない、ひどいもんでしたね(苦笑)。
酒井  純烈というのはプロダクションが大きいわけでもない、カラオケコンテストで優勝したメンバーでもない、作家先生の弟子でもない。つまり草野球チームがプロ野球を目指すようなもので、正規ルートがまったくない中で、演歌・歌謡曲の世界に切り込んでいったグループなんですね。だから当然、物事はそんなにスンナリ行くわけでもなく。
小田井涼平 それでもコツコツとキャンペーンを続けていって、そんな中でたまたまスーパー銭湯に出させていただいたのが5年くらい前のこと。それから各地のスーパー銭湯やキャバレーにお呼びがかかるようになり、今に至るわけです。
後上翔太 3、4年前から、年間220ステージくらい立たせていただけるようになりましたね。
酒井  正直、当初は資金繰りもカツカツで。今でこそ歌番組にも出させていただいていますけど、スーパー銭湯さんから声がかかっていなかったら、活動を続けていられていなかったかもしれません。スーパー銭湯は僕らの「ふるさと」ですね!

グループ結成は白川の“ハッタリ”がきっかけ!?

──それにしても、皆さんはグループ結成前は戦隊ヒーローで活躍されていた俳優で。
酒井  最年少の後上は結成時まだ大学生だったので、彼を除いてはみんなそうですね。
  • 友井雄亮

    友井雄亮

  • 小田井涼平

    小田井涼平

──それがなぜムード歌謡グループを結成しようと思ったのか、純烈ビギナー向けにその経緯を教えていただけますか?
酒井  きっかけはですね、僕が入院している時に、夢に前川清さんが出てきたことがありましてですね。

──前川さんといえば、ムード歌謡のレジェンド「内山田洋とクール・ファイブ」のメンバー。でもその話、できすぎじゃないですか!?
酒井  いや、本当なんです! 10年前、足を複雑骨折して40日間入院しまして、もう歩けないかもしれないとも言われたんですね。その時は俺もこれで終わりか……と。ところが夢に出てきた前川さんは、直立不動で歌っている。その時に、「これだ!」と思ったわけです。それで幸いにも歩けるようになってから、すぐに今のメンバーに声をかけたんです。世に出るまでに10年くらいはかかるかもしれないけど、一緒に夢を見ようぜ!と。
白川裕二郎 ウソです! (酒井には)もうデビューもレコード会社も決まっているからって言われて安心してついて行ったら……(笑)。
友井 僕は夜中のファミレスに呼び出されて「お前に振付をやってほしい」と、ピンク・レディーさんなど昔の歌謡曲の映像を観せられて。僕はストリートダンスをやっていたので最初はピンと来なかったんですけど、「バカ、お前。リアルタイムでこの時代を生きてないのに、この歌を知っているってすごくないか?」と歌謡曲のすごさについて力説されたんですね。そんな話を聞いているうちに、なんだかワクワクするというか、華やかな照明がパーッと当たっているイメージが見えてきたんです。
白川 口車ってやつですね(笑)。
酒井 チョロイもんですよ(笑)。こいつらはみんな、諦められない夢を持っているってわかっていましたから。簡単に夢を諦められる奴だったら、声はかけていないですよ。
小田井 僕は、話半分で聞いていましたけどね。役者はやってきたけど、歌を本格的にやったわけでもない僕らが即デビューなんて、そんな世の中甘くないだろうと。
白川 でも僕が、最終的にやろうと決めたのは、「紅白に出て親孝行しよう」というひと言だったんです。高齢での出産だったので、母はもう84歳なんですね。僕は若い頃からずっと母に心配をかけてきていて…

──白川さんは大相撲の力士をケガで引退された後、俳優に転向したという異色の経歴の持ち主ですよね。
白川 はい。02年に『忍風戦隊ハリケンジャー』(EX系)でデビューさせてもらって。でもフレッシュな俳優が次々と出てくる中、仕事も先細っていき、母親に恩返しできていない自分に不甲斐なさを感じていたんです。そんな時に「紅白に出よう」って言われて、母も歌謡曲が大好きですしね。
後上 10年前に、そんな景気の良いこと言ってる人、いなかったですよね(笑)。

提供元: コンフィデンス

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