文化財も生き延びなければならない
誰もが巨大だと思うサイズのボディーに最高出力537psの6.75リッターV8を搭載した、ベントレーの最高峰モデル「ミュルザンヌ スピード」。ボディーサイズにかかわらずドライバーズカーを標榜(ひょうぼう)する、ベントレー独自の世界観を公道で味わった。
もうすぐ100年
ベントレーとロールス・ロイスが再び袂(たもと)を分かつことになってから、今年でもう20年である。“再び”といっても、1931年にロールス・ロイスに買収されたベントレーがそれ以降70年近くひとつ屋根の下の兄弟ブランドだったことを知る人も少なくなっているのではないか。
世間的にはロールス・ロイスのほうが有名だろうが、ドライバーズカーと言われてきたベントレーのほうが自動車趣味人の間では評価が高いはずだ。いずれにしても一般庶民からはもっとも縁遠い、別世界のクルマであることは間違いない。
2ドアクーペの「コンチネンタルGT」シリーズはまだしも、全長ほとんど5.6mの長大なフラッグシップサルーンをドライバーズカーと言われても、現代の若いドライバーには「なんのこっちゃ?」となるのは当たり前である。それを承知で古い話を持ち出しているのは、ベントレーを紹介するには多少なりとも歴史を知る必要があるからだ。
ウォルター・オーウェン・ベントレーが1919年に創設したベントレー(来年創立100周年を迎える)が、今なお自動車好きの畏敬の対象になるのは、当時飛び抜けて高性能高品質だったからである。その名声を確固たるものにしたのが、第2次大戦前の黎明(れいめい)期のルマン24時間レースで5勝(1924年に初勝利、1927〜30年までは4連覇)した実績である。
平均120km/h以上で24時間走り続けることなど、とにかく驚異的であり、昭和の初めの日本から見ればまるではるか銀河系外の話のようなものだった。それゆえ、団塊の世代が1960年代に大活躍したフェラーリやポルシェ、ロータスなどに惹(ひ)かれるのと同様、それ以前に生まれた男の子たちにとってベントレーは圧倒的なヒーローだったのである。BMWとの綱引きの末にフォルクスワーゲンがベントレーを選んだのは、グループ総帥フェルディナンド・ピエヒが、そういう時代の男だったからだろう。...