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徳川家康の天下取りへの“本気”に触れる ガイドと歩く岐阜・関ケ原古戦場

天下分け目の関ケ原古戦場観光の拠点となる岐阜関ケ原古戦場記念館では「どうする家康」展を実施中(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

天下分け目の関ケ原古戦場観光の拠点となる岐阜関ケ原古戦場記念館では「どうする家康」展を実施中(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

 NHKで放送中の大河ドラマ『どうする家康』の中ではまだちょっと先になる、天下分け目の「関ケ原の戦い」。どう描かれるのか楽しみだが、それまでに一度足を運んでおきたいのが、関ケ原古戦場(岐阜県関ケ原町)だ。

 戦いは慶長5年9月15日(新暦1600年10月21日)。総勢16万人もの軍勢が東西に分かれて激突した。たった1日で徳川の天下が決まったと伝わるが、その前後にわたって、東西両軍の武将それぞれに、友情、策略、葛藤など、さまざまなドラマ(物語)があり、現代の私たちを魅了してやまない。

 現地では、特に活躍した7人(※)の武将に関連する史跡をめぐるウォーキングコース(全7コース)を設定し、ガイドマップを配布しているほか、希望の時間やコースに合わせて関ケ原の各所や史跡の案内・解説をしてくれるガイド(せきがはら史跡ガイド)もスタンバイ。今回は、ガイドの今井剛さんと「徳川家康」に関連する史跡をめぐった。(※徳川家康、黒田長政、福島正則、石田三成、大谷吉継、島津義弘、小早川秀秋)

せきがはら史跡ガイドの今井剛さん (C)ORICON NewS inc.

せきがはら史跡ガイドの今井剛さん (C)ORICON NewS inc.

岐阜関ケ原古戦場記念館

岐阜関ケ原古戦場記念館 (C)ORICON NewS inc.

岐阜関ケ原古戦場記念館 (C)ORICON NewS inc.

 関ケ原の戦いから420年の節目の2020年10月、古戦場の一角にオープンした「岐阜関ケ原古戦場記念館」。史跡めぐりに出かける前に、ここで予習(おさらい)がおすすめ。関ケ原の戦いに関する知識がつながり、興味が広がる体験型の施設だ。

岐阜関ケ原古戦場記念館の「グラウンド・ビジョン」(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

岐阜関ケ原古戦場記念館の「グラウンド・ビジョン」(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

 1階にある全国を舞台とした東西陣営を俯瞰できる巨大な床面のスクリーン「グラウンド・ビジョン」と、両軍の激突を歴史的なシーンに迷い込んだかのような迫力ある映像で再現した「シアター」はここでしか鑑賞できない(事前予約優先)。戦国時代の武具や書状などを展示している「展示室」、武具を実際に触ってみたり、関ヶ原合戦図屏風を背景にした写真撮影をしたりできる「戦国体験コーナー」もある。

迫力ある映像で再現した「シアター」(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

迫力ある映像で再現した「シアター」(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

 1階西回廊、ロビーでは、『どうする家康』に関連して、ゆかりの地の魅力を発信するパネルや甲冑等を展示する「家康、命運の地 関ケ原展」と「NHK大河ドラマ『どうする家康』展・ぎふ 関ケ原」も開催中。

「家康、命運の地 関ケ原展」と「NHK大河ドラマ『どうする家康』展・ぎふ 関ケ原」も開催中(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

「家康、命運の地 関ケ原展」と「NHK大河ドラマ『どうする家康』展・ぎふ 関ケ原」も開催中(写真提供:岐阜関ケ原古戦場記念館)

 別館のレストラン&カフェ「伊吹庵」で、武将や東西対決をイメージしたこだわりメニューで腹ごしらえしたら、いざ出陣。ガイドの今井さんと合流した。ウォーキングコースは移動だけで2〜3時間(約8キロ)。今井さん曰く、「各スポットに逸話がたくさんあるので、歴史に思いを馳せながら散歩したら、いくら時間があっても足りないくらい」とのことだ。
  • 戦略武将カレー1380円〜

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  • 悪戦苦闘足軽カレー980円〜

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  • 徳川家康もこもこ チョコ味噌パフェ(960円)

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松平忠吉・井伊直政陣跡

松平忠吉・井伊直政陣跡 (C)ORICON NewS inc.

松平忠吉・井伊直政陣跡 (C)ORICON NewS inc.

 岐阜関ケ原古戦場記念館から徒歩で5分くらいのところにある松平忠吉・井伊直政陣跡。「関ケ原の戦いは、松平忠吉(まつだいら・ただよし)と井伊直政(いい・なおまさ)ではじまり、この二人で終わる、と語ることができます」と今井さん。松平忠吉は家康の四男で、後見役の井伊直政と一緒に参戦していた。直政は、先鋒を任されていた福島正則(ふくしま・まさのり)を出し抜き、西軍・宇喜多(うきた)軍に向かって発砲。この発砲が開戦の合図となった。

今井さん福島正則は石田三成と対立して東軍に加わりました。福島正則が先鋒を切ったら、単なる豊臣家臣同士の権力闘争になってしまう。家康は、関ケ原での戦を徳川が豊臣から天下を取る戦にしたかった。そのためにも先鋒は徳川の家臣が務めなければならない。そんなこだわりが家康にあったのではないか、と言われています。

 開戦からわずか数時間、戦いは東軍の勝利に終わる。この間、積極的に戦わなかった島津義弘(しまづ・よしひろ)は西軍の敗北が決定的になると、正面の東軍に向かって進撃。数人の小隊が死ぬまで戦い、その間に本隊を逃がす「捨てがまり」という戦法で前代未聞の敵中突破を強行した。これを追撃したのが松平忠吉と井伊直政の軍勢だった。実は、この追撃の中で直政は大けがをして2年後、42歳で亡くなってしまう。忠吉もけがを負って、5年後、28歳の若さで亡くなった。

今井さん追撃する必要なかったのでは?と思うけれど、このことも含めて直政の働きが認められ、彦根藩は井伊氏の藩として明治時代になるまで栄えることになります。関ケ原の戦いの頃、家康の跡継ぎとなる男子は三男・秀忠と四男・忠吉しかいなかった。そこで家康は子づくりにも励んで、関ケ原の戦いがあった58歳の時、60歳の時、61歳の時に男子が誕生しました。その3人の男子は、それぞれ尾張徳川、紀州徳川、水戸徳川となります。この3人が生まれていなかったら、徳川家は七代で終わって、260年の天下泰平は続かなかったかもしれないんです。
岐阜関ケ原古戦場記念館公式サイト
https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp

関ケ原観光ガイド
https://www.sekigahara1600.com



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