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徳川家康の天下取りへの“本気”に触れる ガイドと歩く岐阜・関ケ原古戦場
東首塚
本多忠勝陣跡
桃配山・徳川家康最初陣地
今井さん壬申の乱(飛鳥時代に王位継承をめぐっておきた内乱)で勝利した大海人皇子(おおあまのおうじ)が、ここで兵士たちに桃を配ったという言い伝えがあり、迷信深い家康はそれにあやかるつもりだったのかもしれませんね。
家康は、ここで戦況を把握し、好転させるべく、前戦近くの最後陣地(岐阜関ケ原古戦場記念館のあるあたり)まで、現在の国道21号(旧中山道)沿いを進軍することになる。
決戦地
笹尾山・石田三成陣跡
今井さんこの山頂からは古戦場全域を見渡すことができますので、関ケ原を訪れた際は、ぜひ立ち寄ってほしい場所です。家康は、桃配山を出て岐阜関ケ原古戦場記念館があるあたりまで進軍してくるわけですが、西軍の宇喜多、小西、島津、三成らの陣地と直線で結ぶと扇の要みたいなところに本陣をおきました。このことからも家康のこの戦にかける本気度、命がけの意気込みを感じてもらえると思います。
ウォーキングコースとしては、桃配山から岐阜関ケ原古戦場記念館の前を通り過ぎ、決戦地まで歩いて50分くらい(3.5キロ)、そこからさらに三成陣跡まで歩いて15分くらい(1キロ)。もちろん駐車場もあるので車でもアクセスできる。駐車場から山頂までは徒歩で登ることになる。
徳川家康最後陣地
「床几場(しょうぎば)徳川家康進旗験馘處」と刻まれた標柱が建っている土壇は、幕末に築かれたもの。家康の威光を借りて権威を示そうとした幕府が領主の竹中家に整備を命じたとされている。
ここには、家康の旗印「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」も設置されている。「穢れた現世を逃れ清らかな仏の国(あの世)に生まれることを望む」という、仏教の教えを説いたものだ。桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、織田軍の追っ手から逃れて故郷・岡崎の大樹寺に逃げ込んだ当時17歳の松平元康(後の家康)は、先祖の墓前の前で自害しようとした。この時、寺の登誉(とうよ)上人は「戦国の世の中を平和な世の中にする、それを成し遂げる前に死んではいけない」と諭し、「厭離穢土欣求浄土」を授けて励ましたと伝わる。家康は、「穢れた戦国の世から清らかな平和の世にする」ことを誓い、亡くなるまでこれを旗印にした。
今井さん三成の『大一大万大吉』、家康の『厭離穢土欣求浄土』、両軍のリーダーが自身の信条を示すような旗印を掲げて激突していたというのは興味ぶかいですよね。
岐阜関ケ原古戦場記念館公式サイト
https://sekigahara.pref.gifu.lg.jp
関ケ原観光ガイド
https://www.sekigahara1600.com
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