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37年目『世界ふしぎ発見』、たった3問で1時間番組が成立するワケ「ライバルはクイズ番組ではなくNHKの教養番組」

 今春、放送開始から37年目に突入したTBS系の教養クイズ番組『世界ふしぎ発見!』(以下/ふしぎ発見)。司会の草野仁は、これまで『アタック25』の児玉清さんが持っていた「日本のクイズ番組史上最長司会記録」の36年という記録を更新したことでも注目を集めた。他のクイズ番組のほとんどが、正当数を競わせるものに対して、『ふしぎ発見』は、問題数を絞り、問題までのプロセスや答えの解説にも時間をかける。他に類を見ない形式のこの番組がなぜ長寿番組になったのか? 番組を企画したプロデューサーの重延浩氏に話を聞いた。

和田アキ子がルールを変えた? “賭け”がメインになりかけた番組初期

 番組は、重延氏が大手広告代理店の電通の番組企画募集に応じた、1枚の企画書から始まった。歴史にまつわるミステリーをクイズ形式で紹介する『セブンミステリー』と仮題を付けたその企画は、電通のラジオテレビ局の局長の目に留まり、具現化していく。

「当時、日立製作所一社提供の『日立テレビシティ』(TBS)という番組があり、日立もその内容に満足していましたが、電通の局長がその企画書を自分の懐にそっとしまって、TBSに持って行ったそうです。より視聴率をとれる企画として、TBSも日立の宣伝部長も気に入って、新番組を立ち上げることになりました。私自身は、企画自体がどこに行っているのか、全く知らなかったのですが(笑)」(重延浩氏/以下同)

 番組が立ち上がった80年代は、『100万円クイズハンター』や『なるほど!ザ・ワールド』『クイズダービー』『クイズ100人に聞きました』『連想ゲーム』『世界まるごとHOWマッチ』など、各局さまざまなクイズ番組が放送されており、まさにしのぎを削っていた時代。だが、『ふしぎ発見』は他のクイズ番組とは一線を画し、ジャンルを『世界各国の歴史』に絞り、3〜4問という数で問題に至るプロセスや解説を大切にするスタイルを確立した。

「問題数については、相当悩みました。最初の数回は5問くらいで、その後4問だった時期を経て、2000年7月からはずっと3問。問題数が多いと、他の番組と似てしまいますから。独自性を出すために、1つのテーマを、時間をかけてじっくりやっていこうと。
 基本的なコンセプトや問題数は今でも変えていないのですが、番組の演出は、実は随分変更しています。初回などは、今私が観ても恥ずかしいと思う内容で(苦笑)。草野さんがタキシードを着ていて登場したり…。あと、当初は『ヒトシ君人形』ではなく、『ガリンペイロ』と名付けた小さな袋を使っていました。ところが、第一回から出演していた和田アキ子さんが、“たくさん賭けること”が好きで、いきなり全部の袋をぽんと賭けたりして。一気に20袋ぐらいになっちゃったりで…(笑)。“知的エンターテインメント”のはずが、賭けの番組に見えてしまうので、ルールを変更したという経緯がありました。
 独自の番組を作ってきたつもりだから、他のクイズ番組と同じようにしたいとは考えたことがないんですね。ライバルを挙げるとしたら、NHKの教養番組なんですよ。あの情報の深さ、知性は凄いですが、こちらは視聴率を考えなきゃいけないから、番組中1ヵ所くらいはNHKに負けないくらいの『発見』を盛り込みつつ、視聴者に共感してもらうことを原点にしました。ですから、本当は誰がクイズでトップ賞を取ろうとか、賞品をもらおうとかいうことには主眼を置いていないのです」

博識さ、社会的な健全さ、番組を休まないタフさを兼ね備えたまさに“スーパーヒトシ君”

 民放のクイズ番組の体裁を取りながら、NHKの教養番組をライバル視していたという『ふしぎ発見』。それを可能にしていたのが、司会の草野仁と、同番組でその博学ぶりを世に知らしめた黒柳徹子の教養だろう。37年で実に1600回を超える放送回のすべてに出演し、「日本のクイズ番組史上最長司会記録」を更新した草野の凄さを、重延氏はこう語る。

「やっぱり信頼感だと思います。教養という点において、最高学府(東京大学)を卒業されていることに信頼を置く人も多数います。それに、草野さんのあの顔、あの体格、なんといってもドンとしていますからね。この人なら、正しいことしか言わないだろうという安心感が基本的にオーラとしてある。この番組において、一番助かっている部分です」

 出題後の解答者の質問にも動じずに、絶妙なヒントを出せる教養力は、問題数の多いクイズ番組で番組を回すだけのMCには、なかなかマネができないだろう。この博識さに加え、草野には、今の時代に最も重要なことを兼ね備えていると言う。

「民放のこういう番組の司会者と言うのは、社会的にもしっかりしていなければならない。草野さんは、とてもまじめで、お酒もお飲みにならないし、プライバシーの健全さがあり、そういう真面目さが随所に表れている。それに、草野さんは1600回以上になったこの番組を休まれたことが1回もないのですよ。自宅のジムでの鍛錬の仕方が違いますから(笑)」

 「皆勤賞」で言うと、実は黒柳徹子も同様だ。番組を通じて、その博学さを世間に知らしめた“知の巨人”たる黒柳だが、その陰では並々ならぬ努力があるという。

「黒柳さんは、私がTBSで『七人の孫』というドラマのディレクターをやっていた1960年代からのお付き合いで“幼馴染”なんです。黒柳さんは、国際感覚に優れているし、驚くほど勘がいい。各解答者には番組でどんなテーマやエリアを取り上げるか伝えているのですね。すると、黒柳さんは必ず図書館に行かれていました。図書館で本を借り出して、10数冊読むこともあるとおっしゃっていました」

37年愛された理由は、現代のSNSに通じる“共感”

 こうした人たちに支えられながら『ふしぎ発見』は今春37年目を迎えた。番組が立ち上がった時期、あれだけ活況だった先述の“クイズ番組”はそのほとんどが、1990年から94年ぐらいの間にレギュラー放送終了。『ふしぎ発見』はなぜ、こうしたクイズ番組受難の時期も乗り越え37年もの間、コンテンツ強度を保ちながら、続けてこられたのだろうか?

「一つには、スポンサーの日立さんが非常に協力的だったことがあります。番組開始当初、視聴率が不振だったときも、宣伝部長が『正しいと思っているなら君たちの考えているようにやれ』と励ましてくれました。もちろん私たちなりに打開策を考え、『歴史と遊ぶ』という原点に立ち返りました。反省点は、番組開始当初、ピラミッドやインドネシアのボロブドゥール遺跡など、有名な世界遺産ばかり追いかけていたこと。それで、第8回にタイの村に行ったとき、日本と同じような納豆があり、びっくりして、それを取り上げたことで視聴者の注目度が上がり、2桁の視聴率にのせるようになりました。
 それで思ったんです。ミステリーハンターがまるで全てわかったような顔で語るのは、古い作り方じゃないかと。自分たちが知っていることを上から目線で教えるような番組はダメなんだ、ミステリーハンターが視聴者と同じ目線で旅をして、発見し、反応する姿に視聴者は共感してくれるんだなと、方向を切り替えたんです。視聴者と同じ目線で旅に行く考え方は、これまで他のクイズ番組にはないものでした。当時はプライムタイムで “知的エンターテイメント番組”を民放のレギュラー番組で続けるというのは非常に稀なことでした」

 知名度ではなく、何気ない日常の生活のなかのちょっとしたミステリーを取り上げ、それも視聴者と同じ目線の「ミステリーハンター」が案内する。SNS時代の今当たり前の考え方になった“共感”を取り入れたからこそ、ここまで長く愛され続けてきたのだろう。コンセプトはブラさず、細かな変化を加えながら放送してきた『ふしぎ発見』。重延氏は最後に、番組の神髄とも言えるこんな興味深いエピソードを語ってくれた。

「フジテレビで『笑っていいとも!』などを手掛けられた名プロデューサーの横澤彪さんがご存命の頃、『最近のテレビをいろいろ観ているけど、君のやっている『世界ふしぎ発見』は1番だと思うよ』と言ってくれたんです。『みんな気づいていないけど、実は巧みに番組のスタイルをいつの間にか変えている。変化は、人に気づかれちゃダメで、実は知らないうちに変わっているというのが最高だと僕は思うよ。だから今君の番組が一番面白いよ』と。テレビのことを奥の奥まで知っている人の言葉が、僕の支えになっています。番組は37年目に突入しましたが、スタッフなどに言うのは、これからもどんどん変わっていくよということ。視聴者の感覚も変わっていくから、いつでも変化に対して敏感であり続けよう、時代の変化を柔軟に受け止めようという姿勢は昔から変っていないのです」

取材・文/田幸和歌子

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