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「広島VS関西は不毛な論争」広島県民の味『オタフクお好みソース』が70周年 当初は関西進出苦戦も今や大阪でシェア4割に

 広島県民のソウルフード・お好み焼きの定番ソースとして親しまれる『オタフクお好みソース』が、誕生から70年を迎える。その製造販売をするオタフクソースは広島を超えて全国、そして世界へと「お好み焼き文化」の普及に邁進している企業だが、もう1つの本場である「関西お好み焼き」とはどのように向き合ってきたのか。また広島とお好み焼き、そしてオタフクソースの歴史に込められた平和への願いについても聞いた。

戦後の食糧難時代に生まれた広島お好み焼、垂れ落ちない濃厚で粘度の高いソース開発に尽力

 オタフクソースの前身は1922年に創業された佐々木商店。今年で100周年を迎える広島の老舗企業。醤油類の卸と酒の小売業だった佐々木商店では商品を売るだけでなく、客の要望に応じて独自で商品をブレンドすることもあったという。この技術が1938年に発売された最初のオリジナル商品である「お多福酢」の開発につながる。

「商品名には『食を通じて多くの福を届けたい』という創業者の思いが込められました。ところが1945年、原子爆弾の投下によって店も酢の醸造工場も全焼してしまいます」(オタフクホールディングス 広報部・大内康隆さん)

 焦土と化した広島だが、ほどなく立ち上がった人々の間で新たな食文化が生まれる。

「広島お好み焼きのルーツとされるのが、水で溶いた小麦粉の生地をクレープのように薄く伸ばして焼き、その上に具を乗せ、半分に折ってソースをかけた『一銭洋食』です。戦前は子ども向けのおやつだったこの『一銭洋食』をベースに、戦後の食糧難の時代に生まれたのが、具をボリューム満点にして腹持ちよく工夫した広島お好み焼きです」

 関西の「(具材を混ぜ込んで焼く)混ぜ焼き」とは見た目も調理法もまったく異なる「(具材を重ねて焼く)重ね焼き」スタイルがソウルフードとして発展したのはこうした背景があった。

「広島は重工業が盛んで、鉄板が庶民の手に入りやすいものでした。また戦後にはアメリカ軍の救援物資として小麦粉が多く配給されました。爆心地から近い新天地広場(現在のアリスガーデン付近)には、多数のお好み焼き屋台が軒を連ね、やがて広島の町の復興とともにお好み焼き屋として独立。『これからの時代は洋食文化がくる』という知人のアドバイスを元に佐々木商店では、終戦から5年後の1950年よりソースの製造販売を始めています」

 濃厚な風味とねっとりとした粘度が特徴の『オタフクお好みソース』が誕生したのは1952年のこと。それまで製造販売されていたのは当時の主流だったウスターソースだったが、「円盤状のお好み焼きにかけると垂れ落ちてしまう」ことから開発を重ね、生み出されたのが「お好み焼きに特化したソース」だ。

長らく全国へ販路拡大できなかったことで県民のオタフク愛が増幅「地元でしか味わえないソース」

 味はもちろん程よい粘度からお好み焼き店で重用され、やがて多くの要望が寄せられたことから1957年には家庭用も発売される。

「しかし開発の課題も残っていました。お好みソースはウスターソースに比べて野菜や果実の割合が多く、酸度や塩分が低いため、酵母発酵がしやすい。とは言え、人体に害があるかもしれない防腐剤や添加物は一切使わないことにもこだわっていたため、発酵によって栓が飛んだり、ときにはビンが破裂したりすることも。当時は“爆弾ソース”と呼ばれることもあったようです」

 今では全国区となった『オタフクお好みソース』だが、初めて広島県以外に進出したのは1975年のこと。それまでは「お客さまより商品に関してご指摘をいただいた際に、すぐに駆けつけ対応できる範囲でしか売らない」ことにこだわり、生産設備を整え、おいしさはもちろんのこと品質を高める開発を重ねていった。

「長らく販路を拡大できなかったのにはそうした事情があったわけですが、それが結果的に『地元でしか味わえないソース』として広島県民の皆さんに強い愛着を持っていただける要因にもなったのかなと思います」

“広島VS関西”は不毛な論争 関西風を取り入れて開発したお好み焼き粉も大ヒット

 お好み焼きのもう1つの「本場」である大阪でも、今や約4割のシェアを得ている『オタフクお好みソース』(インテージ 全国小売店パネル調査より)。しかし1983年に初めて大阪に進出した際には苦戦が続いたという。

「広島お好み焼きに慣れ親しんでいた当時のオタフクソースの社員にとって、関西の混ぜ焼きタイプのお好み焼きは『これがお好み焼き?』と衝撃だったようです。そして『広島のお好み焼きを普及すること』を使命として、スーパーの試食販売などでも重ね焼きの提案に邁進したのですが、反応はイマイチでした」

 全国展開を視野に入れるにあたって、社内では「関西お好み焼き文化を学ぶべきだ」「魂(=ソウルフード)は譲れない」と意見が真っ二つに割れたという。

「“重ね焼き推し”の根拠として、重ね焼きの粉物文化は広島だけでなく、兵庫県の高砂や大阪の岸和田、京都など全国各地にあり、『実は混ぜ焼きよりも古くから広い地域で親しまれてきた』という調査がありました。一方で、現代の全国9割のご家庭では『簡便に作ることができる混ぜ焼きタイプを召し上がっている』こともわかってきました」

 さまざまな葛藤や議論を経て行き着いたのが、「スタイルは違えど、お好み焼きはお好み焼き。“広島VS関西”といった不毛な論争をするよりも、大切なのはお好み焼きのおいしさを広く届けていくこと」という結論だった。そして1998年にソースとは別の商品として発売されたのが、オタフク独自ブレンドのお好み焼き粉や、いか天をブレンドしたこだわりの天かす、すじ青のりをセットした『お好み焼こだわりセット』だ。

「広島お好み焼きとは異なり、生地自体に味が付いている関西お好み焼きの特徴を学んで開発した商品で、今では全社売上2位の商品にまで成長しています。それとともに関西の皆さんにも『オタフクお好みソース』に親しんでいただけるようになりました」

イスラム圏でも愛されるオタフクソース、多様な食習慣に寄り添い世界50ヵ国・地域で販売

 『オタフクお好みソース』の特徴であるコク深い甘みに欠かせないのが、主に中東で産出されるデーツというフルーツだ。日本ではあまり馴染みのないデーツを原材料に使用するようになったのは1975年のこと。

「きっかけはオイルショックによる砂糖の価格高騰でした。調味料メーカーの業界団体・日本ソース工業会の海外視察で、ウスターソース発祥の国であるイギリスを訪れた際にデーツと出会い、コク深い味や高い栄養価に着目したのが始まりです」

 当時はオタフクソースだけでなく、業界全体で砂糖の代替品としてデーツが採用された。やがて砂糖とデーツの価格は逆転したが、オタフクソースでは現在も一貫してデーツにこだわり続けている。

「他のソースブランドがデーツを使わなくなっていたことを知ったのは、1991年のこと。メディアから『湾岸戦争でオタフクソースへの影響は?』という問い合わせがあり、デーツの輸入のほとんどが弊社のものだったことがわかりました」

 中東情勢は今なお不安定だが、オタフクソースでは複数の国からデーツを調達することでこだわりの味を守っている。さらに近年は中東に多いイスラム教徒のための調味料も開発されている。

「イスラム教徒には豚肉をはじめ口にすることが許されない食材があり、調味料もイスラム法に則って生産されたもの(=ハラール)でなければいけません。オタフクソースの海外工場がある3拠点のうち、マレーシアもイスラム教徒が多い国です。ハラール認証を受けた商品として、現地法人で生産及び販売されているアイテムは30品以上ございます。ちなみに現地の試食イベントではサバを使ったお好み焼きが大人気です」

 そのほかヴィーガンや食物アレルギー、糖類、塩分などに配慮したソースも展開。日本国内以上に多様な世界の食習慣に寄り添ってきたオタフクソースは、今では世界50以上の国・地域で販売されている。

 第二次世界大戦後の焼け野原で生まれた広島お好み焼き。そのおいしさがより「多くの福=平和」とともに広く世界に届けられることを願いたい。

(文/児玉澄子)
◆「オタフクソース」オフィシャルサイト(外部サイト)
◆「オタフクソース」オフィシャルTwitter(外部サイト)

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