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新内眞衣を育んだ『オールナイトニッポン』との“6年愛” ドッキリから重大発表まで、印象に残ったラジオ放送3選

この記事は、LINE初の総合エンタメメディア「Fanthology!」とオリコンNewSの共同企画です。
⇒この記事をオリジナルページで読む(1月26日掲載)

2022年1月末に乃木坂46を卒業することを、ニッポン放送のラジオ番組『乃木坂46のオールナイトニッポン』で発表した新内眞衣さん。新内さんは、2014年から約4年間、同局の関連会社で働きながら「OL兼アイドル」として活躍。2016年には『乃木坂46 新内眞衣のオールナイトニッポン0(ZERO)』でラジオパーソナリティデビューを果たし、現在の『乃木坂46のオールナイトニッポン』でもレギュラーを務めるなど、新内さんとラジオは切っても切り離せない存在のように感じられます。そんな新内さんに、ラジオパーソナリティとして大切にしていること、ターニングポイントとなった放送について、さらには「卒業記念」と銘打たれた2nd写真集『夜が明けたら』に込めた思いなどを語っていただきました。

撮影:田中達晃(Pash) 取材・文:磯部正和
ヘアメイク:MAKI スタイリスト:浦田聡美

初回の放送は恥ずかしくて聞き返したくない(笑)

――ラジオパーソナリティを長年務めるなど、新内さんとラジオは切っても切り離せない存在に感じられますが、小さいころからラジオとは近い関係だったのですか?
実は全然身近な存在ではなく、車に乗ったときに流れているラジオを聞くぐらいの距離感だったんです。

――では、ラジオ番組制作の会社に入社してから、接するようになったのですか?
そうですね。しかも自分でパーソナリティをやることになってから、会社の人にいろいろと心得を教えていただき、少しずつ身近になっていった感じです。
――ラジオ番組のパーソナリティを務めることになったときは、どんなお気持ちでしたか?
「なに? わけ分からない」というのが正直な気持ちでした。初回の放送はもうめちゃくちゃで、今でも聞き返したくないぐらい(笑)。一方で、始まる前は不安しかなかったのですが、心のどこかでは「ラジオの制作会社に勤めていたんだから、どうにかなる」という思いもありました。でも、やることはできても続けることは難しいと思っていたので、どうやってリスナーを増やしていけばいいのか……など頭を悩ませていました。

――初回の放送を聞き返したくないというのは、どういう部分で?
具体的にどこがというよりは、全体的に緊張しているので、早口で声が高いんです。それがものすごく恥ずかしいですね。

ドッキリに憤慨、1部昇格、そして… 新内眞衣の印象に残ったラジオ3選!

――約6年間のラジオ放送で、特に印象に残っている放送やターニングポイントになったなと感じるエピソードを3つ教えてください。
1つ目は、2017年3月22日放送の『オールナイトニッポン0』ですね。そもそも放送開始のときから1年で終わると言われていた枠だったのですが、普通のラジオだと終了1か月ぐらい前から、だんだん「いよいよあと何回なので、それまで楽しみましょう」みたいな余白期間がありますよね。でもそんなこともなく、いきなり「終わりです」と告げられて……。私的には「1年間リスナーさんに真摯に向き合ってきたのに、どうしてそういう期間を設けてくれなかったんですか!」という思いが強くて、かなり憤慨してしまったんです。

まあ、いま考えればドッキリだと分かるだろうって感じなのですが、あのときは本気で悔しくて……。いきなり「これはドッキリで、番組は続きます」と言われて、泣いちゃいましたね。しかもそれを見てスタッフさんたちが笑っていることにも、腹が立ってしまいました。かなり印象に残っている放送です。
――続いて2つ目は?
放送自体ではないのですが、2部(深夜3時〜放送。現在は『オールナイトニッポン0(ZERO)』)から1部(深夜1時〜放送)に昇格したことですね。3年間ずっと頑張ってきたラジオで、スタッフさんたちと一緒に1部に行けたのがとても嬉しかったです。ラジオパーソナリティという意味では、非常に大きなターニングポイントになった出来事でした。

――2部ならではの「リスナーとの近さ」みたいなものを好む方もいるのかなと思っていましたが、やはり1部で放送されるというのは大きなことなのですね。
すごく分かりやすく言うと、2部から1部になると、放送局が倍近く増えるんです。もちろん2部の方が自由度は高い部分もあるため、そちらの方がいいというリスナーの声もありますが、物理的に多くの人に聞いていただけるというのは、私にとっては大きな変化でした。
――最後の一つはなんですか?
昨年11月17日の放送で、乃木坂46から卒業することを発表した回です。以前から、もし自分が卒業するときがきて、そのときラジオを続けていたなら、絶対オールナイトニッポンの生放送で発表したいと思っていたんです。
――オールナイトニッポンでの発表にこだわった理由は?
生放送って緊張感がある現場なんです。だからこそ、自分を律するではないのですが、ちゃんとやらなければという思いでアイドルの活動を続けてこられたんです。そんな思いもあって、もし卒業することになったら、絶対生放送で伝えたいという思いは強かったんです。

「その人の素を引き出したい」パーソナリティとしての矜持

――番組にはいろいろなゲストがやってきましたが、どんなことを意識してパーソナリティをしていたのですか?
たいそうなことはなにも考えていませんでしたが、番組に来てくれた子たちが輝いて帰ってくれたらいいなという思いはありました。テレビや雑誌などいろいろな媒体がありますが、ラジオの魅力って、その人の素を引き出して、多くの人に知ってもらうことなのかなと思ったんです。

――なにか素を引き出すテクニックはあるのですか?
なんだろう。特に言えることはないのですが、とにかく楽屋とかで観察しています(笑)。それをもとに話をして、いろいろ引き出していこうということはやっていました。
――ラジオ番組の制作会社に勤めていた経験はパーソナリティに活きましたか?
会社では直接番組制作には関わっていなかったので、技術的なことは分かりませんが、先輩方から「ラジオを聞きなさい」とか「いろいろな本を読みなさい」とか「自分の強みはなんですか?」みたいなことは言われました。いま考えると、それってパーソナリティとしてやっていくための準備だったのかなと思います。

――ラジオ番組をやっていて、心に残ったリスナーの言葉などはありましたか?
基本的に深夜のラジオってふざけた内容が多いので、熱い言葉を……みたいなものはあまりないのですが、リスナーの方から「ラジオを聞いていたから大学受かりました」とか「ラジオを聞いてラジオの制作会社を志望しました」という声をいただくと、人の将来に少しでも影響を与えられたのかなと嬉しくなったのを覚えています。
――ラジオパーソナリティをしたことで、どんな自分になれましたか?
できているか分かりませんが、人として正しくありたいとは常日頃から思うようになりました。先ほども申し上げましたが、生放送をやっているという自覚は、日常の生活のなかではとても大きなことでした。あとは仕事に穴をあけてはいけないので、体調管理はもちろん、気持ちの浮き沈みがないように、心をコントロールしなければという思いも強くなったと思います。

――乃木坂46卒業までにラジオでやっておきたいことは?
かつての上司には「新内眞衣は俺が育てた」という人がたくさんいるんです。その方々に生放送で「どうやって新内眞衣を育てたのか」というのを聞いて回りたいです(笑)。

――最後に、新内さんにとって『オールナイトニッポン』とは?
私が輝ける場所です。

「いまの私が詰まっている」2nd写真集『夜が明けたら』

――大きなターニングポイントを迎えた2022年ですが、1月25日に、「卒業記念」と題した2nd写真集『夜が明けたら』が発売されます。どんなコンセプトで臨んだのでしょうか?
等身大のいまの私でしか撮れないものをお届けしたいという思いで撮影しました。

――いまのご自身とは?
いろいろなことを経験してきてからこその深い表情が刻まれていると思います。デビューしたての9年前だったら、これほどバリエーション豊富な表情は出せていなかったと思います。

撮影/東 京祐

撮影/東 京祐

――デビュー当時は、心に宿した感情をうまく表現できなかった?
そうですね。最初のころは自分がどう受け止められるのかということに怖さもあり、言葉一つにしても表現するのがとても難しかったんです。でもちゃんと受け止めてくれる方がいるんだ、味方がいてくれるんだということが分かり始めてからは、しっかりと感情が出せるようになったと思います。

――「夜が明けたら」というタイトルは秋元康さんがつけたとお聞きしています。
いつも写真集を作るときは、10個ぐらいタイトル候補を送ってくださるんです。そのなかで、やっぱり深夜ラジオをやっていることもあるのか、夜のイメージのタイトルが多くて……。自分にとっての個性でもあると思うので、このタイトルを選ばせていただきました。

――「明ける」という部分では、新しいスタートを連想させるタイトルですね。
そうなんです。夜が明けて新しい一日が始まるという含みがあるのも、私が良いなと思った理由の一つでした。

金沢で撮影されたカット 撮影/東 京祐

金沢で撮影されたカット 撮影/東 京祐

――撮影は石川県金沢市と東京の有楽町で行われたということですが、それぞれの印象は?
私がOLをやっていた場所が有楽町だったんですが、写真集では、OL時代とは違う立場でいま有楽町にいるというコンセプトなんです。もちろんOL時代と切り離しているわけではないのですが、会社を辞めてから結構な年月が経っているので、そことは違う自分になったというイメージを出したかったのはあります。

金沢は卒業旅行じゃないですが、旅を楽しむというコンセプトでの撮影でした。黒のドレスで赤いリップをした写真は、若いメンバーでは出せない大人の魅力ということでお気に入りです(笑)。

中学生時代のつまずきから対人関係を変化させていった

――帯には秋元さんから「彼女なら大丈夫。どこに行っても、好かれるだろう。彼女は自分の居場所を見つけるのが上手だ」というコメントも寄せられていますね。
こうした言葉をいただけたのは、私が21歳で乃木坂46に入ったのが大きいと思います。私は中学生時代、人間関係につまずいて「このままじゃ一人になってしまう。変わりたい」と強く思ったんです。そういう気持ちで日々を過ごしてきた結果、いただけた言葉だと思います。多分、中学生ぐらいで乃木坂46に受かっていたら、こんなありがたい言葉をかけてもらえるような人間にはなっていなかったと思います。その意味ではタイミングってとても大切だなと感じています。

――どうやって対人関係を変えていったのですか?
どこかの国の人が言っていたのですが「人は迷惑をかけるものだから、自分が迷惑をかけてしまったとき、助けてもらえるような人間になればいい」という言葉があったんです。それを聞いて、相手がどうしたら心地よくなるのかを考えるようになりました。相手がいい気分になれば、こちらも自然と居心地が良くなるじゃないですか。自分から相手に与えようという思いになってから、スムーズにいくようになりました。
――乃木坂46のメンバーの写真集というのは、発売前から大きな注目を集めていますが、プレッシャーはありますか?
特に気にしていません。部数などを取り上げられることもありますが、人の心に残る作品であれば、それが一番なので。買ってくださった方が「良かったな」と思ってくださったら嬉しいです。
――1st写真集からパワーアップしている部分を教えてください。
背中はめっちゃキレイです(笑)。あとは歯並びもキレイになっています! 1st写真集のときは、ちょうど歯の矯正中だったので内面的にも外見もレベルアップしていると思います!

――乃木坂46卒業後、どんな未来を想像していますか?
正直全然分からないです(笑)。それを含めて全部を受け入れて楽しみたいです。乃木坂46を受けたのも、好奇心だったので、その気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいです。
プロフィール
新内眞衣(しんうち・まい)

1992年1月22日生まれ、B型。アイドルグループ・乃木坂46のメンバー。2013年5月に乃木坂46の2期生として加入し、14年に研究生から正規メンバーへと昇格。同年4月から、ニッポン放送の関連会社でも働く“OL兼任アイドル”としても話題となった(18年3月いっぱいで退社)。現在はラジオ『乃木坂46のオールナイトニッポン』(毎週水曜 深1:00)のレギュラーパーソナリティを務める。
作品情報
  • 乃木坂46・新内眞衣2nd写真集『夜が明けたら』通常版表紙 撮影/東 京祐

    乃木坂46・新内眞衣2nd写真集『夜が明けたら』通常版表紙 撮影/東 京祐

2nd写真集『夜が明けたら』(2022年1月25日発売)

前作から4年ぶりとなる写真集は、今年1月に30歳を迎える新内の“大人の女性”としての魅力が映える、歴史的風情の残る街・金沢と、デビュー当時OL兼アイドルという“二刀流”だった彼女の思い出の街である東京・有楽町を舞台に撮り下ろした。約9年間のアイドル活動の集大成として、“アイドルらしさ”と“かっこいい大人の女性”が共存した作品になり、ランジェリー&水着も披露する。
この記事について
この記事は、LINE初の総合エンタメメディア「Fanthology!」とオリコンNewSの共同企画です。
俳優・歌手・芸人・タレントらの趣味嗜好を深堀りしつつ、ファンの「好き」を応援。今後、さらに気になる人の「これまで」と「これから」をお届けしていきます。
⇒この記事をオリジナルページで読む(1月26日掲載)

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