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ORICON NEWS
「今が一番“元気ハツラツ”」奇跡の90歳・大村崑、筋トレに励み妻を愛する日々「目標は102歳で“赤い霊柩車”に乗る」
虚弱体質、右肺切除…「まったく“元気ハツラツ”じゃない」大村が吹っ切れて喜劇の道へ
86歳からはなんと筋トレに励み、体力年齢は驚きの50代。その"元気ハツラツ"なヒケツを明かしたエッセイ本『崑ちゃん90歳 今が一番、健康です!』(青春出版社)も発表している。
「実は、あの看板の写真を撮った当時はまったく"元気ハツラツ"じゃなかったんです。顔はいつも土気色で、だけどそれじゃCMキャラクターとしてウソやで、と思われてしまう。だから目の下とかほっぺたとかに、薄く紅を塗ってたんですよ」
そう明かす大村は、生まれつき虚弱体質で、尋常小学校の2年間を養護学級で過ごしたほど。小1のときに左目にボールが当たり弱視に、小3で難聴に、20歳になる直前には結核を患い、右肺を切除するという満身創痍ぶりだ。
「医者から『あんたは40歳まで生きられないだろう』って言われてました。だったら好きな喜劇で大いに暴れてやろうと、逆に吹っ切れたんです」
不思議とウマが合った故・いかりや長介さん、「葬儀のときは泣きました」
「当時、大阪と東京の喜劇人はものすごく仲が悪くてね。こっちが東京に乗り込んでいくと、『闇夜には気を付けろよ』なんて電話が滞在先のホテルにかかってくるほどバチバチやってたんですよ」
そんな中でも不思議とウマが合ったのが、故・いかりや長介さん(2004年3月20日・72歳没)だ。
「ドリフターズの楽屋にもよく遊びに行って、まだ付き人だった志村けんさんがお茶を出してくれたのをよく覚えてますよ。そんなある日、いかりやさんから『崑ちゃん、昭和6年11月1日生まれって本当か?』って電話がかかってきた。『うん、そうや』『俺もだよ』って。なんと誕生日がまったく同じだったんです。じゃあどっちが先に生まれたか、親に確認してみようってなって。どうも僕は早朝、彼は夕方に生まれたらしい。それから彼は僕のことお兄ちゃんって呼んでくれるようになったんです。葬儀のときは泣きましたね。寂しかった」。
86歳で一念発起してジムへ、教えてくれるのは60歳も年下
「それでも童顔のせいか、いつも年齢より若く見られてたんですよ。ところがあるとき寝起きに鏡を見たら背中は丸まってる、皮膚もシワシワ。寝ぼけながら『どこのご老人かな?』とよくよく見たら僕だった」
それが86歳のときのこと。年齢からすれば順当かもしれないが──。
「決定打は(妻)瑤子さんとジーンズを買いに行ったとき。瑤子さんはおしゃれな人やからね、ポコーンと突き出た僕のお腹を見て『もうええわ』と店を出てスタスタ。瑤子さん、おいてかんといてーって追いかけたけど、情けないことに僕はヨタヨタ歩き。それから少し経った頃に瑤子さんが誘ってきたんです。『一緒にジムに行かへん? お腹へっこまそう』って」
嫌々ながらも引っ張られるようにジムへ。親交の深い梅沢富美男が"コミット"したことも決め手になった。
「最初はスクワットすらまともにできませんでした。それが3回できるようになり、5回、10回──。今では15回を3セットやってます。しかも『大村さんのスクワットは美しいですね』なんて褒めてもらえるからうれしくなっちゃって(笑)。ジムでは"スクワットの崑ちゃん"って呼ばれてるんですよ」
トレーナーは60歳も年下の男性。
「ごっつうムキムキのスーパーマンみたいな大男でね。最初は『86歳にもなって手取り足取り教えてもらえるかい』と思ってたんですよ。芝居は人に教えてもらうもんじゃない、目で見て盗めってずっと言われてきましたから。しかもこの年齢になると、本当に誰も教えてくれなくなりますよ。だけどそのスーパーマンは、『大村さん、もっと深くいきましょう』『まだいけます、大丈夫です』。俺を殺す気か! と思いつつも、確信に満ちた清々しい声にすっかりその気にさせられてしまいましたね」