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もの言うクリエイター、なぜタブー視? “反権力”とエンタメの親和性

「政治発言」をするのも自由なら、それに「否」を唱えるのも自由

  • SNSで「#検察庁法改正案に抗議します」について言及した秋元才加 (C)ORICON NewS inc.

    SNSで「#検察庁法改正案に抗議します」について言及した秋元才加 (C)ORICON NewS inc.

 知識人が距離を置き始めたことが左派衰退を早めた。「例えば作家の故・中上健次さんも自作品で、『革命後に社会が腐敗したらまた革命を起こしたいなど、何度も起こさなければいけない革命なら最初からやらなければいい』といった答えを導き出しています。ちなみに「革命」が現実から“ロマン”となった当時の社会風俗については島田雅彦さんの小説『優しいサヨクのための嬉遊曲』が詳しい。“サヨク”のカタカナ表記も当時の風俗を非常によく表しています」(衣輪氏)。

 そして政治的な時代が終りを迎え、1980年代にポストモダンが隆盛。「政治的発言」をすることが「タブー視」というよりは「時代遅れ」「格好悪い」と思われる時代に突入する。

 芸能人であればその影響は甚大だ。ポストモダンは“主義者”を否定するカウンターカルチャーでもあったためノンポリとの相性も◎。素人=“主義者ではない”を売りにしたとんねるずやおニャン子クラブが一世を風靡した時代でもあった。

「この反動で1990年代に1960〜70年代の“再構築”が起こります。その一つが庵野秀明監督のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。集団主義(ネルフ)と個人主義(ゼーレ)の争いでネルフは敗北。ただし残ったのはゼーレという“主義者”の“集団”でもなく、碇シンジという単なる“個”でした。これは全体主義を批判する左派思想のパロディ化で、このセンスがカルチャーに浸透、フォーマット化されます。2000年代のSMAP『世界に一つだけの花』大ヒットもこの流れのなかにあるでしょう。ただし「政治的発言」はまだ“恥ずかしい”とされる時代が続きます」(同氏)

 衰退、パロディ化され息を潜めていた「全体主義の否定」「権力への抗議」だったが、息を吹き返したのは2010年代。SNSの発達で、その“リアル”を取り戻したのだ。SNSではどこにいても連携を取れる。これにより見えなかったマイノリティーたちが声を上げやすくなった。政治に対して市民の一人ひとりが意見する。それがナマの声として多くの人の目に留まる。とても大事で当たり前の状況にようやく戻ってきたように思える。

 だが今回の事象を見ると、芸能人・クリエイターらの「政治的発言」は今もタブー視されたまま。衣輪氏は歴史や背景を振り返りながら、こう分析する。

「いまだに「政治発言」に「リアル」を感じず、「恥ずかしい」と思う人がいることもありますが、今は、ガセネタも多いネット言説において、これに芸能人たちが“利用”されていないか訝(いぶか)しむユーザーが多いのです。タブー視する人を「ネトウヨ」と蔑む人もいますが、実は『報道内容はどこまで真実か、その背景は?』と情報を精査する冷静な人も多い。そもそも政治に「否」を唱えるのも自由なら「その意見はどうか」と懐疑的になるのも自由。発言する以上、批判や議論は最初から覚悟しておかなければならない。ただ、もとよりクリエイターは、大島渚監督のように思想を作品に織り込める。「言葉」は齟齬が生じやすいため「作品」に込めるのも一つの手では?」(同氏)

 影響力のある著名人であるからこそ「発信に責任を持つ」「情報の取捨選択の目を持つ」ことが今後も大切に。今こそ冷静な「議論」をし、「何を信じて何と戦うか」を熟考する……そんな時代が訪れているのではないか。
(文/西島亨)

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