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本末転倒? 情報拡散ツールとしてのTwitterの「長文スクショ」の是非
流行語、小説にレシピ…140字だからこそ生まれたコンテンツ
以降、140字という制限の中で小説やレシピをまとめることが話題になったり、字数制限があるがゆえに「◯◯なう」(今○○である)、「(ry 」(略)、「草(w)」(笑い、面白い)、「リアタイ」(リアルタイム、今進行中の意)、「じわる」(じわじわくる)といった略語が生まれて、Twitter用語・ネット用語となり、今では一般用語としても使用されるようになった。
これまでに、この140字を利用したコンテンツも生まれた。1回の投稿で読み手の心を震わせる小説や、簡単・時短を追求したレシピなど、拡散力も手伝い反響を呼び、書籍化になったという例もある。決まった文字数があるからこそ、制限の中でおもしろいコンテンツを生み出すことができたのでは。
1番の利点は「拡散力」しかし使用性の低下と不満の声も
そんな中、裏技的に登場したのが「スマートフォンのメモアプリで書いた長文をスクリーンショットし、画像として添付して投稿する」という“長文スクショ”だ。この手法を最初に取り入れたのは2016年、米Twitterのジャック・ドーシーCEOといわれ(『ITmedia NEWS』2017年10月14日付記事より)、以来日本でも長文スクショがじわじわと広がっていった。ドラマの考察や映画のレビュー・リスト、メイクの手順など、趣味のコミュニティや日常生活の中のトラブル、注意喚起など用途はさまざま。中には手書きの紙を撮影した画像を何枚か添付するという、デジタルなのかアナログなのかわからない使い方をする人も出てきた。
こうした流れは芸能人にも広がり、元NGT48の山口真帆やロンドンブーツ1号2号の田村淳らも、自身の思いを語るツールとして、長文スクショを投稿。彼らの心境を真摯に受け止め読んだユーザーも多かったのでは。通常は140字内で完結するはずのツイートが長文となることは、投稿者にもどうしても伝えたいことがあるのだろうし、たしかにスクショを全部読めばその思いもわかるのだが、実際に全文を読む人がどれだけいるのだろうか?…という疑問もわいてくる。
長文スクショの利点としては、「広く拡散できる」「検索されない」「一部のツイートだけ切り取って拡散できない」などがあげられるが、逆に「細かい文字でびっしり書かれて見づらい」「検索できない」「連続投稿の場合は、途中のツイートが拡散されると真意が伝わらない」といった問題点もある。そうしたことから、先述のように「長文載せるなら個人ブログでやれ」「読むのが苦痛」などの批判の声も出てくるのである。
問題提起の場だけにならない“ユルさ”とのバランス
先日の「常磐道あおり運転殴打事件」にしても、被害者のTwitterから表面化し逮捕にいたった反面、通称「ガラケー女」と認定したデマツイートが拡散され、無関係の女性が巻き込まれるなどの被害も生まれた。Twitterで拡散されたトラブルがワイドショーやネットニュースで取り上げられることも多い昨今、賛否両論あるTwitter問題も多くの人がいろいろと考えるきっかけになれば、結果オーライなのかもしれない。
そもそもツイートは“つぶやき”であり、論文や街宣活動ではない。Twitterはその安易さやユルさこそが持ち味であり、長文スクショなどが主流になれば、それこそ自由さや軽やかさも制限されかねない。やはりTwitterは気軽に楽しんでつぶやいていけばいいということなのだろう。