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戦争経験したやなせ氏が伝えたかった“アンパンチ”に込めた正義とは
戦争で感じた「本当の正義」をアンパンマンに込めた作者・やなせたかしさん(C)ORICON NewS inc.
“アンパンチ論争”勃発、やなせ氏も生前に反論
作者のやなせたかしさんも、生前「アンパンチが暴力的」という声を受け、「けんかもせず、摩擦をおそれ、何もしないで成長する子どもはいますか?自分が子どものころは、よくチャンバラごっこをやったけど、だからって私は殺人はしませんよ」とコメントしている。
69歳にして待望のヒット作、やなせ氏の「正義」最初に理解したのは子どもたち
漫画家を夢見つつも、製薬会社、新聞社、三越のグラフィックデザイナー、サンリオの絵本作家などを経験し、ようやく漫画家デビューを果たしたのは34歳のとき。しかし、そこからも代表作には恵まれず、後輩の漫画家が次々と有名になっていった。それでも徹夜で漫画を描き続け、ふと懐中電灯を手に当てた時、びっくりするほどきれいに透ける赤色に見とれて、“これほど絶望していて心に元気がなくても、血は元気なんだなぁ”と自分自身に励まされたように感じたという。そのとき生まれた名曲が「手のひらを太陽に」である。
その後、『アンパンマン』が誕生したのは50歳の年だが、これもすぐには認められなかった。今でこそ国民的な作品だが、当初は「顔を食べさせるなんて残酷」、「こんなみっともない主人公では売れない」など、編集部、批評家、幼稚園から酷評された。
しかし、やなせさんは「正義とはかっこいいものじゃない」と譲らなかった。アンパンマンに込めた“本当の正義”とは、「お腹をすかせた人を救うこと」。彼は第二次世界大戦時、24歳で中国に出征。飢えに苦しみながらも日本の正義を信じて戦ったはずが、戦後「悪魔の軍隊」と呼ばれ、信じていた“正義”が一変した。自著『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)では、「正義のための戦いなんてどこにもないのだ 正義はある日 突然反転する 逆転しない正義は献身と愛だ 目の前で餓死しそうな人がいるとすれば その人に 一片のパンを与えること」と綴っている。
その思いを形にした前代未聞のヒーロー・アンパンマンは、大人たちの予想に反して子どもたちからの絶大な人気を博し、半世紀以上に渡って愛される大ヒット作品となる。やなせさんは、亡くなる前年に受けたNHKのインタビューで、次のように語っている。「(大人は)幼児の作品は、幼児用にグレードをうんと落とそうと考える。文章も非常に短くする。僕もそれを要求されたんですけどね、違うんですよ。全く違うんですよ。非常に不思議なことにね、幼児というのは、お話の本当の部分がね、なぜか分かってしまうの」
彼の“正義”をいち早く理解したのは、紛れもなく子どもたちであった。