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デビュー20周年のDragon Ash、他ジャンル発展の“水先案内人”となった彼らの功績

 ロックバンド・Dragon Ashが、今年2月でメジャーデビュー20周年を迎える。ロックをベースに、エレクトロやHIP HOPなど様々な音楽ジャンルを融合した“ミクスチャーロック”に挑戦し続け、新たな音楽ジャンルをJ-POPシーンに根付かせた。他ジャンル発展の水先案内人となった彼らが後進グループに与えた影響とは?

国内において“サンプリング”の概念を根付かせた第一人者

  • Dragon Ashの3年ぶりのシングル「光りの街」(2016年11月09日発売)

    Dragon Ashの3年ぶりのシングル「光りの街」(2016年11月09日発売)

 Dragon Ashは、Kj(降谷建志)を中心に結成し、1997年にミニアルバム『The day dragged on』でメジャーデビュー。もともとはパンクロックを主体にしたスタイルだったが、ロックとHIP HOPを融合させた米国出身のグループ・ビースティー・ボーイズなどから影響を受け、徐々にミクスチャーサウンドへと傾倒。ラップやDJといったHIP HOPの要素を早くから採り入れるようになった。

 転機になったのは、1999年にR&BシンガーのAcoとラッパーのZeebraをフィーチャリングした楽曲「Grateful Days」だ。この曲で、週間シングルランキングで初の1位を獲得。同曲の中でZeebraが歌った、<俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうなヤツは大体友達>というフレーズが、ラップの代表的なフレーズとして定着。明石家さんまなどの有名人が、ラップのマネをするときに使うようになり、これによってラップを知った人も多いだろう。また、他のアーティストの楽曲音源を引用する、HIP HOPの手法のひとつ=サンプリングを使って制作した「I LOVE HIP HOP」を同時発売し、話題を集めた。同年発売のアルバム『Viva La Revolution』ではミリオンセラーを記録した。

 日本において“HIP HOP”や“ミクスチャーロック”をメジャーシーンに押し上げ、自曲を通してサンプリング(過去の楽曲や音源の一部を引用し、新たな楽曲を製作する表現技法)という概念をお茶の間に浸透させたDragon Ash。彼らの活躍以降、RIP SLYME(2001年デビュー)やケツメイシ(2001年デビュー)、KICK THE CAN CREW(2001年デビュー)らのラップ勢を始め、ORANGE RANGEなどのミクスチャーバンドが続々デビューしてメジャーシーンで活躍したが、そういった流れの下地を作ったのが、Dragon Ashだった。それと同時に、彼らに憧れバンドを始めた若者も増えた。

 新しいグループの発掘や育成にも力を注いでいた彼ら。2000年に自身の企画イベント“TMC(Total Music Communication)”を立ち上げ、定期的に開催して様々なグループを世に紹介した。メジャーデビュー前のRIP SLYMEを始め、スケボーキング、ラッパ我リヤ、PENPALSといった、多彩なアーティストがジャンルレスで出演。2003年には、自身のレーベル“MOB SQUAD”を立ち上げ、SAUCEや麻波25といった新たなミクスチャーバンドが所属。2001年にはKjが、RIP SLYMEのILMARIらと共に、ユニット・Steady&Co.を結成して幅広く活動した。

降谷建志のカリスマ性でファン層拡大 メッセージ性とキャッチャーさでJ-POPに浸透

 90年代中盤、EAST END × YURIの「DA・YO・NE」がミリオンヒットを記録し、スチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギーバック」が大ヒット。日本において、アンダーグラウンドであったHIP HOPといったジャンルをオーバーグラウンドに押し上げたのはこの2曲であるが、それはユーモアを持った面白い歌のスタイルのひとつという解釈だった。Dragon Ashの功績は、ラップなどのHIP HOPの要素を、ロックバンドのかっこよさの中に落としこんだことだろう。ゴリゴリのロックとデジタルサウンドを上手く融合させ、そこにラップを乗せるといった楽曲は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやリンキン・パークといった海外のバンドの活躍もあって、ロックファンの間では受け入れられていたが、一般層に届けるにはかなりのハードルの高い作業であった。しかし、Dragon Ashは、胸に響くメッセージ性溢れる歌詞やキャッチーなサビメロを加えることで、一般層にも浸透させた。

 Dragon Ashは、90年代以降のサンプリングに対する“概念”も変えた。単純に楽曲を引用するのではなく、そこには自分たちが影響を受けてきた音楽や文化に対する敬意、自分たちのルーツを明らかにする意味があり、それによって新しい音楽を生んできた。それは単なる引用ではなく愛情溢れる“オマージュ”であり、大げさに言えばサンプリングを文化にまで昇華したとも言える。

 しかし、そうしたオマージュとしてのサンプリングという概念を一般に広めた一方で、そこには批判の声もあり、誤解を生むこともあった。「Grateful Days」で共演したZeebraとの確執は有名だ。2002年にK DUB SHINE、Zeebra、DJ OASISの3人からなるHIP HOPグループ・キングギドラの楽曲「公開処刑」の中で、降谷建志に向けて、声質、フロウ(言葉にメロディや緩急を付けて聴かせること)、ステージングがZeebraと酷似していると言及。Kjは、Zeebraへの敬意の表し方が間違ったやり方に映ってしまったとして、Zeebraの批判を受け止め、アンサーソングは出さなかった。当時の心境をZeebraは自伝で語っており、昨年11月にツイッターでも改めて言及しているが、現在のDragon Ashのオリジナリティを認めて和解の姿勢を示している。以降Kjは、ストレートなラップから、歌唱での表現をより重視するようになり、さらに2003年にはダンスパフォーマーを正式メンバーとして迎え、ダンス&ボーカルグループとの垣根までも軽々と跳び越え、新たなスタイルを築いた。

 HIP HOPにはマナーがあり、ロックバンドにもマナーがあり、違った文化をひとつに融合させることは実に難しい。そのことは、異文化ゆえの戦争が海外で絶えないことからも明白だ。それを音楽で体現しようと、果敢にチャレンジしてきたのがDragon Ashなのだ。決して最初から順風満帆だったわけではなく、紆余曲折を経ながらの20年目。日本では根付くのは難しいとされたロックとHIP HOP、デジタルサウンドを融合させたミクスチャーバンドとしての後進への影響、日本ロックシーンに新たな礎を築いた功績は計り知れない。

(文:榑林史章)

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