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【連載15】誰も狙えない“ポストSMAP”、チャリティで見えたオンリーワンの理由
SMAPが広く支持されたきっかけは、震災後のあの歌
これは、2014年の2月、中居正広が『震災から3年“明日へ”コンサート』(NHK総合)の司会を3年連続で勤めることが決まり、テレビ誌やエンタメ誌などの 取材を受けたときに語っていた言葉だ。自身も、毎回SMAPとして歌を披露していたことから、この番組に関する取材では、「歌で勇気づけられたことは?」などと質問されることが多かったが、中居は、「僕個人としては、歌で勇気づけられたとか、誰かの歌を聴いて泣いたりしたことはないです。音楽によって、そうやって感情を揺さぶられたり、エネルギーをもらえる人というのは、それだけ感受性が豊かなんだろうなと思います」と、淡々と答えていた。オフィシャルのインタビューなので黙っていたが、中居が、「僕自身は歌によって感情を動かされたりしない、冷たい人間なんですよ」という“設定”で発言するたびに、「いやいや中居さん、“人の歌を聴いて”ではないにせよ、あなた、『BEST FRIEND』を歌うたびに号泣してるじゃないですか!」と、内心ツッコミを入れていた。
90年代にSMAPが、従来のアイドルにない幅広い支持を獲得するに至ったのは、分析記事でよく語られるような“バラエティ番組への進出”や“バラエティ班、ドラマ班など、メンバーをキャラクター分けしての個人売りの成功”“脇役から火がついた俳優・木村拓哉の大ブレイク”といった理由の他に、音楽面では、1995年1月、阪神・淡路大震災後の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、「がんばりましょう」を披露したことも大きかったように思う。当時は、小室サウンドにキャッチーなビーイング系、スピッツ、Mr.Children、ウルフルズ、シャ乱Qといったバンドなど、若手のアーティストたちがランキングを賑わせていたけれど、その分、大人から子供まで誰もがシンプルに口ずさめる曲は少なかった。そんな中、SMAPの「がんばりましょう」の歌詞は、どうってことない日常に寄り添いながら、ストレートに聴き手を鼓舞する内容が、その時期にピタリとハマっていた。しかも、踊って歌う彼らが放つテッパンのアイドルスマイルは、暗くなりがちな日常を、パッと明るく照らしてくれたのである。
冬の時代に生まれたグループは、“自分たちにできること”を模索してきた
2015年、SMAPが日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の応援サポーターに決まると、香取は財団の新オフィスに16平方メートルの巨大壁画を寄贈した。今年11月22日に開催された、リオパラリンピックのメダリストたちが登場したスポーツと音楽の祭典“パラフェス”では、その壁画のレプリカと、そのメイキング映像が披露された。エンティング映像には「世界に一つだけの花」が流れ、退場時のBGMは「オリジナル スマイル」だったという。