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一歩間違えれば即“炎上” 「毒舌タレント」の境界線とは?

  • 毒舌タレントの代表格となった有吉弘行 (C)ORICON NewS inc.

    毒舌タレントの代表格となった有吉弘行 (C)ORICON NewS inc.

 有吉弘行やマツコ・デラックス、坂上忍といった、いわゆる「毒舌」タレントが芸能界を席巻して久しい。毒舌とまでは言わなくても、タレントがご意見番やコメンテーターとして、他の芸能人の言動のみならず、時事問題にいたるまで批評・批判することは、今や珍しくなくなっている。しかし一方では、その歯に衣着せぬ言動により批判を受けてしまうケースもあるようだ。果たして、“愛される毒舌”と“炎上する毒舌”の境界線は、いったいどこにあるのだろうか?

たけし、上岡龍太郎、島田紳助、有吉弘行…脈々と受け継がれる“毒舌”の系譜

 そもそも“毒舌タレント”がクローズアップされるようになったきっかけは、1980年前後の漫才ブームでツービートのビートたけしが、「ジジィ、ババァ」といった強烈な発言や社会風刺を題材とした漫才を繰り広げ、大人気となった頃からだっただろうか。彼らの一連のネタは“毒ガス”と呼ばれ、ネタ本の『ツービートのわッ毒ガスだ』は85万部を超える大ヒットとなった。世間はおろか、観客に対しても「何でもゲラゲラ笑いやがって。本当はお前らみたいな客、大嫌いだったんだよ!」(フジテレビ系『笑ってる場合ですよ!』最終回での発言)などと噛みつくスタイルは、当初は批判を浴びることも多かったが、徐々に社会に浸透していき、スタイルとして確立した。

 その後、上岡龍太郎や島田紳助、大竹まことといった毒舌をウリにするタレントが続々登場してくるが、彼らの毒舌は“一般視聴者が言いたいことをズバリ言ってくれる”ものでもあり、また同時に上から目線で、人によってはちょっと鼻につくものでもあったし、彼らもまた、それを意図的にコントロールしていた。以降、芸能界のいちジャンルとして定着していく毒舌タレントだが、再び脚光を浴びるようになったのは、やはり2007年頃にはじまる有吉弘行の再ブレイクからだろう。お笑いコンビ・品川庄司の品川祐に対して「おしゃべりクソ野郎」と発言すると、多くの視聴者から喝采を浴び、勢いに乗って「リズム&暴力」(和田アキ子)、「元気の押し売り」(ベッキー)などと次々とあだ名を付けて大ブレイクし、あっという間に多くの冠番組を持つまでになった。

「有吉さんの毒舌は実に的を射たものでしたし、実際に面白かった。そしてその背景には、有吉さん自身の猿岩石時代の大ブレイク→転落→再ブレイクといった波乱万丈がありましたし、毒を吐いた後には楽屋を回ってフォローする…といったエピソードなどを通して人柄を知っているからこそ、視聴者も許せるんですね。有吉さんの盟友とも言えるマツコ(・デラックス)さんにしても、歯に衣着せぬ発言でブレイクして久しいですが、ふたりとも毒を吐く相手に対して、基本的にはリスペクトがあるから嫌がられないんですよ」(バラエティ番組制作会社スタッフ)

有吉ら好感度の高い毒舌タレントの共通点は類稀な“愛嬌”

 では、毒舌が許されるタレントの境界線はどこにあるのだろうか? もちろん、“リスペクト”も要因のひとつではあるが、毒舌を批判されがちなタレントが相手への敬意がないかといわれると、必ずしもそうではないし、浅はかな知識で批判することがいかに危険であるか、人前に出る職業であればよく理解しているだろう。「毒舌が許されるかどうかは、“愛があるか、ないか”だとよく言われますが、私は“愛嬌があるか、ないか”のほうが重要だと思います」と、前出の制作会社スタッフは語る。

「例えば有吉さんの場合、毒を吐いた後は必ず満面の笑顔でクッションを置きます。あくまでネタのひとつとして笑いに昇華しているので、見ている視聴者も安心できる“明るい毒舌”なんですね。また、『有吉反省会』(日本テレビ系)で言えば、バカリズムさんや博多大吉さんなど、毒をうまく拾って笑いにしてくれる人が周囲にいます。松本人志さんの『ワイドナショー』(フジテレビ系)にしても、そばに付き合いの長い東野(幸治)さんがいるし、佐々木恭子アナに突っ込まれても、素直に受け入れるところを見せるので、大きな“火傷”をしないんです。かつては毒蝮三太夫さんが『このクソババア!』と罵倒しても許されていたのは、同じラジオでもその向こうには当人がいたし、言われた方も喜んでましたから、聴いてる側も不快じゃなかったんですよね」(前出・スタッフ)

批判の的になってしまう、“悪い毒舌”とは?

 一方で、毒を吐いた後、オチとして笑いに昇華することができずにシリアスなままで終わってしまえば、毒舌の息を超えて嫌悪の対象になってしまう。最近は情報番組のコメンテーター、または“ご意見番”として時事問題にズバッと切り込んでいけるタレントやお笑い芸人の需要は高まる一方だが、どこかクスっと笑えるような余白がなければ、どこか偉そうな物言いだけがクローズアップされてしまい、批判の的になってしまうのだ。いくらご意見番的な立場を求められているとはいえ、好感度が命のタレントにとっては諸刃の剣ともいえる。

 毒舌に関して言えば、先ごろアメリカ大統領選で勝利を収めたドナルド・トランプ氏の例もわかりやすいかもしれない。選挙戦で繰り広げられた“毒舌”は、毒舌を超えて“暴論”との見方もあったようだが、少なくとも公の場で堂々と発言しており、またアメリカ国民の本音の部分を代弁していたからこそ、支持されたのかもしれない。いずれにしろ、何かとスキャンダルが多い今の日本でも、損得勘定からくる遠慮や心にもないおべっか、偽善などでごまかすことなく、本音でズバズバ発言する毒舌タレントの存在は今後もまだまだ需要がありそうだし、それをまた視聴者も望んでいるのは間違いない。

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