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『ビリギャル』ヒットで“ギャルブーム”の復活あるか?
80年代以降、形態を変え様々な“ギャル”文化が誕生
1989年には、中尊寺ゆつこのマンガ『スィートスポット』の中で、“オヤジギャル”という言葉も登場。1995年になると、「TRY ME」で安室奈美恵がデビュー。ミニスカート、厚底ブーツ、茶髪のロングヘアーなど、アメリカ西海岸風のファッションが流行し、“アムラー”と呼ばれる安室をオマージュした女性が渋谷を中心に増えていった。それまでのギャルファッションは、丸井やパルコなど、あくまで女子大生&OL向けであったが、「109」を筆頭に“アムラー”を目指す女子高生、女子中学生を取り込むことに成功すると、“コギャル”“マゴギャル”という呼び名が定着。彼女たちがもたらす経済効果は相当なものだった。
同時期には、ギャル系ファッション誌『egg』(大洋図書)が創刊され人気となり、ブラックコンテンポラリー系の洋楽のヒットや茶髪とのバランスもよいことから、日焼けブームが起こるが、1997年から“ガングロ”と呼ばれる極度の日焼けが流行。翌98年には、3日に1度は日焼けサロンに通う“ヤマンバギャル”が登場した。茶髪のブリーチも白髪に見えるほどにエスカレートし、奇抜なメイクと“ゴングロ”“バチグロ”と呼ばれる、さらに黒く日焼けした肌がもてはやされた。だが1999年に浜崎あゆみが「A Song for XX」を大ヒットさせると、“ガングロ”のカウンターとして“白ギャル”が流行。白い肌と金髪に近い茶髪という組み合わせが中心となる。2000年に入って、“白ギャル系”と“ヤマンバ”から派生した“マンバ系”による、ギャルの二極化が見られるようになる。さらに、お姉さま系ファッションと融合した“お姉ギャル”まで現われてくるのだ。
時代を象徴する“カリスマ”の出現で、一大ギャルブームの再来も有り得る
現在のギャル業界は、有名人ギャルをあまり見なくなり(もしくは芸能界を引退した)、雑誌『egg』や『小悪魔ageha』も相次いで休刊。雑誌『ViVi』が、ハイパーブリーチをかけた白系金髪やピンク、パープル、ブルーの髪色・太い眉・濃い目のリップ・ごつ目のアクセなどで外国人風にしたファッションの“ネオギャル”を提唱している。植野有砂や佐々木彩乃といったファッションブランドの看板女性が“ネオギャルのカリスマ”とされるが、一般的に知名度があるとはいえない。
では、“ギャル”文化はこのまますたれていくのかといえば、そうではないだろう。中高年男性の間では、もはや“若い女性=ギャル”となっている感さえある。雑誌『小悪魔ageha』も4月に復刊し、映画『ビリギャル』のヒットもある。これからも派手でインパクトのあるファッションが若い女性たちの間で流行れば、その女性たちは“○○ギャル”と呼ばれるだろうし、時代を象徴するタレントやロールモデルとなりうる“カリスマ”が現われれば、一大ギャルムーブメントもまた巻き起こるだろう。時代とともにファッションや文化は変幻自在に変わっていく。“ギャル”文化も、いったん鎮火したように見えながら、少しずつ形態を変えて、今後も息づいていくのであろう。
(文:五目舎)