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藤原紀香、幼少期の親子ショット添え“厳格”な父との思い出を追想「絵に描いたような昭和の頑固おやじでした」 上京時の忘れられない記憶明かす きのう父の死を報告
 俳優の藤原紀香(54)が6日、自身のインスタグラムを更新。5日に死去を報告した父親との思い出をつづった。

藤原紀香 (C)ORICON NewS inc.

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 前編と後編の2つの投稿にわたって思いをしたためた藤原。前編では幼少期に撮影された父と弟との3ショットや、「ドラマ『愛と青春の宝塚』を撮影した宝塚大劇場に父が見にきてくれた時」の2ショットを公開し、「天に旅立った父は、絵に描いたような昭和の頑固おやじでした」と厳格だった父の姿を振り返った。

 大学生になっても門限は夜10時で、少しでも遅れると木刀を持って玄関に立っていたという父。口答えをすると家に入れてもらえず、飼っていた犬の犬小屋で眠ったこともあったと明かし、「――実話です。(笑)」と当時を回想した。

 藤原は、母の応募をきっかけに大学在学中にミス日本グランプリを受賞した。芸能界から声がかかったものの、父は芸能界入りに猛反対。「東京に出るなどとんでもない」と一切聞き入れてもらえなかったという。それでも夢を諦めきれなかった藤原は、「父に『卒業論文を期限内に提出し、単位を一つも落とさず四年で卒業すること』を条件に、東京と兵庫を新幹線で往復しながら、モデルやイメージガールの仕事を続けたいと懇願しました」と明かした。

 学業と仕事の両立で円形脱毛症ができるほど追い込まれていた頃、阪神・淡路大震災が発生。藤原の死生観が大きく変わり、「やりたいことをやらずに命が終わったら、きっと後悔する」と、父の反対を押し切って上京を決意したという。しかし父は最後まで反対し、「出て行くなら、もう二度と帰ってくるな」と告げられたまま、決裂状態で上京の日を迎えた。

 ところが当日、父は「トラックを用意したから荷物を積むぞ」と言い、自ら軽トラックを運転して兵庫から東京まで家財道具を運んでくれたという。無言の長距離ドライブの末、六畳一間のアパートに到着。帰り際、父は「鍵、閉めろ。戸締りだけは毎日しっかりしろ」とだけ言い残し、兵庫へ戻っていったと振り返った。

 藤原は「あの時、『ありがとう』と言えなかったけれど、無言でハンドルを握り続けた父の横顔と、あの戸締りの言葉は今も忘れられません。不器用で言葉少ない、けれど確かな愛情と、娘を一人の人間として送り出す、父の覚悟だったのかな」と回想した。

 上京後の生活は厳しく、オーディションに落ち続け、貯金が減り、地下鉄サリン事件の不安に押しつぶされそうになった日もあったという。それでも、震災後に懸命に生きる地元の友人たちを思い、「帰るわけにはいかない」と自分を奮い立たせていたと告白。母から送られてきた米と紀州の梅干しで食いつないだ日々も「今では大切な思い出」とつづった。

 そんな中、2000年頃に行われた沖縄でのファンイベントに両親を招待。飛行機嫌いだった父は震えながら搭乗し、会場ではファン一人ひとりに「紀香をよろしくお願いします」と頭を下げていたと、後に母から聞かされたと明かした。「500人の皆さんと一緒にジャンボに乗る会なんて、なかなか無いらしいぞ〜」と誇らしそうに語っていた父の笑顔は、今も心に焼き付いているという。

 父との不器用ながらも深い絆を丁寧につづった投稿には、多くの温かな声が寄せられている。

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