1968年にスタートしたオリコン・チャート、第1回となった1月4日付の1位は黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」だった。トップ10にはスパイダースやブルー・コメッツの名も見られ、GS人気が持続していたことが窺える。翌69年にかけてのチャート黎明期は、タイガースやテンプターズらのGS、伊東ゆかりやいしだあゆみなどの女性歌謡ポップスが台頭していた。まだ流行歌という呼称が相応しいラインナップで、60年代文化最後の輝きといえる。 それが70年代に入ると、新たな動向が見られる。高度経済成長時代の総決算ともいうべき大阪万博が開催された70年こそ「黒ネコのタンゴ」と藤圭子の年であったが、71年には小柳ルミ子、南沙織、天地真理らが相次いでデビューし、アイドル・ポップスという新たなジャンルが確立した。時代の変化に呼応したエポックなCMのキャッチコピー<モーレツからビューティフルへ>は、音楽業界にもあてはまるフレーズだったかもしれない。それらと並行してチャートを賑わしたのが、吉田拓郎、かぐや姫らフォーク勢。60年代に流行ったフォークとは趣を異にし、後にニューミュージックと呼ばれるものの礎を築いた作品群である。 シティ・ポップスの先駆けとなった荒井由実(現・松任谷由実)も颯爽と登場して時代の波に乗る。一方で72年に宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」、74年に殿様キングスの「なみだの操」(発売は73年)という演歌の特大ヒットも続出した。瞬発力のあるポップス系作品に対し、長期にわたって地道に累計を重ねてゆく演歌特有のチャート推移が既に見られる。「女のみち」は68年に千昌夫「星影のワルツ」が記録した68週を大きく超え、実に84週もの間100位内をキープしつづけた。 |
アルバム・セールスの概念が希薄だった70年代は、シングル・ヒットが断然主流の時代であった。76年夏にデビューしたピンク・レディーが、沢田研二や山口百恵らと共に活躍を見せた70年代後半は、『ザ・ベストテン』をはじめとするテレビ歌番組にもチャートが反映された。78年にはサザンオールスターズの登場でニューミュージック隆盛に拍車がかかる。
その頃になるとシンガー・ソングライターの楽曲提供により、歌謡曲とニューミュージックの境界線も緩やかになりはじめていた。演歌やアイドルなど混沌とした状況のなかで80年代を迎えるのである。
(文/鈴木啓之)
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2006/05/31