ファッション誌『with』(講談社)で連載されていた「わたしが27歳だったころ。」をまとめた書籍『わたしたちが27歳だったころ 悩んで、迷って、「わたし」になった25人からのエール』が、22日に発売される。
本書に登場するのは、俳優、映画作家、脚本家、宇宙飛行士、映画字幕翻訳者、ドラマプロデューサーなど、さまざまな職業で活躍する25人の女性たち。27歳だった頃、何に悩み、どんな生き方を選択し、今何を思うのか――。時代を作り、活躍する女性たちが語る「わたし」ヒストリーを一冊にまとめた。
3月発売の5月号で定期刊行が終了となったが、40年以上にわたり「働く20代」に寄り添い、応援し続けてきた『with』から、働く女性たちへの最後のエールとなる本書について、ORICON NEWSでは6日間にわたって一部誌面を公開する。
第3弾は、俳優の吉瀬美智子。福岡から上京して20歳でモデルとして活動し、32歳から俳優に挑戦。その経歴で世間的には常に“遅咲き”というイメージがつきまとったが、遠回りしたと思われがちな時間も「必然だった」と語る彼女が、27歳に思い描いた未来とは……。
■『わたしたちが27歳だったころ 悩んで、迷って、「わたし」になった25人からのエール』
・吉瀬美智子
「取り柄がないと思うなら、明確な目標を立てること」
Profile
1975年生まれ。福岡県出身。モデルを経て、2007年本格的に俳優デビュー。その後『ハガネの女』で連続ドラマ初主演を務める。主な出演作に、ドラマ『ブラッディ・マンデイ』、『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』、『シグナル 長期未解決事件捜査班』、『書けないッ!?〜脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活〜』など。著書に、今を好転させる心習慣を綴った『幸転力』(小学館)がある。
人によって
心地いい生き方は違うから
自分のスタイルを探してほしい。
私は自分の力で道を切り開く
覚悟だけは持ち続けたい。
女の人の種類は2タイプ。私はきちんと目標を立てて進むタイプです
「いつか、東京に狭小住宅を建てるのが夢です」
『Domani』の専属モデルを務めながら、周囲にそう宣言していたのが、27歳ぐらいの時だったと思います。20歳で福岡から上京して、雑誌のモデルとして活動していた27歳の私は、周囲からは安定して見えたかもしれません。でも、私の中では「この先何をしたらいいだろう?」と“次の一手”をどう打つかで頭がいっぱいでした。せっかく田舎から東京に出てきたからには、自分の力で何かを勝ち取りたい。でも、27歳が考えることなんて単純で、まずは家賃を払わずに済む生活を手に入れたいと思っていたんでしょうね(笑)。
20歳で上京して最初に芸能のお仕事を始めたんですが、合わなくて。モデルに転向して『Domani』の専属になってからは、仕事も楽しかったですし、毎日充実もしていました。ただ、専属モデルが2〜3年続くと、だんだん表紙が飾れないことがわかってくるんです。特に私はファッションじゃなくてビューティのモデルだったので、よっぽど奇抜なメイクでもしない限り、写真に変化がつきにくい。何か新しいことにチャレンジしなければ、自分の中のマンネリは打破できないなと、ジワジワとその先の未来について考え始めたのが26〜27歳ぐらい。で、28歳になる直前に、『噂!の東京マガジン』という情報番組のアシスタントに抜擢されたんです。
女の人って大きく2種類に分かれますよね。目標を立てるタイプと、後先考えずに今を生きるタイプ。私は、目標を立ててそこから「今何をすべきか」を逆算する。もちろん、10代の頃は「なんの取り柄もないんだから、結婚して養ってもらわないとダメだよなぁ。将来はいい人見つけなきゃ」なんて思ってましたよ。でも、私は性格が男っぽいというか、こうと決めたらその意志を曲げない。「こんな性格じゃ、誰かと一緒になんか住めないな」と、結婚に対する諦めのようなものも抱えていました。
玉の輿は、考えたことないなぁ。IT長者みたいなお金持ちの人って、普段からなんか気合が入っている感じじゃないですか。私、田舎育ちだから、そういうバリバリした感じの人に免疫がなくて(笑)。あ、27歳の最大の葛藤といえば、長くお付き合いしている人との関係について。「この人は(結婚相手とは)違うな」ってことだけはなんとなくわかっていたけれど、なかなかケジメがつけられなかった。でも、次のステージに進む準備をする途中に新しい出会いがあって、世界が広がった。そのお陰で彼とお別れすることができたんです。
世間的には常に“遅咲き”というイメージがつきまとった。でも、遠回りしたと思われがちな時間も、「必然だった」
苦手意識があったドラマに、再チャレンジし始めたのが29歳ぐらいのとき。そこから「俳優になる」という明確な目標を定め、コツコツとした準備が実を結んで、32歳のときに、今の事務所に入ることができました。事務所の社長につけてもらったキャッチコピーは「32歳の新人」。実際には、それまでにも映像の仕事をいくつか齧っていて、本当の新人ではなかったけれど、上京してから10年ちょっとの間にいろんな経験をして、方言も取れて(笑)。自分なりの準備が整ったから、順調なスタートが切れたんだと思います。
モデルをメインで活動していた10年の間に、“自分”という商品の持つ特性を、どうやったら正しい形で人に届けられるかを考えるようになりました。例えば、私はモデル時代ロングヘアだったんですが、事務所を移ってすぐ社長から「ショートにしてほしい」と言われたんです。私は、ロングに固執していたわけじゃないけど、「どうしてですか?」と理由を確認しました。自分自身が商品であり、その商品のマネージャーでありプロデューサーでもあるわけで、納得しないまま安易に要求を呑んでしまうと、後悔するかもしれません。トラブルになってから、「やらなきゃ良かった」となるのは最悪です。だから、イメージチェンジを求められるときも仕事を受けるときも、自己責任として、きちんと自分が納得するまで話し合う。そうじゃないと進めないんです。
「32歳の新人」でよかったのは、自分で自分の限界がわかっていることでした。芝居の世界に足を踏み入れてわかったのは、俳優さん達って、本当にギリギリまで自分を追い詰める人が多いんです。お芝居が好きで、「自分にはこの道しかない」って覚悟があるからなんでしょうけど、私からしたら常に崖っぷちに立っているように見えてしまう。でも、私はセリフ覚えも悪いし、できることなら楽しくお芝居をしたいと思ってしまうタイプなので、最初から事務所の人には正直に、「しんどいことはなるべくしたくないです」ってお伝えしました。もちろん、ラクしてできる仕事なんかどこにもないし、現場に入ったら絶対にしんどいんです。その中で、自分を追い詰めないで済む程度に、仕事を選ばせていただくことができているのは、20代の時の経験があったからだと思います。
特殊な才能がある人は、行き当たりばったりでもうまくいくかもしれませんけど、私のように、飛び抜けた技術も情熱もないと感じているなら、将来実現したい明確な目標を持つことをお勧めしたいかな。私は今40代半ばですが、いくつになっても“この先にあんなことしたい”っていう構想は持っています。だから、世の中にアンテナを張っていて、そのアンテナにピピッと来た人と親しくなったり、誰か人を紹介してもらえたり。試練に立ち向かいながら成長していく人もいるけれど、私はそっちじゃない。餌をぶら下げられたら走るタイプ(笑)。人間の数だけ幸福の形があって、人によって心地のいいやり方や生き方は違うわけで、自分に合うスタイルを探していけばいいのです。
ただ、試練でも準備でもなんでもいいけど、ちゃんと自分の力で道を切り開く覚悟は持ち続けているかな。何もせずにおいしい思いをしようとする、他力本願ではダメ。信心深い祖父に育てられた影響か、我が家では木彫りの小さなお地蔵さんを祀っているんですが、神頼みも具体的じゃなきゃ、叶ったかどうかわからないでしょ? 幸運だって、何も準備をしてない人のところにはやって来ない。そう思って私は、あれから18年ほどたった今も、未来への準備に勤しんでいるのです。あくまでラクに、楽しみながら。
当時のわたし
『Domani』でビューティモデルとして日々活動しながら、「この先どうすればいい?」と、30歳以降の人生に向けて、いろんなことにアンテナを張り巡らしていた。「20歳で上京したのが人生最初のチャレンジ。32歳で本格的に女優デビューしたのが人生第二のチャレンジ。27歳はまさにその中間地点。具体的に『女優になる』とは宣言できなかった。『狭小住宅を建てる!』というわかりやすい目標を周囲に伝えることで、『この場所でもっと頑張るぞ』と自分を奮い立たせていたのかも」
『with』2021年3月号掲載
撮影/来家祐介(aosora)
スタイリスト/道端亜未
ヘア&メイク/山下景子(コール)
取材・文/菊地陽子
本書に登場するのは、俳優、映画作家、脚本家、宇宙飛行士、映画字幕翻訳者、ドラマプロデューサーなど、さまざまな職業で活躍する25人の女性たち。27歳だった頃、何に悩み、どんな生き方を選択し、今何を思うのか――。時代を作り、活躍する女性たちが語る「わたし」ヒストリーを一冊にまとめた。
3月発売の5月号で定期刊行が終了となったが、40年以上にわたり「働く20代」に寄り添い、応援し続けてきた『with』から、働く女性たちへの最後のエールとなる本書について、ORICON NEWSでは6日間にわたって一部誌面を公開する。
第3弾は、俳優の吉瀬美智子。福岡から上京して20歳でモデルとして活動し、32歳から俳優に挑戦。その経歴で世間的には常に“遅咲き”というイメージがつきまとったが、遠回りしたと思われがちな時間も「必然だった」と語る彼女が、27歳に思い描いた未来とは……。
■『わたしたちが27歳だったころ 悩んで、迷って、「わたし」になった25人からのエール』
・吉瀬美智子
「取り柄がないと思うなら、明確な目標を立てること」
Profile
1975年生まれ。福岡県出身。モデルを経て、2007年本格的に俳優デビュー。その後『ハガネの女』で連続ドラマ初主演を務める。主な出演作に、ドラマ『ブラッディ・マンデイ』、『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』、『シグナル 長期未解決事件捜査班』、『書けないッ!?〜脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活〜』など。著書に、今を好転させる心習慣を綴った『幸転力』(小学館)がある。
人によって
心地いい生き方は違うから
自分のスタイルを探してほしい。
私は自分の力で道を切り開く
覚悟だけは持ち続けたい。
女の人の種類は2タイプ。私はきちんと目標を立てて進むタイプです
「いつか、東京に狭小住宅を建てるのが夢です」
『Domani』の専属モデルを務めながら、周囲にそう宣言していたのが、27歳ぐらいの時だったと思います。20歳で福岡から上京して、雑誌のモデルとして活動していた27歳の私は、周囲からは安定して見えたかもしれません。でも、私の中では「この先何をしたらいいだろう?」と“次の一手”をどう打つかで頭がいっぱいでした。せっかく田舎から東京に出てきたからには、自分の力で何かを勝ち取りたい。でも、27歳が考えることなんて単純で、まずは家賃を払わずに済む生活を手に入れたいと思っていたんでしょうね(笑)。
20歳で上京して最初に芸能のお仕事を始めたんですが、合わなくて。モデルに転向して『Domani』の専属になってからは、仕事も楽しかったですし、毎日充実もしていました。ただ、専属モデルが2〜3年続くと、だんだん表紙が飾れないことがわかってくるんです。特に私はファッションじゃなくてビューティのモデルだったので、よっぽど奇抜なメイクでもしない限り、写真に変化がつきにくい。何か新しいことにチャレンジしなければ、自分の中のマンネリは打破できないなと、ジワジワとその先の未来について考え始めたのが26〜27歳ぐらい。で、28歳になる直前に、『噂!の東京マガジン』という情報番組のアシスタントに抜擢されたんです。
女の人って大きく2種類に分かれますよね。目標を立てるタイプと、後先考えずに今を生きるタイプ。私は、目標を立ててそこから「今何をすべきか」を逆算する。もちろん、10代の頃は「なんの取り柄もないんだから、結婚して養ってもらわないとダメだよなぁ。将来はいい人見つけなきゃ」なんて思ってましたよ。でも、私は性格が男っぽいというか、こうと決めたらその意志を曲げない。「こんな性格じゃ、誰かと一緒になんか住めないな」と、結婚に対する諦めのようなものも抱えていました。
玉の輿は、考えたことないなぁ。IT長者みたいなお金持ちの人って、普段からなんか気合が入っている感じじゃないですか。私、田舎育ちだから、そういうバリバリした感じの人に免疫がなくて(笑)。あ、27歳の最大の葛藤といえば、長くお付き合いしている人との関係について。「この人は(結婚相手とは)違うな」ってことだけはなんとなくわかっていたけれど、なかなかケジメがつけられなかった。でも、次のステージに進む準備をする途中に新しい出会いがあって、世界が広がった。そのお陰で彼とお別れすることができたんです。
世間的には常に“遅咲き”というイメージがつきまとった。でも、遠回りしたと思われがちな時間も、「必然だった」
苦手意識があったドラマに、再チャレンジし始めたのが29歳ぐらいのとき。そこから「俳優になる」という明確な目標を定め、コツコツとした準備が実を結んで、32歳のときに、今の事務所に入ることができました。事務所の社長につけてもらったキャッチコピーは「32歳の新人」。実際には、それまでにも映像の仕事をいくつか齧っていて、本当の新人ではなかったけれど、上京してから10年ちょっとの間にいろんな経験をして、方言も取れて(笑)。自分なりの準備が整ったから、順調なスタートが切れたんだと思います。
モデルをメインで活動していた10年の間に、“自分”という商品の持つ特性を、どうやったら正しい形で人に届けられるかを考えるようになりました。例えば、私はモデル時代ロングヘアだったんですが、事務所を移ってすぐ社長から「ショートにしてほしい」と言われたんです。私は、ロングに固執していたわけじゃないけど、「どうしてですか?」と理由を確認しました。自分自身が商品であり、その商品のマネージャーでありプロデューサーでもあるわけで、納得しないまま安易に要求を呑んでしまうと、後悔するかもしれません。トラブルになってから、「やらなきゃ良かった」となるのは最悪です。だから、イメージチェンジを求められるときも仕事を受けるときも、自己責任として、きちんと自分が納得するまで話し合う。そうじゃないと進めないんです。
「32歳の新人」でよかったのは、自分で自分の限界がわかっていることでした。芝居の世界に足を踏み入れてわかったのは、俳優さん達って、本当にギリギリまで自分を追い詰める人が多いんです。お芝居が好きで、「自分にはこの道しかない」って覚悟があるからなんでしょうけど、私からしたら常に崖っぷちに立っているように見えてしまう。でも、私はセリフ覚えも悪いし、できることなら楽しくお芝居をしたいと思ってしまうタイプなので、最初から事務所の人には正直に、「しんどいことはなるべくしたくないです」ってお伝えしました。もちろん、ラクしてできる仕事なんかどこにもないし、現場に入ったら絶対にしんどいんです。その中で、自分を追い詰めないで済む程度に、仕事を選ばせていただくことができているのは、20代の時の経験があったからだと思います。
特殊な才能がある人は、行き当たりばったりでもうまくいくかもしれませんけど、私のように、飛び抜けた技術も情熱もないと感じているなら、将来実現したい明確な目標を持つことをお勧めしたいかな。私は今40代半ばですが、いくつになっても“この先にあんなことしたい”っていう構想は持っています。だから、世の中にアンテナを張っていて、そのアンテナにピピッと来た人と親しくなったり、誰か人を紹介してもらえたり。試練に立ち向かいながら成長していく人もいるけれど、私はそっちじゃない。餌をぶら下げられたら走るタイプ(笑)。人間の数だけ幸福の形があって、人によって心地のいいやり方や生き方は違うわけで、自分に合うスタイルを探していけばいいのです。
ただ、試練でも準備でもなんでもいいけど、ちゃんと自分の力で道を切り開く覚悟は持ち続けているかな。何もせずにおいしい思いをしようとする、他力本願ではダメ。信心深い祖父に育てられた影響か、我が家では木彫りの小さなお地蔵さんを祀っているんですが、神頼みも具体的じゃなきゃ、叶ったかどうかわからないでしょ? 幸運だって、何も準備をしてない人のところにはやって来ない。そう思って私は、あれから18年ほどたった今も、未来への準備に勤しんでいるのです。あくまでラクに、楽しみながら。
当時のわたし
『Domani』でビューティモデルとして日々活動しながら、「この先どうすればいい?」と、30歳以降の人生に向けて、いろんなことにアンテナを張り巡らしていた。「20歳で上京したのが人生最初のチャレンジ。32歳で本格的に女優デビューしたのが人生第二のチャレンジ。27歳はまさにその中間地点。具体的に『女優になる』とは宣言できなかった。『狭小住宅を建てる!』というわかりやすい目標を周囲に伝えることで、『この場所でもっと頑張るぞ』と自分を奮い立たせていたのかも」
『with』2021年3月号掲載
撮影/来家祐介(aosora)
スタイリスト/道端亜未
ヘア&メイク/山下景子(コール)
取材・文/菊地陽子
このニュースの流れをチェック
- 1. 『with』連載「わたしが27歳だったころ。」書籍化 時代をつくる女性25人のヒストリーが一冊に【冒頭全文公開】
- 2. 紅ゆずる「立ち向かわずに凌ぐだけでも、大丈夫」 書籍『わたしが27歳だったころ』【全文公開】
- 3. 吉瀬美智子「取り柄がないと思うなら、明確な目標を立てること」 書籍『わたしが27歳だったころ』【全文公開】
- 4. 倖田來未「全力を出し切ったら、自分を労うことを忘れずに」 書籍『わたしが27歳だったころ』【全文公開】
- 5. 山口智子「試練に立ち向かった日々は、新たなチャレンジの力になる」 書籍『わたしが27歳だったころ』【全文公開】
- 6. 吉田羊「20代の自信に、根拠なんかなくていい」 書籍『わたしが27歳だったころ』【全文公開】
2022/04/22