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『おちょやん』で話題の世界の喜劇王チャップリンとは?

 NHKで放送中の連続テレビ小説『おちょやん』(月〜土 前8:00 総合/前 7:30 BS4K・BSプレミアム※土曜日は1週間の振り返り)。3月8日からの第14週では、ヒロイン・千代(杉咲花)が所属する鶴亀家庭劇と、当時「喜劇王」と称された須賀廼家万太郎(板尾創路)率いる一座が観客動員数で“対決”することに。そのきっかけとなったのが、世界の喜劇王チャップリンだ。

連続テレビ小説『おちょやん』にも登場、世界の喜劇王チャップリンとは?

連続テレビ小説『おちょやん』にも登場、世界の喜劇王チャップリンとは?

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 チャップリンは、1889年4月16日、イギリス・ロンドン生まれ。ミュージックホールの役者だった両親は、チャップリンが2歳くらいの頃に離婚。母親に引き取られたチャップリンは、5歳で初めて舞台に立つが、その子ども時代というのは、貧民院に何度も収容されるような貧困と苦難に満ちたものだった。

 【『おちょやん』のヒロイン・千代も貧しい家に生まれ、幼いころに母を亡くし、小学校にも満足に通えず、9歳で女中奉公に出された境遇は、チャップリンと少し似ている】

 17歳でヴォードヴィル劇団で本格的な俳優業を始めたチャップリン。類まれな天才ぶりを発揮して、19歳の頃には売れっ子だったそう。そして、巡業先のアメリカで映画会社キーストン社の目に留まりハリウッドへ渡る。

 1914年、25歳のとき、『成功争ひ』で映画初主演。さらに、後のトレードマークとなるだぶだぶズボンにドタ靴、山高帽、チョビ髭、そしてステッキという“放浪紳士”のキャラクターを生み出す。映画にまだ音声のないサイレント時代、パントマイムなどを駆使して、叩いたり叩かれたり、追いかけたり追いかけられたり、体を張って笑いを取るスタイルで、看板俳優となっていった。

 やがて、チャップリンは、脚本・監督・主演・編集の1人4役を全てやるようになり、それまでのドタバタ喜劇にはない2つの新しい要素、「涙」と「社会風刺」を織り込んだ作品で黄金時代を築く。チャップリンが残した有名なことばに「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」というのがある。

 【『おちょやん』の喜劇王・須賀廼家万太郎(板尾創路)のことばに「ほんに人の世は笑えん喜劇と笑える悲劇のよじれあい」があった】

 笑いと涙を融合したチャップリン映画は、人情喜劇として日本の観客も魅了。チャップリンも日本や日本人に関心を寄せ、日本人の高野虎市をマネージャーとして雇っていたほど。そして、初来日が実現したのが、1932(昭和7)年5月14日。翌日、海軍の青年将校たちが犬養毅首相を暗殺するという五・一五事件が起きる。チャップリンを暗殺する計画もあったという。

 それでもチャップリンの日本びいきは変わらず、戦前にあと2回、戦後に1回、計4回来日した。その中で最もはまったのは「歌舞伎」だったという。

 【第14週・第67回で、チャップリン会いたさに、「むこうの出かた探っといてくれ」という千之助の言葉を真に受けて偵察に忍び込み、万太郎一座に捕まってしまった小山田(曽我廼家寛太郎)は、歌舞伎出身の俳優という設定だった】

 3度目の来日から帰国した1939年、ヒトラー率いるナチスドイツによるポーランド侵攻のニュースを聞いてチャップリンは、初めて本格的にトーキーに挑戦することを決める。そして作ったのが『独裁者』。トメニア国の独裁者ヒンケルと、戦争で負傷し記憶を失ったユダヤ人の理髪師は、うり二つだった。ひょんなことからその独裁者と入れ替わってしまい、ユダヤ人の理髪師が独裁者になることに…。チャップリンは理髪師と独裁者の二役を演じ、大観衆の前で演説をするラストシーンで、初めて言葉をしゃべる。それが、“世紀の6分間”と呼ばれる映画史上に残る名シーンだ。

 NHK・BSプレミアムの「プレミアムシネマ」枠では、2月・3月とチャップリンの名作を放送しており、きょう10日に『チャップリンの独裁者』(後1:00〜3:06)、17日に『チャップリンの殺人狂時代』(後1:00〜3:05)、24日に『ライムライト』(後1:00〜3:18)が予定されている。

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