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松本隆氏、筒美京平さんへ「彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない」 「木綿のハンカチーフ」などで作詞

 「魅せられて」「また逢う日まで」などのヒット曲で知られる作曲家の筒美京平さんが今月7日、誤えん性肺炎のため80歳で亡くなった。「木綿のハンカチーフ」や「スニーカーぶる〜す」など筒美さんの代表作を始め多くの楽曲でタッグを組んだ作詞家の松本隆氏(71)は13日、自身のツイッターで追悼コメントを寄せた。

(左から)筒美京平さん、松本隆氏(写真はツイッターより/掲載許可済み)

(左から)筒美京平さん、松本隆氏(写真はツイッターより/掲載許可済み)

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 早朝、3回にわたってツイッターにコメントを連投した松本氏。「神戸のラジオ局でマイクに向かってると、『京平先生が亡くなった、、、』と太田裕美からメールが入った。瞬間、涙の洪水になりそうな心を抑えて、平常心を保ちながらラジオを終わらせた。取り乱さなくて偉いでしょ、褒めてよと天国の京平さんに呟く」と訃報に接した瞬間を回顧した。

 続けて「作詞家になった瞬間、目の前に筒美京平は立っていて、先輩と後輩であり、兄と弟であり、ピッチャーとキャッチャーであり、そして別れなければならない日が来ると、右半身と左半身に裂かれるようだ」と出会った頃からの際立った存在感についても言及。

 最後は「ぼくが京平さんからもらったものはありったけの愛。彼ほどぼくの言葉を愛してくれた人はいない」として、「ありがとう、京平さん。いつかぼくも音符の船に乗り、天の園に舞い上がる日が来る。少しの間、待ってて。そうしたら笑顔で、喜んだり怒られたり哀しんだり楽しく語り合おうね」と呼びかけている。

 筒美さんは1940年5月28日、東京生まれ。青山学院大学卒業後の1963年に日本グラモフォン・レコード(後のポリドール、現ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽ディレクターを勤めた後に1966年に「黄色いレモン」で作曲家デビュー。作詞家の橋本淳氏から誘われ、作曲やアレンジをはじめ、すぎやまこういち氏に師事。

 67年にヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」がヒット、同年、グラモフォンを退社。69年に「ブルー・ライト・ヨコハマ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。以降、「また逢う日まで」とジュディ・オングの「魅せられて」(1979)でレコード大賞2回、レコード大賞作曲賞5回の受賞をはじめ、多数の受賞歴を持つ。作曲した作品は3000曲弱。

 太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975)、近藤真彦「スニーカーぶる〜す」(1980)「ギンギラギンにさりげなく」(1981)、NOKKO「人魚」(1994)、小沢健二「強い気持ち、強い愛」(1995)、KinKi Kids「やめないで,PURE」(1999)、TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」(2013)など多数のヒット曲や、アニメ主題歌「サザエさん」(1969)などを手掛け、日本を代表する作曲家として長年活躍してきた。

 故人の遺志により、葬儀は近親者のみにて執り行われた。新型コロナウイルス感染状況を鑑みて、「お別れの会」なども実施されない。

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