強いヒロインが決めゼリフを吐いてトラブルをスッキリ解決したり、明るく元気なヒロインが周りを元気にしたりするのは、昔からドラマの一種の定番となっている。しかし、近年は、これまで日が当たらなかったほうの女性たちにスポットを当てるドラマが増えている。それは「本音が言えない・空気ばかり読む」女性たちであり、「空気を読むのをやめよう」とするところから、さまざまなドラマが生まれているのだ。
■『凪のお暇』『けもなれ』などに共通するヒロイン像
『凪のお暇』(TBS系)で黒木華が演じているのは、いつも場の空気を読むのに必死で、「わかるー」が口グセの大島凪28歳。そんな凪がモラハラな元カレのひと言がきっかけで、過呼吸をおこして倒れてしまったことから、仕事も辞め、恋人とも別れ、自分を変えようと奮闘する。
その決意が強く込められているのが「空気は読むものじゃなく、吸って吐くものだ」という台詞。でも、こうした「空気を読んでしまう女性」が、意を決して、空気を読むことをやめたときには良くも悪くも、思いもよらないパワーを発揮する。
こうした空気を読んでしまう女性の系譜として思い出されるのは、『獣になれない私たち』(日本テレビ系)で新垣結衣が演じた晶だ。晶は、全方位に気を遣う“すり減らし女”。元カノを4年も同居させたままの彼氏にも本音が言えず、ブラック企業で「仕事がデキる」と言われて仕事を押し付けられまくっていた。
そんな晶の本音に唯一気づいているのが、世渡り上手で毒舌な恒星(松田龍平)で、「キラキラ女子」と言われる晶に対して「笑顔がキモい」と指摘する。実は、苛立ちや怒り、不満をストレートに表情や言葉にする人よりも、「張り付いた作り笑顔」をキープしている人のほうがよほど迫力があるし、時折感情をチラ見せするだけで、周囲へのアピール効果抜群だと思うのだが、それができない。
だからこそ、自分の主張をするために、わざわざ突然トンがったファッションに身を包んで会社に行くし、セクハラ・パワハラのクライアントに土下座をしてしまうし、疲弊しきって、駅のホームから飛び降りそうになるし、行きつけのクラフトビールバーの常連と一夜を共にしたりする。小出しにしないからこそ、実はやることは極端。そんな晶の言動に辛さや苛立ちを覚えた視聴者は多かったろう。
また、『トクサツガガガ』(NHK総合)では、小芝風花演じるヒロインが、特撮を嫌う母の影響から、好きなことを好きと言えず、本音を隠して「いつもニコニコで女子力が高いOL」を演じていた。趣味を共有できるオタク仲間が増え、自分の居場所を確立していくなかで、最終的に対峙しなければいけなかったのが、自分に少女趣味を押し付け続けてきた母親である。
ラスボスである母との対峙は、自立する上でいつかは必ず必要なこと。しかし、母親に「クソババア!」とタンカを切って、ビンタの応酬を見せる場面には拍手とともに「胸が痛くなる」という声が多数あがっていた。
さらに、地下アイドルを追いかけてすべてを失った女オタを描いた『だから私は推しました』(NHK総合)で桜井ユキが演じるヒロインも、これまでは空気ばかり読む女性だった。いつも周りに話を合わせ、「いいね」をもらうために必死で写真を撮ってはアップする。
そんな彼女が、歌もダンスもダメで、グループから浮いているにもかかわらず、一生懸命な地下アイドルの姿に自分を重ね合わせ、アイドルを推す決意をするのだが……。好きなものを好きと言い、自分らしく生き生き、歩み始めたところから「事件」が起こるのだ。
■生きづらさを感じる女性にスポットを当てるドラマが増える必然性
今の世の中に生きづらさを感じている女性は多い。そんな時代に「空気を読んでしまう女性たち」と、そこから逃れるための日々や生き方が描かれるのは、必然かもしれない。しかし、どのドラマも決して甘くないのは、「空気を読むのをやめたら、楽になった」というわけにはいかないこと。
『けもなれ』では人は簡単には変われないリアルが描かれていたし、『トクサツガガガ』では宿敵である母とのほろ苦い妥協点が描かれていた。『だから私は推しました』には、今後大変な展開が待っている。
『凪のお暇』の凪の場合、「お前は絶対変われない!」という元カレの愛情からくる呪いのような言葉がきっかけになり、思い切ってそこから飛び出す。しかし、気づけば「メンヘラ製造機」と呼ばれる隣人・ゴンにハマり、同じような泥沼に浸かってしまう。
一方、凪を追い詰めていた元カレも根っこの部分は「空気を読みすぎてしまう」同類だった。にもかかわらず、一度思い切った凪の強さは、尋常じゃない。慎二の会社、つまり自分が辞めた会社に、ダルダルのTシャツ姿で行く勇気もすごいし、思いを素直に伝えようとしている慎二に「慎二のこと好きじゃなかった」とまっすぐに言い放つ。
大多数の視聴者が「何もそこまで」と慎二に同情するほど、完膚なきまでにやっつけてしまうのは、「空気を読んでしまう」クセがある、一見おとなしく、自己主張が苦手な人にありがちなパターンにも思える。日頃本音が言えず、我慢しているからこそ、一度思い切ると、抑圧されてきたエネルギーが暴発して、誰も止められない無双状態になり、周り中を焼き尽くすほどの攻撃力を持っているのだ。
「空気を読まない」タイプにとっては、ときには恐ろしさを感じるほどに「空気を読んでしまう女性たち」のドラマには、正と負のさまざまなエネルギーが満ち溢れている。
(文/田幸和歌子)
■『凪のお暇』『けもなれ』などに共通するヒロイン像
『凪のお暇』(TBS系)で黒木華が演じているのは、いつも場の空気を読むのに必死で、「わかるー」が口グセの大島凪28歳。そんな凪がモラハラな元カレのひと言がきっかけで、過呼吸をおこして倒れてしまったことから、仕事も辞め、恋人とも別れ、自分を変えようと奮闘する。
その決意が強く込められているのが「空気は読むものじゃなく、吸って吐くものだ」という台詞。でも、こうした「空気を読んでしまう女性」が、意を決して、空気を読むことをやめたときには良くも悪くも、思いもよらないパワーを発揮する。
こうした空気を読んでしまう女性の系譜として思い出されるのは、『獣になれない私たち』(日本テレビ系)で新垣結衣が演じた晶だ。晶は、全方位に気を遣う“すり減らし女”。元カノを4年も同居させたままの彼氏にも本音が言えず、ブラック企業で「仕事がデキる」と言われて仕事を押し付けられまくっていた。
そんな晶の本音に唯一気づいているのが、世渡り上手で毒舌な恒星(松田龍平)で、「キラキラ女子」と言われる晶に対して「笑顔がキモい」と指摘する。実は、苛立ちや怒り、不満をストレートに表情や言葉にする人よりも、「張り付いた作り笑顔」をキープしている人のほうがよほど迫力があるし、時折感情をチラ見せするだけで、周囲へのアピール効果抜群だと思うのだが、それができない。
だからこそ、自分の主張をするために、わざわざ突然トンがったファッションに身を包んで会社に行くし、セクハラ・パワハラのクライアントに土下座をしてしまうし、疲弊しきって、駅のホームから飛び降りそうになるし、行きつけのクラフトビールバーの常連と一夜を共にしたりする。小出しにしないからこそ、実はやることは極端。そんな晶の言動に辛さや苛立ちを覚えた視聴者は多かったろう。
また、『トクサツガガガ』(NHK総合)では、小芝風花演じるヒロインが、特撮を嫌う母の影響から、好きなことを好きと言えず、本音を隠して「いつもニコニコで女子力が高いOL」を演じていた。趣味を共有できるオタク仲間が増え、自分の居場所を確立していくなかで、最終的に対峙しなければいけなかったのが、自分に少女趣味を押し付け続けてきた母親である。
ラスボスである母との対峙は、自立する上でいつかは必ず必要なこと。しかし、母親に「クソババア!」とタンカを切って、ビンタの応酬を見せる場面には拍手とともに「胸が痛くなる」という声が多数あがっていた。
さらに、地下アイドルを追いかけてすべてを失った女オタを描いた『だから私は推しました』(NHK総合)で桜井ユキが演じるヒロインも、これまでは空気ばかり読む女性だった。いつも周りに話を合わせ、「いいね」をもらうために必死で写真を撮ってはアップする。
そんな彼女が、歌もダンスもダメで、グループから浮いているにもかかわらず、一生懸命な地下アイドルの姿に自分を重ね合わせ、アイドルを推す決意をするのだが……。好きなものを好きと言い、自分らしく生き生き、歩み始めたところから「事件」が起こるのだ。
■生きづらさを感じる女性にスポットを当てるドラマが増える必然性
今の世の中に生きづらさを感じている女性は多い。そんな時代に「空気を読んでしまう女性たち」と、そこから逃れるための日々や生き方が描かれるのは、必然かもしれない。しかし、どのドラマも決して甘くないのは、「空気を読むのをやめたら、楽になった」というわけにはいかないこと。
『けもなれ』では人は簡単には変われないリアルが描かれていたし、『トクサツガガガ』では宿敵である母とのほろ苦い妥協点が描かれていた。『だから私は推しました』には、今後大変な展開が待っている。
『凪のお暇』の凪の場合、「お前は絶対変われない!」という元カレの愛情からくる呪いのような言葉がきっかけになり、思い切ってそこから飛び出す。しかし、気づけば「メンヘラ製造機」と呼ばれる隣人・ゴンにハマり、同じような泥沼に浸かってしまう。
一方、凪を追い詰めていた元カレも根っこの部分は「空気を読みすぎてしまう」同類だった。にもかかわらず、一度思い切った凪の強さは、尋常じゃない。慎二の会社、つまり自分が辞めた会社に、ダルダルのTシャツ姿で行く勇気もすごいし、思いを素直に伝えようとしている慎二に「慎二のこと好きじゃなかった」とまっすぐに言い放つ。
大多数の視聴者が「何もそこまで」と慎二に同情するほど、完膚なきまでにやっつけてしまうのは、「空気を読んでしまう」クセがある、一見おとなしく、自己主張が苦手な人にありがちなパターンにも思える。日頃本音が言えず、我慢しているからこそ、一度思い切ると、抑圧されてきたエネルギーが暴発して、誰も止められない無双状態になり、周り中を焼き尽くすほどの攻撃力を持っているのだ。
「空気を読まない」タイプにとっては、ときには恐ろしさを感じるほどに「空気を読んでしまう女性たち」のドラマには、正と負のさまざまなエネルギーが満ち溢れている。
(文/田幸和歌子)
コメントする・見る
2019/09/02