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ピエール瀧ノーカット『麻雀放浪記2020』、4月第1週に公開しなければいけなかったワケ

 4月1日月曜日、新元号「令和」が発表され、その週の金曜日に映画『麻雀放浪記2020』が封切られた。誠に映画的な、もっと言ってしまえば、フィクショナルな計画がなんとも大胆に決行されたと思う。ただ、このプロジェクトはさまざまな要因から一時は、公開そのものが危ぶまれていたことを、私たちは知っている。だからこそ、興奮せざるをえない。

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「令和」が告知されたことによって、私たちは否応なしに「平成」と「令和」のはざまに迷い込む。この4月は平成最後の1ヶ月であるにもかかわらず、すでに日本国民は、この稀有な「エアポケット」を謳歌している。直截に言えば、新しい時代の幕開けを前にして浮かれている。そんな、ひとりの人間の一生にこれから先あるかないかの、国をあげての「不思議な期間」だからこそ、本作の登場にも意味と意義があるのだ。

■壮大かつ野心的な「暴挙」を実践した映画

 阿佐田哲也の同名小説を、イラストレイターの和田誠氏が映画化した1983年のモノクロ作品『麻雀放浪記』は日本映画屈指の名作のひとつとして知られている。それをリメイクするという大胆不敵な本作は、なんと原作の舞台、1945年に生きる主人公・坊や哲を2020年に「タイムスリップ」させるという壮大かつ野心的な「暴挙」を実践した。

 おわかりだろうか。この「暴挙」は、「平成」と「令和」のはざまに生まれた「エアポケット」だからこそ享受できる「タイムスリップ」なのだ。だからこそ、4月第1週にロードショーされなければいけなかったし、もろもろの困難を乗り越えて、それが成されたことに、まずは感動する。「エアポケット」と「タイムスリップ」のランデヴー。あるいは「駆け落ち」と言い換えてもよいかもしれないが、このマリアージュを妄想した計画者(いったい、誰なのだろう?)は本当にすごいと思う。

 小説の舞台になっている1945年から75年。映画『麻雀放浪記』からも37年。この映画のなかの2020年は、戦争によって東京オリンピックが中止となった設定である。つまり「戦後」。同じく「戦後」の闇市で、賭博麻雀に青春を燃やしていた坊や哲。1940年に予定されていた東京オリンピックが戦争勃発の気配に押されて中止になった歴史的事実と符号させる小粋な虚構シチュエーションだ。そう、これは「戦後」から「戦後」への「タイムスリップ」。単なる思いつきを越えた確たるビジョンがある。

■劇中の主人公も「不祥事」を起こし、「謝罪会見」を行う

 学ラン風の衣服で真剣に麻雀を打つ坊や哲は、2020年の人々にとって新規なコスプレイヤーのようにしか見えない。また彼が「昭和」の時代からやって来たという逸話も、コスプレにかかせない「成り切り」のツールとしか認めない。不寛容と言えば不寛容だが、逆に言えばこれは「何でもあり」ということでもある。

 なりたい自分になれればそれでいいじゃん。たとえば、コスプレという世界には、そのような許容度があるのではないか。「オレはオレだ。オレの麻雀を打つ!」とばかりに、時代が変わっても(「昭和」から「令和」に変わっても)躍起になる坊や哲の存在を、売れないコスプレ麻雀アイドル、ドテ子が受け入れ、手助けをすることから物語が展開していくのは、つまりそういうことに思えてならない。そして、なりたい自分になることがコスプレというフィクショナルな世界でしか是認されていないことにも思い当たる。

 だからだろうか。ドテ子をマネージメントする芸能プロ社長、クソ丸のプロデュースで、ふんどし姿の雀士として華々しく麻雀界にデビューした坊や哲は一躍、時の人となる。だが、大ブレイクの後、ある「不祥事」を起こし、「謝罪会見」まで行う羽目に陥る。

「昭和」パートでは、オリジナル版『麻雀放浪記』のクライマックスに忠実に。そして2020年、すなわち「令和」パートでは、わたしたちが生きているこの21世紀を「トレース」するように。主人公の生き様が活写されていく。

■映画のテーマは「逆境における奮起」 真の主人公はベッキー

「不祥事」といえば、本作に出演しているピエール瀧のことがまず思い浮かぶだろう。そのことについては後述するが、ピエール瀧のように犯罪に手を染めたわけではないが、プライベートにおける「不祥事」で著しく好感度を下げたベッキーが、この映画にはもうひとりのヒロインとしてキャスティングされている。これは私見だが、『麻雀放浪記2020』の真の主人公は、ベッキー演じるアンドロイド「AIユキ」なのではないかと思う。なぜなら「逆境における奮起」このが、この映画のテーマだと考えるからである。

 坊や哲もまた「逆境から奮起」する。だが、そのこと以上に、ベッキーというタレント(彼女のメイン活動が決して女優ではないことは重要だ)が自粛を余儀なくされた現実の人生という「逆境から奮起」している事実が、銀幕を震わせるのだ。しかも、人間ではない「AI」を演じることによって。

 2020年パートでは、私たちが生きている世界が「トレース」されていると前述した。つまり、そこではフィクションとノンフィクションが「地続き」のまま存在する。本作が全編、iPhoneで撮影されたのも、おそらく「地続き」感を鮮明にするためだろう。

 実際、ベッキーの演技は素晴らしい。彼女は「昭和」パートで、坊や哲の面倒は見ても、決して男女の仲にはならない気高い女性、雀荘のママ役も兼ねている。ここでのエレガントな牌さばきにも見惚れるが、「AI」を体現する際の「機械的な生命力」のありようは、もうほとんど理屈を越えた領域で、私たちを圧倒する。

■コース料理ではなく、あくまでもファストフードのノリ

 簡単に言おう。
 AIだって、生きているんだ。AIだって、命の鼓動があるんだ。

 ベッキーの芝居は、AIらしさを精緻に積み重ねながら、AIが人間を理解しようとすることによって「血の通った感情」にたどり着く様を、きわめてナチュラルに演じ、そんな感慨をもたらす。

 坊や哲の最大の敵として君臨、冷酷無比なラストバトルを繰り広げる「AIユキ」だが、彼女が単なる悪役ではないことはここで明言しておきたい。ネタバレにならない程度の記述に留めるが、このヒロインの「ドラマ」は、私たちにある啓示を与える。

 AIは人間を学ぶが、人間もAIから学ぶことができる。そこにこそ、これからの可能性があるのではないか。

 AIは人間ではない。だが、生命体である。動物とも違うが、それでも生きている。単純に人間の支配下に置くのではなく、もっと確かな、実のあるコミュニケーションを育んでもよいのではないか。

 そんなことすら、思わせてくれるのだ。

 坊や哲は「不祥事」によって、アイドルの座から落下する。だが、一世一代の勝負に打って出た彼を、大衆は受け入れる。これこそが「逆境からの奮起」であり、ベッキー=「AIユキ」の時空を越えた物語とも二重、いや三重写しになる。

 プチ近未来を描いているとはいえ、これは決して大作ではないし、むしろ往年のプログラムピクチャーの匂いさえある。コース料理ではなく、あくまでもファストフードのノリ。だからいい。だから「逆境からの奮起」に説得力が生まれる。

■『麻雀放浪記2020』は一度くじけた人にもう一度チャンス与えることを描いた映画

 ピエール瀧は白石和彌監督作品の常連俳優であり、ここでも黒幕的なキーマンの役で登場する。だが、決して巨悪でもないし、善人でもない。小悪党と言ったところである。出番もさほどなく、山椒程度のスパイスにすぎない。もちろん、不快感をおぼえる観客もいるだろう。だが、彼の出演シーンをカットせずに公開することを貫いた映画会社・東映の英断はぜひ、肯定したい。

 ピエール瀧が犯した罪は簡単に許されるものではない。また、彼の「不祥事」とベッキーの「不祥事」は、ともにプライベートのこととはいえ、同一視など決してできない。だが、私は大衆のひとりとして思うのだ。

 劇中の坊や哲が「復活」したように。ベッキーというタレントが「復活」したように。「逆境からの奮起」の可能性がピエール瀧にもあってほしい。なぜなら、『麻雀放浪記2020』という映画それ自体が、「一度くじけた人に、もう一度チャンス与えること」を描いているからである。

 日本が迎えた初めての「エアポケット」を抜けたあとの「令和」が、願わくば、そんな寛容な新時代でありますように。
(文/相田冬二)

関連写真

  • 『麻雀放浪記2020』(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会
  • 『麻雀放浪記2020』(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会
  • 『麻雀放浪記2020』(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会
  • 『麻雀放浪記2020』(C)2019「麻雀放浪記2020」製作委員会

提供元:CONFIDENCE

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