NHKで放送中の大河ドラマ『西郷どん』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)で、島津久光を演じた俳優・青木崇高の熱演に、地元・鹿児島からも称賛の声があがっている。
長らく幕末の薩摩藩といえば、開明政策を推し進めたカリスマ君主・島津斉彬ばかりが名君とされ、異母弟の久光は凡庸な人物とみなされてきた。西郷隆盛が崇拝され、神格化していく反作用で、西郷を2度も島流しにした久光は、西郷主役の作品では暗君扱いされ続けてきたのだ。しかし、「近年、英雄中心の歴史とは異なる研究が進み、家督争いの恩讐を乗り越え、斉彬の遺志を引き継ぎ、激動の時代の舵をとった久光の功績に対する客観的な評価が高まっています」と語るのは、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会の東川隆太郎さんだ。
そもそも島津家に生まれた久光と、下級武士の西郷とでは身分が違う。身分に関係なく有能な人材を藩政に採用したのは斉彬で、覚えめでたかったのが西郷だっただけ。久光は西郷とはソリが合わなかったと言われるが、ことあるごとに兄と比較するような物言いをされたら誰だって腹が立つ。久光だって明英な兄を慕っていたし、誰よりも兄にコンプレックスを抱いていたのは彼だったのだから。配慮が欠けていたのは西郷のほうとも言える。
そういった立場をしっかり意識して演じていたのが青木だった。クランクアップする当日に行ったインタビューで青木は「西郷との距離感を大事に演じました。当時の久光が、目の前にいる男が150年後に大河ドラマの主人公になるなんて、これっぽっちも思っていなかったわけで(笑)。島津の人間からすれば、兄上にかわいがられていたかなんだか知らないけど、その後を継いだ自分に異を唱えるなんて何様だって思ったことでしょう。2人の間には純然たるヒエラルキーがあった。なので、西郷のことをはなから最後までヒーローとして見ないように、主人公とも思わないようにしていました」と話した。
二度目の島流しも、久光が上京する際に、命に背いて独断行動したため。おまけに西郷は久光のことを「地ゴロ(田舎者の意味)」と呼んで罵ったが、普通だったらその場で切られていてもおかしくない暴言だ。東川さんも「これは西郷が大人げなく、久光はよくがまんした」と見る。沖永良部島に送った西郷を許す気はなかった久光だったが、生麦事件や薩英戦争を経て、「やはり西郷が必要だ」という藩内の声に折れ、赦免を決断。その時、銀管を噛みしめ、煙管(きせる)に歯型がついたという逸話が残っているが、そうやって久光は耐えてきたのだ。ちなみに、一度目の島流しは、斉彬が有能な人材と認めた西郷を幕府の追っ手から守るためだったということも忘れてはならない。
島から戻った西郷は、禁門の変で活躍し、大政奉還、明治新政府樹立に貢献、戊辰戦争では東征大総督府参謀として戦った。ここで勘違いしてはいけないのが、西郷を要職に据えたのは久光だったということ。「西郷さんが独自に動いていたわけではありません。時の国父・久光の指示や承認があってこそ。西郷さんが幕末のヒーローになれたのは、久光のおかげでもあるという評価が地元でも高まっているんです」と東川さん。
■久光が亀を飼いはじめたのは青木の発案
青木も鹿児島で久光の株が上がっていることを実感するエピソードがあったという。「小学6年生の女の子から、夏休みの自由研究のテーマに島津久光を選んだ、というお便りをいただきました。自分が生まれ育った土地の歴史や人物に興味を持って、学んで、それがまた新たな興味につながっていってくれたらいいな、と思いましたし、そのきっかけがこのドラマや自分の演技だとしたらすごくうれしい。役者冥利に尽きます」。
『西郷どん』の第1回から登場し、甘えんぼうの「ひさみちゅ」と呼ばれた男が、終盤にはPR動画「国父チャンネル」が作られるほど、結果的に「愛されキャラ」になった久光。劇中では怒ってばかりいたが、いつも同じ怒った顔にならないように、青木は鏡を見ながら表情を研究し、忘れないように台本に顔の絵を描き込んでいたというから頭が下がる。
途中で、久光が亀を飼いはじめたのも「何か動物を飼えないですかね?」という青木の発案からで、急激な西洋化を嫌った久光には、歩みの遅い亀はぴったりのチョイスだった。第41回(11月4日放送)で廃藩置県を断行した明治新政府への抗議のため、藩中の花火を集めて一晩中、打ち上げたというエピソードを再現したシーンの熱演も話題になった。
「久光役をいただいた時から、この花火のエピソードが気になっていて、なんて魅力のある人なんだと思わせてくれた。役を演じる上でのモチベーションにもなっていました。花火を桜島の噴火に見立てて怒りを示したとも、ウサ晴らしとも言えますが、自分にとってはご褒美の花火になりました」(青木)。
「歴史上の人物を演じる時はその方のお墓参りに必ず行くようにしています」という青木は、今回も鹿児島市内にある福昌寺の墓所を参拝。「その日が偶然、久光さんが生まれてちょうど200年後にあたる日で、不思議な縁を感じました。天国の久光さんが『西郷どん』を見てどう思うか、ちょっと心配ですが(笑)、僕としてはしっかり向き合うことができました」とやりきった充実感を強く感じているようだった。
ちなみに、鹿児島を訪れた青木に“久光再評価”の話をしたり、足跡をたどれるスポットを紹介したのが、東川さん。「青木さんは、お墓参りはもちろんですが、久光公が収集した書物や直筆の書も見に行かれて、久光公がきちっとした字を書かれる方であったこと、いろんな書物に目を通して熱心に勉強していたこと、決して凡庸な人物ではなかったということを理解された上で『西郷どん』の久光を演じてくださっていたと思います。すばらしかったと思います」と、青木の役に向き合う姿勢と熱演に称賛を送っていた。
長らく幕末の薩摩藩といえば、開明政策を推し進めたカリスマ君主・島津斉彬ばかりが名君とされ、異母弟の久光は凡庸な人物とみなされてきた。西郷隆盛が崇拝され、神格化していく反作用で、西郷を2度も島流しにした久光は、西郷主役の作品では暗君扱いされ続けてきたのだ。しかし、「近年、英雄中心の歴史とは異なる研究が進み、家督争いの恩讐を乗り越え、斉彬の遺志を引き継ぎ、激動の時代の舵をとった久光の功績に対する客観的な評価が高まっています」と語るのは、NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会の東川隆太郎さんだ。
そういった立場をしっかり意識して演じていたのが青木だった。クランクアップする当日に行ったインタビューで青木は「西郷との距離感を大事に演じました。当時の久光が、目の前にいる男が150年後に大河ドラマの主人公になるなんて、これっぽっちも思っていなかったわけで(笑)。島津の人間からすれば、兄上にかわいがられていたかなんだか知らないけど、その後を継いだ自分に異を唱えるなんて何様だって思ったことでしょう。2人の間には純然たるヒエラルキーがあった。なので、西郷のことをはなから最後までヒーローとして見ないように、主人公とも思わないようにしていました」と話した。
二度目の島流しも、久光が上京する際に、命に背いて独断行動したため。おまけに西郷は久光のことを「地ゴロ(田舎者の意味)」と呼んで罵ったが、普通だったらその場で切られていてもおかしくない暴言だ。東川さんも「これは西郷が大人げなく、久光はよくがまんした」と見る。沖永良部島に送った西郷を許す気はなかった久光だったが、生麦事件や薩英戦争を経て、「やはり西郷が必要だ」という藩内の声に折れ、赦免を決断。その時、銀管を噛みしめ、煙管(きせる)に歯型がついたという逸話が残っているが、そうやって久光は耐えてきたのだ。ちなみに、一度目の島流しは、斉彬が有能な人材と認めた西郷を幕府の追っ手から守るためだったということも忘れてはならない。
島から戻った西郷は、禁門の変で活躍し、大政奉還、明治新政府樹立に貢献、戊辰戦争では東征大総督府参謀として戦った。ここで勘違いしてはいけないのが、西郷を要職に据えたのは久光だったということ。「西郷さんが独自に動いていたわけではありません。時の国父・久光の指示や承認があってこそ。西郷さんが幕末のヒーローになれたのは、久光のおかげでもあるという評価が地元でも高まっているんです」と東川さん。
■久光が亀を飼いはじめたのは青木の発案
青木も鹿児島で久光の株が上がっていることを実感するエピソードがあったという。「小学6年生の女の子から、夏休みの自由研究のテーマに島津久光を選んだ、というお便りをいただきました。自分が生まれ育った土地の歴史や人物に興味を持って、学んで、それがまた新たな興味につながっていってくれたらいいな、と思いましたし、そのきっかけがこのドラマや自分の演技だとしたらすごくうれしい。役者冥利に尽きます」。
『西郷どん』の第1回から登場し、甘えんぼうの「ひさみちゅ」と呼ばれた男が、終盤にはPR動画「国父チャンネル」が作られるほど、結果的に「愛されキャラ」になった久光。劇中では怒ってばかりいたが、いつも同じ怒った顔にならないように、青木は鏡を見ながら表情を研究し、忘れないように台本に顔の絵を描き込んでいたというから頭が下がる。
途中で、久光が亀を飼いはじめたのも「何か動物を飼えないですかね?」という青木の発案からで、急激な西洋化を嫌った久光には、歩みの遅い亀はぴったりのチョイスだった。第41回(11月4日放送)で廃藩置県を断行した明治新政府への抗議のため、藩中の花火を集めて一晩中、打ち上げたというエピソードを再現したシーンの熱演も話題になった。
「久光役をいただいた時から、この花火のエピソードが気になっていて、なんて魅力のある人なんだと思わせてくれた。役を演じる上でのモチベーションにもなっていました。花火を桜島の噴火に見立てて怒りを示したとも、ウサ晴らしとも言えますが、自分にとってはご褒美の花火になりました」(青木)。
「歴史上の人物を演じる時はその方のお墓参りに必ず行くようにしています」という青木は、今回も鹿児島市内にある福昌寺の墓所を参拝。「その日が偶然、久光さんが生まれてちょうど200年後にあたる日で、不思議な縁を感じました。天国の久光さんが『西郷どん』を見てどう思うか、ちょっと心配ですが(笑)、僕としてはしっかり向き合うことができました」とやりきった充実感を強く感じているようだった。
ちなみに、鹿児島を訪れた青木に“久光再評価”の話をしたり、足跡をたどれるスポットを紹介したのが、東川さん。「青木さんは、お墓参りはもちろんですが、久光公が収集した書物や直筆の書も見に行かれて、久光公がきちっとした字を書かれる方であったこと、いろんな書物に目を通して熱心に勉強していたこと、決して凡庸な人物ではなかったということを理解された上で『西郷どん』の久光を演じてくださっていたと思います。すばらしかったと思います」と、青木の役に向き合う姿勢と熱演に称賛を送っていた。
2018/11/28