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PFFディレクター荒木啓子氏、第40回を迎えた映画祭のブレない哲学と現映画界への厳しい視線

 若手映画監督の登竜門としてスタートした『ぴあフィルムフェスティバル』(PFF)が、今年第40回を迎える。自主製作映画のコンペティション部門「PFFアワード」からは、現在活躍中の気鋭監督を多数輩出するなど、映画界への功績は大きい。そんな歴史あるPFFのディレクターを務める荒木啓子氏にそのブレない哲学や現在の映画界への想いを聞きながら、これまでの功績を振り返る。

荒木啓子氏/ぴあフィルムフェスティバル PFFディレクター

荒木啓子氏/ぴあフィルムフェスティバル PFFディレクター

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◆映画への純粋な想いを具現化したPFF

 1977年、東映大泉撮影所にて行われた『第1回ぴあ展』映像部門の一企画としてスタートしたPFF。実験映画、名作、ピンク映画などさまざまな映画の紹介をはじめ、「20代で出発った(たびだった)作家達」企画や、雑誌『ぴあ』で公募した作品をぴあスタッフが審査し、オールナイトで上映するPFFアワードの原型など、興味深いプログラムが実施された。そこから40年の月日が流れたが、いまや映画界を目指す人が通る道と言っても過言ではないフィルムフェスティバルへと成長を遂げている。

 PFF出身者を列記すれば、日本映画にどれだけ多大な影響を与えているか一目瞭然だが、荒木氏は「とにかく、スタートから変わらず続けていくこと」を唯一大切にしてきたという。ぴあ代表取締役社長・矢内廣氏をはじめとした創業メンバーの純粋な想いのみが、PFFを支えているのだ。

「ぴあは、映画監督になりたかった8ミリ青年たちが、毎日映画を観たいから『映画情報をまとめた雑誌を作ろう』という動機で始まった会社。そして、雑誌で利益が出たときに『次はなにをしようか?』と考え、世に知られていない巨匠や、才能を持った人たちを広く知ってもらいたいという思いでPFFを始めました」

 つまり、映画に関する純粋な想いを具現化していっただけであり、それ以外の大きな思惑は存在しないというのだ。そこが「他の映画祭とは一線を画すところ」と荒木氏は強調する。とは言いつつ、映画を取り巻く環境も近年大きく変化しており「変わらず続ける」ことも、言うほど簡単ではない。当然のことながら、PFFも存続の危機には何度も直面している。実際、1977年にぴあが単独で開始したPFFも、1999年には複数の企業・団体による「PFFパートナーズ」主催となり、2017年には一般社団法人化という流れになった。

「危機はたくさんありましたよ(笑)。私たちの強みは、『やりたい』という意志のある会社がしっかりついていたこと。それがあるからこそできたものであり、もしぴあという会社がなくなったり、あるいはPFFの意義を感じる人がいなくなったりしたらどうなってしまうのか、という危機感は常にありました。実際、会社の経営が厳しい状況になったとき、PFFの意義に賛同いただける企業各社とともにパートナーズシステムに切り替えました。その際、プライベートカンパニーの名前があるために公的な資金援助を受けられなかったこと、還暦を過ぎている矢内の『自分がいなくなった後のこの事業はどうなるのだろう』という危機感から、一般社団法人を設立したのです」

◆おもしろいものを観られる安定した場所であり続ける

 主催の形態は変わったものの、営利的な目的は一切入らず、映画祭自体のポリシーや哲学はスタート当初から「まったくブレていない」と荒木氏は断言する。そうして、40年続けてきたPFF。前述したように「PFFアワード」からは、石井岳龍、犬童一心、黒沢清、中島哲也、橋口亮輔、成島出、塚本晋也、矢口史靖、佐藤信介、李相日、中村義洋、熊切和嘉、内田けんじ、石井裕也ら、現在の日本映画界を背負って立つ人材が多数輩出されてきた。

「主催者側からすると、ここを巣立っていった監督がその後、活躍することは、皆さんがおっしゃるほどの感慨ではないのです。自主映画出身者がいまの映画シーンにおいて、メインになってきているというのは時代の変化を実感しますが、栄光をつかんだのは彼らのたゆまぬ努力。我々は、それを誇りに思うのではなく、作品がしっかりとお客さんの目に触れる場を提供できているかどうかが一番大切なことだと思っています。どんな時代でもおもしろいものを作れば道はできる。そのおもしろいものをしっかりと観ることができる安定した場所であり続けたい」

 自主映画を発表する場という意味で言えば、「PFFアワード」入選作品は、会場となる国立映画アーカイブでの上映のほか、2016年から動画配信サイト「青山シアター」内でも鑑賞することができる。一昨年は映画祭終了翌日、昨年は1度目の上映終了後からの配信だったが、今年は、映画祭開催と同時に作品を観賞することができる。

「もちろん、映画館で観るというのは大切な経験だと思うし、推奨しています。しかし一方で、作品に出会う機会は多ければ多いほどいいという想いもあります。配信動画で作品を知り、そこから広がっていくこともある。作品は人に観てもらってこそなので、PFFでもこうしたネットでの取り組みはとても意義のあることだと思っています」

◆日本映画界に求められる監督を目指す人を育てる場

 1977年から続く映画祭だけに、コンペ部門にエントリーされる作品も、時代とともに変わってきた。80年代は、裸になって駆けずり回ったり、自傷行為をしたりと表現方法も過激なものが多かったが、いまは映画学校も増え、情報も入ってくる時代。しっかりと基礎や理論を学び、道筋を踏んで映画監督を目指す人も増えてきた。その一方で、映画界に目を向けると、いまは映画監督を育てるシステムがないという。

「仕組みは整っているかもしれませんが、いま映画の世界は産業構造的に崩壊しています。昔は助監督をちゃんとした給料で雇い、現場でプロとしてやっていける訓練が積めた。でもいまは製作費がないから、それもできない。結局自主映画を作るしか訓練する場所がないのです。だから受賞者には『海外に目を向けなさい』と言っています」

『PFFアワード』では、1作品に対して、厳選された審査員3人が「最初の観客として」丁寧に評価にあたる。今年も529本のなかから、18本が入選し上映。また招待作品部門として、生誕100年を迎えるロバート・アルドリッチ監督特集、PFFスペシャル講座では「映画のコツ」と題して、TVディレクター稲垣哲也×佐々木健一などの対談、また今年5月に急逝された伝説のカメラマンたむらまさき追悼企画も開催。例年以上に密度の濃いプログラムで記念すべき第40回のPFFを彩る。そこから生まれてくる新たな才能に注目したい。
(文:磯部正和)

提供元:CONFIDENCE

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